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大根仁が大河ドラマにもたらしたものとは? 『いだてん』「前畑がんばれ」の裏側を解説

リアルサウンド

19/9/22(日) 6:00

 オリンピックに関わった様々な日本人の姿を描いた大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』(NHK総合)。第36回「前畑がんばれ」は1936年のベルリン五輪の200メートル平泳ぎで金メダルを獲得した前畑秀子(上白石萌歌)の奮闘を描いた物語だ。

 ラジオ実況を担当したNHKの河西三省(トータス松本)が「前畑がんばれ! 前畑がんばれ!」と繰り返し絶叫した逸話が今でも語り草となっているベルリン五輪だが、同時にヒトラーとナチスのプロパガンダに利用されたオリンピックとしても知られており、第二次世界大戦へと世界が向かっていく不穏な気配が強く漂う仕上がりとなった。

 この度、リアルサウンド映画部では、演出を担当した大根仁と制作統括の訓覇圭に話を伺った。

 女性陸上選手・人見絹枝の苦悩と活躍を描き『いだてん』屈指の傑作回となった第26回「明日なき暴走」を手掛けた大根が、同じ女性アスリートの前畑秀子をフィーチャーした回を担当することになった第36回だが、「前畑がんばれ」という難しい題材に対し、どのような気持ちで挑んだのか?(成馬零一)

●ヒトラーを描くということ

――ベルリン五輪とヒトラーを描くにあたって、気をつけたことを教えてください。

大根仁(以下、大根):ヒトラーの演出は悩みました。この当時のヒトラーは国民から圧倒的な支持を得て首相になったわけですから、戦後の僕らの感覚で悪魔のように描くのは違うんじゃないかと思い、当時の文献を読んだり資料を調べたうえで、人間味が出るように演出しました。

訓覇圭(以下、訓覇):ベルリン五輪がヒトラーとナチスのプロパガンダだったことを、当時の日本人選手がどの程度、理解していたのかは興味がありましたがなかなか分かりませんでした。「ハイル・ヒトラー」という敬礼が日本選手団の間で流行っていたとは資料に書かれていたのですが、ドイツに対して日本がどの程度親しく感じていたのかがはっきりとわかる資料があるわけでもない。

 日本代表選手たちがヒトラーと面会したという記録がありました。僕らが一番知りたかったのは、ヒトラーと面会した際に選手たちが何を話したのかですが、会話の内容までは残っていないわけです。ですから、選手たちのベルリン五輪に対する温度などは史実資料をふまえて「こういう空気だったのではないか」と僕らなりに想像して作りました。ヒトラー役の役者をドイツから呼んでちゃんと演じてもらうということも、『いだてん』にとってはとても大事なことでした。

大根:ヒトラーは強烈な存在で、誰もが思い浮かべるイメージがあります。日本にいるドイツ人でオーディションすると、私たちが描きたい当時のイメージと合致する俳優を探すのが難しいと思ったので、コーディネーターにお願いして、ドイツで俳優を探してもらいました。ドイツはヒトラー役をよく演じている俳優が何人もいて、その方たちの中からビデオオーディションでダニエル・シュースターさんを選びました。現場で刈り上げてもらい軍服の衣装を着て腕章を付けて動きをつけて立ってもらうと、すごい緊張感が走りましたね。彼自身は明るいドイツ人なんですけれど、僕たちの知っているナチスというフィルターをかけて見てしまうので、怖いなぁと思いました。

 田畑がヒトラーと対面して握手した際、田畑の動きがくしくも「ハイル・ヒトラー!」の敬礼になってしまうという場面は、当初、台本にはありませんでした。リハーサルで、ヒトラーの手を握りながら話した時に阿部(サダヲ)さんの手が偶然残ってしまい、例のポーズのようになってしまったんですが、身体がこわばって動けない様子が伝わると思って採用しました。「なにしてくれて、ダンケシェン」という台詞も一見ギャグとしか思えないかもしれませんが、阿部さんの表情や、張ってるんだけど声が震えている感じは、素晴らしいなと思いましたね。

●記録映画『オリンピア』に負けないように

――ベルリン五輪は記録映画の映像と組み合わせたものですね。

大根:過去のオリンピックの映像が残っているので、『いだてん』では、記録映像と実写映像のカットバックで見せるという手法に、どの演出家もチャレンジしています。今回はレニ・リーフェンシュタール監督の『オリンピア』が使用されています。リーフェンシュタールの映画は演出が巧みで、このオリンピックのためにカメラやレンズも開発しており、今見ても見応えのあるしっかりとした映画なので、作品として負けないようにしようと意識しました。特にヒトラーの登場する場面については。逆に助かったのは、プールの大観衆の場面です。VFXで作ったのですが、記録映像をしっかり撮っていただいていることにより、臨場感も増幅しています。

――前回のロサンゼルス五輪とベルリン五輪では、画面の色味が違いました。

大根:ロス五輪は僕の担当ではありませんが、田畑の青春のピークで一番楽しかった時期のオリンピックでした。同時に舞台が西海岸ということでカルフォルニアの青い空が持つ、明るい印象が強く出ていますね。それに対してベルリン五輪は、田畑から見たベルリンオリンピックに対する心象を色のトーンで現しています。あと、実は同じプールで撮っているので、その差をつけないとバレちゃうってところもあったかもしれないです(笑)。

