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ステージの姿はまさに“鬼神” ドン・マツオのオルタナティヴ・ロック20年を振り返る

リアルサウンド

14/3/18(火) 8:00

20140318-don01.jpgソロアルバム『Magic Mountain』をリリースしたドン・マツオ。

 ローリング・ストーンズの来日公演の興奮も冷めやらぬ中、ふと思い出したのは、ストーンズ・フリークを自認するオルタナティヴ・ロックバンド、ズボンズのことだった。ストーンズのスピリッツを受け継いだ、正統なロックバンドであることを公言し、その圧倒的なライヴ・パフォーマンスによって、日本のみならず海外のロック・フリークたちを、熱狂の渦に叩き込んで来たズボンズ。奇しくも昨年9月、約20年にも及ぶその歴史に終止符を打ったズボンズの足跡と、その首謀者ドン・マツオ(Vo&G)の現在について、ここでは書いてみたいと思う。

 94年、満月の夜に東京で結成された4人組のロックバンド、ズボンズ。ガレージと呼ぶにはあまりにも激しい、そしてときにブラック・ミュージックに近接するようなグルーヴと、恍惚のサイケデリアを生み出すそのサウンドは、ストーンズと言うよりも、むしろ当時人気だったアメリカのバンド、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンと並べて語られていたように記憶している。観る者すべてを圧倒させる、とてつもない爆発力を持ったロックンロール。いつしか“対バン・キラー”の異名を持つようになった彼らは、97年、無名のインディーズ・バンドでありながら、ザ・ハイロウズ、ザ・マッド・カプセル・マーケッツ、ボアダムズらとともに、記念すべき第一回フジロックに出演する。そして、現在も名盤の誉れ高いアルバム『LET IT BOMB』をインディーズでリリースした後、99年、満を持して東芝EMI/Virgin(当時)よりメジャーデビューを果たすのだった。

「ズボンズというか、僕が作る曲はどれもそうなんだけど、一旦完成して録音した時点が、スタートになるんだよね。曲というものは、出来たときにそのポテンシャルのすべてが分かるわけではなく、それをライヴで演奏し続けることで様々な発見があって、それを補完していくように感じている。まあ、それは僕がそういうタイプの音楽家だから、そう考えるんだと思うけど。ビーチ・ボーイズとかビートルズは、レコードが完成するまでに相当いろんなものを注ぎ込んで完璧な音源を作ろうとしたけど、僕には全然そういうことができないんだよ(笑)。そういうものに憧れはあるんだけど、残念ながら僕はそのようなタイプではなく、もっと素朴なブルースやフォーク、あるいはジャズのミュージシャンに近いのかもしれない」(ドン・マツオ)

 しかし、メジャーでの音楽活動に疑問を覚えた彼らは、EMIから2枚のオリジナル・アルバムをリリースした時点で、突如日本国内での音楽活動の休止を宣言。その主な活動の場を海外に移し、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどで積極的にライヴを展開するようになる。その後、再び国内での活動を開始するも、EMIでの最後の作品となった『love is funky』(02年)を出した時点では、いつの間にかオーストラリア人2名を含む、6人編成となっていたズボンズ。そんな彼らの歴史は、ほぼ5年ごとに変わるドラマーの歴史でもあった。現在はZAZEN BOYSで活躍している松下敦、FULLARMOR、Nothing’s Carved In Stoneで活躍している大喜多崇規が、その歴代ドラマーに名を連ねていることは、いまやあまり知られていない事実なのかもしれない。

「その日そのとき、どんなステージになるのかなんて、僕にもわからないよ。だから、僕の中にあるイメージを具現化するみたいなのとは、ちょっと違うんだよね。そうではなくて、今鳴っている音楽が、どのような方向に向かっているかを踏まえながら、それに沿った臨機応変なプレイをメンバーに求める。例えて言うなら、“船長”みたいな感じかな? 微細な波や風の動きを読みながら、その都度その都度、適切な航路を決定して行くという。僕はそういう役割に長けているんだと思う。だから、僕が新しい音楽を作るために必要とするのは、新しいネタを集めたり刺激を求めたりすることではなく、正確に波目を読み、的確な判断が出来るような状態に、自分を持って行くことなんだよ」(ドン・マツオ)

