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映画と働く 第2回 プロデューサー:佐藤順子「作りたいという思いを形にする」

ナタリー

20/10/16(金) 12:30

イラスト / 徳永明子

1本の映画が作られ、観客のもとへ届けられる過程には、監督やキャストだけでなくさまざまな業種のプロフェッショナルが関わっている。連載コラム「映画と働く」では、映画業界で働く人に話を聞き、その仕事に懸ける思いやこだわりを紐解いていく。

第2回となる今回は「あゝ、荒野」「愛しのアイリーン」「MOTHER マザー」などをプロデュースしてきたスターサンズ所属の佐藤順子が登場。東京の下高井戸シネマでアルバイトをし、20代でシネ・アミューズの支配人になった彼女は、なぜ映画を製作するようになったのか? すべてを“決めないといけない”というプロデューサーの仕事に迫る。池松壮亮や真利子哲也と「ガチでやり合った」という「宮本から君へ」の裏話にも注目を。

取材・文 / 小澤康平 題字イラスト / 徳永明子

下高井戸シネマでのアルバイトが映画の道に進むきっかけ

──スターサンズでプロデューサーとして働き始める前は映画館シネ・アミューズ(2009年閉館)の支配人を、それ以前の学生時代は名画座の下高井戸シネマでアルバイトをされていたんですね。

学生のときに下高井戸の近くに住んでいて、下高井戸シネマで面白い映画をたくさん観たんです。「バイト募集してませんか?」と聞いて働かせてもらうことになって。ラッキーなことに二番館と言われる名画座だったので2本立てや特集上映が多かったんですよね。副支配人がちょっと変わった人で、その企画を学生の頃から任せてもらっていました。当時は「ゴジラ」や「ドラえもん」を上映していて、西友の屋上でぬいぐるみショーの司会をやったりもしましたね。下高井戸シネマでのアルバイトが、映画の道に進むようになったきっかけです。

──10代の頃から映画の道に進もうと決めていたんですか?

全然決めてなかったです。軽音楽部でバンドをやっていたので、どちらかと言えば音楽に打ち込んでいる学生でした。ただ昔から洋画をよく観てましたね。父が「キャノンボール」とかジャッキー・チェンの出ている映画が好きで、よく映画館に連れて行ってもらってたんです。今はなくなってしまった渋谷パンテオン(※2003年閉館)に、角川映画や伊丹十三の作品を観に行ったり。でも特別映画が好きだったわけではないです。

──本格的に観るようになったのは下高井戸シネマで働き始めてからですか?

劇場で働くようになってからは尋常じゃない本数を観ました。35mmフィルムのプリント上映だったので、お客さんに届ける前にプリントチェックとして1本通しで観させてもらって。アルバイトのときからいろいろな経験をさせてもらいました。チラシも今みたいにDTP(デスクトップパブリッシング)でデザインするのではなくて、印刷屋に行って「このフォントで文字を組んで、この写真を使って、こう切り貼りして……」と1つ作るだけですごく大変だったんです。デザインには興味があったので「こうしたらどうですか?」と生意気に言ってたら気に入られて、そのうち上映企画などを任されるようになった感じですね。

相米慎二さんが一升瓶を持って来てくれた

──その後はシネ・アミューズの支配人になっていますが、これはどういった経緯で?

その前に広告代理店に入社したんですけど、合わずに半年で辞めてしまって。やっぱり映画の仕事をしたい気持ちがあり、当時アミューズが募集をかけてたので「アミューズにコネないですか?」と下高井戸シネマに聞きに行ったんです。そうしたらアミューズが1995年にシネカノンという会社と一緒に映画館を作ると。劇場運営の経験者がいないということで紹介してもらったのが、シネ・アミューズ立ち上げの仕事でした。最初はアルバイトスタッフだったんですが、初心者ばかりの中で私だけ3年くらい劇場で働いていた経験があったので、すぐ支配人になったんです。

──支配人としてはどんな仕事を?

企画上映や映画の買い付けをやっていました。1995年ってミニシアターがたくさんでき始めた時期で、ビジネスとして配給会社は映画館が上映してくれない作品は買えない。なので配給会社の方と一緒にカンヌやベルリンの映画祭に行って、「この映画やりましょう」と買い付けることが多かったです。あとはシネ・アミューズでは日本映画も上映していたので、「これから映画を製作するんだけど、シネ・アミューズで上映してほしいからキャスティングの相談に乗ってほしい」みたいな依頼が来ることもありました。その頃から映画を製作している人たちとの関係性が培われていきましたね。

──現在のプロデューサー業にもそのときの経験が生きていますか?