――水泳の場面は、とても見応えがありました。

大根:スピード感があって力強く泳いでいるように見せるのは大変でした。陸上競技における走っている場面は、決して楽ではないのですが、背景の変化や表情の変化や汗をかいている場面でフィジカルを表現することができます。でも、水泳の場合は、基本的に同じコースをずっと泳いでいるし、汗もかかないし、表情もわかりづらいので、どうフィジカルに見せるかがとても難しかったです。ですので、前畑さんを演じた上白石(萌歌)さんには、水泳選手に見えるフォルムを作っていただきました。本人も役が決まった時に自分の線の細い体ではメダリストには見えないと思ったそうで、体重を7キロ増量し、日サロに通い、水泳の特訓をしました。だから現場では「がんばれ」としか言えないというか、撮りながら「がんばれ」と思っていました。ドイツの水泳選手のマルタ・ゲネンゲルさんを演じた女優さんは、水泳をやっていて大きな大会で記録を残しているような人だったので、彼女と拮抗する同じぐらいのスピードで泳いでもらうのが、大変でしたね。

――上白石さんの演技も素晴らしかったです。

大根:上白石さんは、本当に頑張ったと思うのですけれど、一番感激したのは決勝レース前夜の亡き両親との場面ですね。今回は本当に難しい回で、最初に本を読んだ時は、どう撮れば、「がんばれ前畑」にリアリティを持たせることができるのだろうかと、本当に悩みました。この超展開に説得力を持たせて感動に持っていける演技ができるというのは、本当にすごいことだと思いました。

――大根さんは女優を魅力的に撮ることに定評がありますが、第26回「明日なき暴走」に続き、今回の「がんばれ前畑」も、日本のスポーツシーンを代表する女性のアスリートの活躍を描いた回でしたね。

大根:人見絹枝さんの回は、僕も手応えがありましたし、菅原小春という女優の誕生する瞬間に立ち会えて、演出家として嬉しく思っています。ただ、女性アスリートを二度も撮るとは思っていませんでした。しかも「前畑がんばれ」は、戦前のオリンピックで唯一、ほとんどの日本人が知っている有名なエピソードです。ベルリン五輪、しかもヒトラーが登場するというドラマ全体の中でも重要な回を、よくぞ外部の僕に任せてくれたなと思いました(笑)。女優を撮るのが上手いとおっしゃっていただきましたが、今までの作品は恋愛描写が中心だったので、アスリートとして女優を描くということはやったことがなかったので、こういう作品が撮れたことで、演出家としての自信がついた気がしますね。

●共同演出の可能性

――今回、大根さんを演出に起用されたのは、女性アスリートの回をお願いするためだったのでしょうか?

訓覇:いろんな要素を持つ宮藤(官九郎)さんの脚本の中で、笑いの要素と女性を描く上で大根さんに期待した面は最初からありました。あとは、現場で進めていくうちに、井上(剛)さんとのコラボができるのではないかという話になって。

大根:「前畑がんばれ」は井上さんとのダブルクレジットになっています。これは最初から決まっていたわけではなく、ベルリン大会が終わって37回につながる後半の東京パート、ここはなんとなく井上さんが撮った方がいいのではと。僕は軍人が出てくるような会議シーンは苦手で、そういうシリアスなシーンを撮るのはやっぱりNHKの人の方がいいんじゃないかと思い(笑)、ラスト10ページだったのですが“井上さんに任せるという演出”を施したんですよ。チーフ演出に丸投げという失礼な演出ですが(笑)、それが功を奏しました。

訓覇:勇気のいる選択ですよね。違う演出家に任せるというのは。

大根:やっぱりNHKの人は上手いですよね。元々、『いだてん』に参加する時に井上さんと何回か共同演出しようという話はしていました。それは一回の中に複眼的な演出の狙いが入ってくるのが新しいと思ったからです。僕と井上さんだけじゃなくて各演出家の得意分野をそれぞれが撮り、最終的にミックスさせる回ができたらいいなと。

 第9回「さらばシベリア鉄道」も、ストックホルムに到着してからは井上さんが演出を担当しています。ダブルクレジットの第14回「新世界」は完全に2人でシャッフルして撮っていて、今のところ3回ほど、井上さんと共同演出にチャレンジしたのですが、この36回は、コメディ要素あり、シリアスあり、女性アスリートの描写もありと、大河ドラマらしい時代に呑まれていく重い雰囲気もありと、僕なりの理想の共同演出の形になったと思います。

――最後に河野一郎(桐谷健太)が政治家に転身し、田畑と決別するシーンが描かれました。

訓覇:『いだてん』には全体的に光と影や裏表といった二面性が常にあります。この回も「前畑がんばれ」という戦国時代における「本能寺の変」みたいな話がある一方で、前畑が戦ったゲネンゲル選手は、実はドイツ人だった。もしかしたら「前畑がんばれ」の何百倍ものプレッシャーがあったのかもしれない。スポーツと政治という陰陽。一回の中で光と影を一緒に描く際、光の部分を大根さんが撮り、影の部分を井上さんが撮ったのではないかと思います。田畑と河野もそうですね。同じスポーツという場所から出てきて、進む道が別れることで、その時々の光と影を描いているのだと思います。

●変化していく「がんばれ」

――トータス松本さんが演じた河西三省の実況場面はいかがでしたか?