 その後、数度にわたるメンバー再編成を経て、ドン・マツオ、マッタイラ(Key)、ムーストップ(B)のオリジナル・メンバーに、ピット(Dr)を加えた4人編成となったズボンズは、全曲新規録音という異例のベスト盤『Nightfriend of Zoobombs』をインディーズでリリース。12年には、通算10作目となるアルバム『THE SWEET PASSION』を日米同時リリースして、日本、アメリカ、カナダ、オーストラリアを、約半年かけてツアーして回るのだった。

「どうして僕らがこういう演奏形態になったかというのを考えると、それはやはり海外での活動の経験からなんじゃないかな? 海外で長いツアーをやると、どうしてもトラブルを避けられないし、疲れから故障して来る部分も出て来る。でも、この場所でこの人たちを前にして演奏する“次の機会”なんて、あるかどうかわからない。だから、どんなシチュエーションであれ、自分たちがどんな状態であれ、ともかく最善を尽くして目の前の人たちを驚かせてやろう、高いところまで連れて行ってやろうっていう。海外でライヴをすると、日本でやる以上にそういう共通目的をバンド内で強く持てるんだよね」(ドン・マツオ)

 そんな文字通り“オルタナティヴ”なキャリアを、レコード会社やマネジメントに頼ることなく、自らの手で–何よりも自分たちの鳴らす音楽の力によって築き上げて来たズボンズ。しかし、その彼らに、突如として危機が訪れる。昨年5月、ムーストップ脱退の意向が公式に発表されたのだ。そして、9月22日のライヴをもって、約20年続いたズボンズの歴史は、一旦その幕を閉じることになる。だがそれは、いわゆる“解散”とは、少々ニュアンスが異なっているようだ。ドン・マツオの言葉を借りるなら、バンドとしての“ライヴ(生命活動)の終わり”。それは、新しい生命体の誕生を意味する。かくして、ズボンズ最後のライヴのフロントアクトとして、ドン・マツオとマッタイラを中心とした新バンド、The Randolf(ランドルフ)がサプライズで登場、ズボンズ“直系”のサウンドを鳴り響かせたのだった。

 なるほど、今後はランドルフとして活動を続けて行くのだろう……誰もがそう思ったにも関わらず、年明け早々、ドン・マツオは自身3作目となるソロ音源の制作に着手する。もともとは、既に予定されていたソロ・ツアーに持って行くためのEPをイメージしていたようだが、それは結果的にアルバム『Magic Mountain』として完成する。しかも、そのバックを務めているのは、ランドルフのメンバーと……ズボンズを脱退したばかりのムーストップが、大半の曲でベースを弾いているという、ちょっと不思議な一枚になっているのだった。ブログの日記などでは、長年連れ添ったムーストップ脱退への戸惑いや苦悩を、赤裸々に綴っていたドン・マツオ。しかし、今回のソロ・アルバムから聴こえて来るのは、ズボンズ直系でありながらもどこか風通しの良い、ある種突き抜けたサウンドなのだった。これは一体どういうことなのか?

「それはきっと、僕の受け継いで来た音楽というものが、そういう形での個人の重さみたいなものを、表現しないものだったからじゃないかな? ローリング・ストーンズであれ、ボブ・ディランであれ、ブルースであれ、やはり音楽っていうのは、僕にとっては、何をおいても楽しいものであって欲しいから。そのためには、自分の我を前面に出して、すべてを自分が作り出すのではなく……それは、あくまでも自分が受け継いで来たものの変奏であり、今の自分のヴァージョンに過ぎないんだよ。音楽の現場で実際に起こっていることは、個人という小さな能力を超えたものであって、それこそビッグバンみたいなものだから。そういう意味では、“音楽を作った”という感じさえしていないかもしれない(笑)」(ドン・マツオ)

20140318-don02.jpgドン・マツオ- 『Magic Mountain』

 そう言い残して、ライヴ・ツアーにーー現地の若いバンドの面々と、今回の楽曲はもちろんズボンズの楽曲などを、その場で合わせてセッションするという、一風変わったソロ・ツアーへと旅立って行ったドン・マツオ。その後には、ランドルフのライヴもいくつか予定されているようだが、その先のことは、まだわからないと彼は言う。すべては音楽の導くままに。しかし、ズボンズというバンドを長らく突き動かして来た衝動と情熱は、今も彼の中に沸き立っているようだ。そして、ステージにおける彼の“鬼神”っぷりも、相変わらずなのだった。3月2日に行われたライヴ、ソロ・ツアーの初日を観て、改めてそう思ったことを最後に報告しておきたい。
(文=麦倉正樹)

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