ほぼ100%生きています。分福(※是枝裕和と西川美和が立ち上げた制作者集団)さんと2019年放送の「潤一」というドラマでご一緒したんですが、実は2004年に是枝さんの「誰も知らない」で配給・宣伝のお手伝いをして、2006年には西川さんの「ゆれる」に関わらせていただいたんです。製作スタッフは映画館によく出入りするので、自然と顔見知りになるじゃないですか。そのときの人脈が今の仕事にもつながっています。

──入江悠さんと深谷シネマのような、監督と劇場の深い結び付きは今でもありますもんね。

SAVE the CINEMAなどにも監督たちはすごく協力的じゃないですか。それはやっぱり映画館とのつながりが強いからだと思うんです。入江さんの作品を待ってる人たちが地方のミニシアターにはたくさんいて、監督からしたら大切に作った作品を長く同じ小屋で上映してもらってお客さんに観てもらえるのは最大の喜びだと思います。自然と支配人との関係も強くなりますよね。

──シネ・アミューズ支配人時代の映画監督とのエピソードで、強く記憶に残っているものはありますか?

相米慎二さんの「風花」という作品に関わらせていただいて。結局これが遺作になってしまったんですが……。公開初日に相米さんが一升瓶を持って来てくれたんです。「長くこの作品を上映してね」という思いを伝えるために監督自身が劇場に通われていたんですよね。吉田恵輔さんとの縁も、支配人時代に「純喫茶磯辺」を上映させていただいたのがきっかけです。まさか一緒に映画を作ることになるとは思っていなかったですが(※スターサンズは2018年公開の吉田の監督作「愛しのアイリーン」を企画・製作・配給)。

プロデューサーはすべてを“決めないといけない”

──2010年からはスターサンズ所属ですが、入社のきっかけはなんだったんでしょうか?

当時スターサンズは、代表取締役の河村光庸と買い付け・配給を兼任するスタッフの2人体制でした。そこで経験者を欲しているということで声をかけられました。

──どなたかの仲介があったんですか?

(映画配給・宣伝会社)ミラクルヴォイスに河村と私の共通の知人がいて、その方に間に入ってもらいました。河村と話したあと、よくわからないんですが「すぐに来てくれ」と言われて(笑)。この業界、いきなりはなかなかなくて経験者採用が多いんです。配給や製作、宣伝会社は人のつながりで転職していくことがすごく多くて、映画会社としては3社目みたいな方がたくさんいる。血の入れ替えがあまりないんですよね。

──入社時点では、映画製作のノウハウがあったわけではないですよね?

全然なかったです。

──それはスターサンズに入ってから身に着けたと。

手探りでやっていきましたね。シネ・アミューズ時代にプロデューサーさんとお会いする機会は多かったんです。オフィス・シロウズの佐々木史朗さんや、もう亡くなられてしまった安田匡裕さんとお話する機会はあったんですが、プロデューサー業というのが実際になんなのかはわかっていなかった。まさか自分がやるとは思っていなかったんですが、スターサンズに入って「かぞくのくに」というヤン・ヨンヒ監督の作品を製作することになりました。その前に私がいたアミューズシネカノンという会社がヤン・ヨンヒさんの「ディア・ピョンヤン」という作品を配給していた縁で、次のドキュメンタリーをスターサンズで配給してほしいという話になって。彼女の生い立ちを聞いていくうちに河村が「それは映画になる」と言って、「かぞくのくに」というフィクションの製作をやってみようということになったんです。でも「どうやったら映画って作れるんだろう」というところからスタートしたので、映画館時代の人脈でスタッフを紹介してもらいました。「海辺の生と死」などを監督している越川(道夫)さんには昔からお世話になっていたので、プロデューサーの師匠としていろいろと教えてもらって。

──そこから本格的にプロデューサーとして動き始めるわけですね。プロデューサー=偉い人という漠然としたイメージを持っている人も多いと思うのですが、わかりやすく言い換えることってできますか?

すべてを決める人……決めないといけない人かな。何かをやるかやらないか、お金をどこまで集めるか、誰をキャスティングするか。お金の末端のリクープ(回収)まで全部責任を取らないといけないポジションです。

──映画の製作を決めた場合、まず何から始めるんですか?

最初は企画が立ち上がるところからです。原作者がいれば原作の使用許諾を得る必要がありますよね。スターサンズはオリジナルが多いので、例えば河村がこういうテーマの作品はどうだろうかと言ったら、私がこの監督が合うんじゃないでしょうかと提案したり。構想を監督のところに持って行って話がまとまれば、そこからお金集めが始まります。プロットと企画書を作って、お金を出してくれる可能性のある会社に持ち込んでいく。出資してもらえることになればキャスティングや脚本作りを進めたり、製作スタッフを集めていくことになります。

──映画を作れているということはお金が集まっている証拠ですが、簡単に集まるものではないですよね?