大根:今回、誰よりも追い込んだのは、トータスさんだったと思います。実際にプールで泳いでいる姿を見ながらの実況も撮ったのですが、時間的な都合であまりうまくいかなくて。トータスさん自身も納得できず、プロデューサーにわがままを言って後日スタジオで、実況ブースだけをもう一度作ってもらい、リテイクし、さらに編集して現場でうまく喋れなかった箇所や、足したいところを原稿にして、最後にあのテンションで実況してもらうという、都合3回ぐらい実況していただきました。「がんばれ」と1000回ぐらい言ってるんじゃないかと思います(笑)。

ーーこんなに「がんばれ」という台詞が登場するドラマは珍しいですよね。

大根:宮藤さんの脚本がおもしろいのは、演出が足せる隙間があるところなんですよ。書かれてない部分があったりするので、そこを探すのが演出としてはすごく楽しい部分でもあり、難しくもあるんですけれど。今回で言うと前畑がレース前にどのようにして「がんばれ」というプレッシャーを「どういう風に受け止めて、どう吹っ切ったのか?」ということがあえて書かれていなかったように感じました。そこから脚本を読み込んで、「がんばれ」という言葉が生きてくる展開を演出で足しました。

――大根さんご自身は「がんばれ」と言われてプレッシャーを感じることはありますか?

大根:僕もうっかり言っちゃいますね。「がんばれ」って便利な言葉だし無責任な言葉だなと、前々から思っていました。言われた時は「うるさい。お前ががんばれ」と思いますし、逆に素直に嬉しい時もあります。こころなく言う時もあれば、心底応援している時もありますし、不思議な言葉ですね。

訓覇:スポーツって最後にかける言葉は「がんばれ」しかないんですよね。ひどい言葉だけど最後は「がんばれ」としかいいようがないから、あれだけ連呼したんでしょうね。

――「がんばれ」という言葉の意味が劇中でどんどん変わっていきます。

大根:それは宮藤さんの脚本家としてのうまさですよね。「がんばれ前畑」のエピソードを書くにあたって、ストレートに書くのではなく、まずは「がんばれ」という言葉を封印するところから始めてみようというのが宮藤さんの狙いだったと思います。「がんばれ」という言葉を、前畑さんが拒否していたという史実は全くなかったので、それはフィクションとして、すごくうまいなあと思いましたね。

訓覇:第35回の終わりで、まーちゃん(田畑)がプールで前畑に「前畑がんばれ」と言うんですよね。五りん(神木隆之介)が「え? それ言っちゃう?」と突っ込んで終わるんですけれど、先に「前畑、がんばれ」と言わせておいて、その後を見せていくという、宮藤さんの発明したやり方ですね。「がんばれ」って雑な言葉だし、つい考えなしに言っちゃうけど、ポジティブな面もあり、色々な側面のある言葉だと考えさせられます。

大根:レース前にヒトラーが登場してグレンゲルに話しかける場面では、何か励ますようなことを言ってくれと指示したのですが、後で訳した言葉を聞いたら、「がんばれ」ってドイツ語で言ってましたね(笑)。やっぱり、「がんばれ」は世界共通なんだなと思いました。

●『いだてん』で一番やりたかったことができた

――最後に、『いだてん』にとって第36回がどういう回だったと思いますか?

訓覇:第36回は新鮮で今まで見たことのない話だと思いました。前畑さんのエピソードはスポーツの持っているポジティブなパワーが出てくるピークでもあると同時に、激動の世界情勢とリンクしている感じが『いだてん』を見ていただければ、すごく分かりやすいかと思います。「がんばれ」だけで終わらせない宮藤さんの構成力の巧みさも含めて、まさに『いだてん』で一番やりたかった「ためになるエンタメ」ができたと思います。『いだてん』は、何かメッセージを送ろうというわけではなく、今まで描かれていなかったこの時代のお話をエンターテインメントとして、しっかり描くことを一番に考えています。この時代のことは僕も知らなかったので、こういう歴史的な経緯があって、その後オリンピックを返上したという事実が、できるだけ正確に伝わればいいなと思っています。

大根:スポーツという概念すらなかった国で、金栗四三(中村勘九郎)さんと三島弥彦(生田斗真)さんがストックホルム五輪に出場するというところから描いてきた『いだてん』のターニングポイントとなる回だと思います。ベルリン五輪は、戦前のオリンピックにとってはもちろん日本のスポーツ界にとってもある種のピークでもあり、ベルリンが終わった後から全く別の物語が始まります。こういう重要な回を演出できてすごく嬉しかったです。改めて最後の10ページを井上さんに頼んでよかったと思いますね(笑)。

(取材・文=成馬零一)

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