もちろん簡単ではないです。どうやったら集まるかと言えば、理由はいろいろあります。物語の強さだったり、監督の才能だったり、テーマ性だったり。最近は「スターサンズが作るんだったら」という理由で出資してくださる方もいてありがたいです。映画ってビジネスでもあるから、資金に対して売上が立たないといけない。「これは資金回収できます」という根拠をもって企画を立ち上げる必要があって、それはプロデューサーの大きな仕事。監督のやりたいことをなんでもやらせたらお金が掛かりすぎてリクープできなくなるけど、一方で高いモチベーションで仕事をしてもらうのはプロデューサーの仕事だし、そのためにお金が掛かることはある。そこで監督と決裂することはありますし、製作が止まる作品もたくさんあって。時には、監督のやりたいことを優先するために出資者に頭を下げることもあります。

──映画をどの方向に進めるかの決断を強いられるという意味では、プロデューサーには「違うものは違う」と言えるような意思の強さが必要でしょうか?

必要かもしれないですね。ただスターサンズは、どの監督とご一緒するかをものすごく慎重に考えます。監督の才能を常にリスペクトしますし、意見を押し付けて変えようとすることはないです。

──前提として、リスペクトできる監督と一緒に仕事をすると。

そうじゃないとお互い不幸になってしまうので。あとは会社に監督から脚本が持ち込まれることもあって、内容が独りよがりだったりした場合は意見を言うことはあります。より多くの人に観てもらうためにこういう視点を入れたらどうですかとか、このキャストに演じてもらったらもっと魅力的になるんじゃないですかとか。映画館でお客さんに接していた経験があるからだと思うんですが、エンタテインメントになっているかどうかはすごく考えます。いくらいい内容でも、お客さんが観てくれなかったらダメだと思うところがある。監督がお客さんを意識しすぎたら面白くなくなるので難しいですが、作品のよさを伸ばせるような提案はするようにしています。受け入れられないこともありますし、受け入れてもらえて一緒に製作を膨らませていくこともありますね。

製作しているものを自分が好きかどうか、考えないほうがいい場合もある

──佐藤さんのプロデュース作は、古いものから順に「かぞくのくに」「二重生活」「あゝ、荒野 前篇」「あゝ、荒野 後篇」「愛しのアイリーン」「宮本から君へ」「MOTHER マザー」となっています。暗い作品が多い印象です(笑)。

そうですね(笑)。

──映画を製作するうえで、共通して意識していることはあるのでしょうか?

あまり自覚はないです。この仕事をしていると自分が好きな監督とかまったく考えなくなるんです。好きなことで仕事できると思ってないし、いろんな方の「こういうものを作りたい」という思いを形にする仕事なので。もはやプロデューサーという立場では、製作しているものを自分が好きなのかどうか、考えないほうがいい場合もあります。何百人が動いている中で、監督の作りたいものとは別のものに比重を置くとバランスがおかしくなってしまうと思っていて。ただ今回履歴書を書いてみて、「私エドワード・ヤンとか好きだったな」って思ったんですよね。ケン・ローチもそうですけど、自分が好きだった監督って、人間を通して社会を描いているんです。ある時代の中に人間は生きているわけだから、人を描くと自然と社会を描くことになる。ホウ・シャオシェンも、ジョン・カサヴェテスも、ジャック・タチもそういうところがあると思います。

──なるほど。

最近だったら、キム・ボラの「はちどり」が1990年代の韓国をすごく象徴しているなと感じました。そういう映画が好きという内面が、ついついプロデュース作に出ちゃっているかもしれないですね。ハッピーエンドの映画とか嘘くさくて好きじゃないんです。

──日本だと発行部数数千万部といった大ヒットマンガを映画化する流れもありますね。そういう企画には興味はないですか?

興味がないというか、話が来ないし、ノウハウがない(笑)。

──では話があったら製作の可能性も?

面白ければもちろんやらせていただきます。ただ、何かスパイスがないと惹かれないんですよね。例えば「愛がなんだ」はラブストーリーでありながら、主人公のテルコのなんとも言えないパーソナルな感情を描いているじゃないですか。好きな人自身になってみたいというような。なんとなく哲学的な要素があって、すごく面白かったです。(手を壁に)ドーン!ってやってキューン!みたいな作品は正直……(笑)。

──ラブコメは好きなんですか?

大好きです。製作映画のラインナップが似てしまうのはよくないなと最近思っていて。会社としてはラブコメなどもやったほうがいいかもしれないですよね。

池松壮亮も真利子哲也も本気だからやり合うしかない

──時には監督と決裂することもあるとおっしゃっていました。製作がストップしてしまうこともある一方で、ともに苦難を乗り越えた結果、信頼関係を築けることもあると思います。

「宮本から君へ」がそうですね。本当に大変でしたが……。

──映画からも大変さが伝わってきました。

映っちゃってますよね。もめごとはないんですけど、池松壮亮も真利子哲也も本気だからやり合うしかないんです。「こっちにしたほうがすんなりいく」とか、そんな中途半端な結論は出せるわけもなく、朝の5時まで話し合いという名のガチのぶつかり合いをしました。さすがに寝るかって思ったら、誰も引かないからもう1回話し合いが始まったりね。池松くんはまったくワガママ役者じゃなくて、むしろクレバーな方なんだけど、「宮本」に関しては折り合わなかったら降りるって平気で言うくらいの熱量でした。最初のオファーは7、8年前で、真利子さんは当初から池松くんを想定していました。自分が宮本を演じられるギリギリの年齢でやっと映画が実現したというのも、大きな思い入れの理由かもしれないですね。

──具体的にはどうやり合ったんでしょうか?

池松くんも真利子さんもほかのスタッフも原作を読み込んでいるから、みんな“自分の思う「宮本」”があるわけです。それをそれぞれ主張していくんですが、原作者の新井英樹さんが一番大人で「みんなこの作品を愛してくれてありがとう。君たちの好きなようにしてくれ」と父親みたいでした(笑)。クランクイン前にみんなでさんざんやり合ったので、撮影が始まってからの衝突はなかったですね。いい歳こいたおじさんやおばさんが学生みたいにぶつかり合ったのはいい思い出です。

──池松さんや真利子監督とは、今どんな関係性なんですか?

めちゃめちゃ仲いいです。ほかにもすごい熱量のスタッフが集まっていて、同じ釜の飯を食った仲間みたいな感覚ですね。ベタベタした関係性ではないですけど、ともに戦った仲間としてみんな「宮本」に誇りを持っていると思います。

海外の役者が入ると風向きが変わる

──プロデューサーとしての最大のピンチを伺ってもいいですか?

毎回「無理かもな」と思っていて楽だったことはないですが、一番ヤバいと思ったのは今年新型コロナウイルスで撮影が危ぶまれたことかもしれないです。緊急事態宣言が出る前まで、2021年公開予定の「空白」(吉田恵輔の監督最新作)の撮影を地方でやっていたんですが、やっぱり集中できないんですよね。いつ撮影をストップさせないといけなくなるかわからないし、役者さんに感染させてしまう可能性もゼロではない。今後は、実写の作品は撮影できなくなるんじゃないかとまで、考えました。

──撮影をどう進めるか決めるのもプロデューサーの仕事ですよね。

第一に優先すべきは人命なんですが、緊急事態宣言が出て現場を止めて、もし映画が完成しなかったら出演者や製作スタッフへの支払いはどうするのか頭をよぎりましたね。(撮影を)やめるにも続けるにも責任が伴うという状況はきつかったです。無事撮り終えたのでよかったですが。

──今後もコロナの影響はあると思いますが、懸念はありますか?

一番気がかりなのは、役者や監督が何かをあきらめることが多くなるのではないかということです。例えば監督が脚本を書くとき、役者さんに演じてもらうのが申し訳ないからラブシーンはやめようと考えるかもしれない。なので、コロナによってクリエイティビティが制限されない環境を作らないといけないと思います。PCR検査を全員に受けてもらうとか、安全な体制作りにかかるお金も予算に組み込む。そうしないと役者もスタッフも集中できないですよね。

──ではコロナが収束していったとして、今後チャレンジしたいことを教えてください。

アジアの合作をやりたいです。「かぞくのくに」にはヤン・イクチュン、「新聞記者」にはシム・ウンギョンが出演してくれましたが、やっぱり海外の役者が入ると風向きが変わるんですよね。「愛しのアイリーン」ではフィリピンクルーの情熱や人柄に、日本人スタッフには持っていないものを感じました。韓国は日本より人口が少ないけれどあれだけ映画製作のノウハウが培われていて、ハリウッドにも行っちゃう状況じゃないですか。日本、韓国、フィリピンの混合チームで映画を作ってみたいです。

※吉田恵輔の吉はつちよしが正式表記

佐藤順子(サトウジュンコ)

1973年1月20日生まれ、東京都出身。10代後半に名画座・下高井戸シネマでアルバイトを始め、その後20代でシネ・アミューズの支配人を務める。2010年にスターサンズへ入社し、「かぞくのくに」「二重生活」「あゝ、荒野 前篇・後篇」「愛しのアイリーン」「宮本から君へ」「MOTHER マザー」をプロデュース。2021年には綾野剛と舘ひろしが共演した藤井道人の監督作「ヤクザと家族 The Family」、古田新太や松坂桃李が出演する吉田恵輔の新作「空白」の公開を控える。

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