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Perfume、BABYMETAL、ももクロ、ZOC……アイドル×ミュージシャンによる“クロスオーバー”の歴史

リアルサウンド

20/1/6(月) 7:00

 先日、「『楽曲派』アイドル誕生から現在に至るまで」と題して、「楽曲派」と呼ばれるアイドルグループの歴史と現状について書きました。書くにあたって様々なアイドルや楽曲を挙げていった際に「楽曲派」という切り口以外で気になったのが、その「楽曲派」アイドルの多くが、専業の作詞家作曲家のみでなく、現役のミュージシャンから楽曲の提供を受けているという点でした。

(関連:Perfumeの登場、BABYMETAL世界的ヒット……「楽曲派」アイドル誕生から現在に至るまで

 しかし考えてみると、一般的に「楽曲派」と呼ばれるグループ以外でも、現役ミュージシャンの楽曲提供を受けているアイドルもいますし、「楽曲派」の話とは異なる部分は多分にあるため、登場するアイドルグループは近しくてもこの切り口で改めて考えてみたいと思いました。

 「楽曲派」とは別の流れとして、「アイドルにアイドル外の現役ミュージシャンが楽曲提供する事例」を「クロスオーバー」と定義して、過去から現在に至るまでたどってみることにします。

●クロスオーバー前史
 「アイドルポップス」が明確に日本の大衆音楽の1ジャンルとなったのは1970年代前半。新たなジャンルではありますが、楽曲の多くは阿久悠や筒美京平をはじめとした既存の歌謡曲の作詞家・作曲家が引き継いで制作を行っていました。しかし新たなジャンルの誕生に新たな空気を運ぶべく、そしてその頃に新著作権法が施行されたことで専属作家制度(レコード会社が作家を抱えて原盤制作を行う制度)が衰退したことも相まって、当時自作曲でヒットを飛ばしていたフォークシンガーやシンガーソングライターも積極的に作家として起用されることになります。

 同時代に活躍する現役ミュージシャンがアイドルの楽曲を最初に手掛けた事例は、確認できた限り1973年4月にリリースされたアグネス・チャンの3rdシングル『妖精の詩』です。表題曲の作詞は松山猛、作曲は加藤和彦。過去にはザ・フォーク・クルセダーズ、この当時はサディスティック・ミカ・バンドの楽曲を制作していたペアによるものでした。

 それ以降、よしだたくろう(吉田拓郎)や荒井由実(松任谷由実)、さだまさし等、人気が出始めた若手ミュージシャンによる楽曲提供も増えていきますが、単に楽曲提供のみならず、その後のアイドルのコンセプトやイメージにまで達するレベルで制作にかかわった最初の事例は、後期山口百恵のカラーを決定づけた、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童と、バンドの作詞も手掛けていた阿木燿子の夫婦であると言えます。

 1976年の「横須賀ストーリー」以降、1980年の引退までのシングル19枚のうち13枚のシングル表題曲を手掛けるなど、山口百恵を楽曲で支え続けました。

 1980年代に入ると、元はっぴいえんどのメンバーで作詞家の松本隆が本格的にアイドル楽曲の作詞を開始しますが、その際に大瀧詠一・細野晴臣らの元バンドメンバーの仲間を作曲・編曲に呼び込み、さらにYMO陣営もそこに参加する形でミュージシャンのアイドル楽曲への参加が進んでいきます。

 それでも、ここまではアイドル側から捉えれば「作家の先生」的な立場であったミュージシャンが多かったのですが、1988年、すでにスターだった小泉今日子がアルバム『BEAT POP』でホッピー神山、小室哲哉、サンプラザ中野(サンプラザ中野くん)等、バンドを中心とした現役若手ミュージシャンを起用したことをきっかけに、もっとフラットな、今で言う「コラボレーション」のような関係性での作品が生まれるようになります。

 このように、「アイドル」の誕生から1990年頃までには、今に至る「クロスオーバー」の素地は出現していたことになります。

●21世紀のクロスオーバーの形:(1)Perfume
 1990年代にアイドルブームは一時衰退します。しかし、1990年代後半にSPEEDが活躍して以降、ダンス&ボーカルグループという形でティーンズ女子によるグループが続々とデビューを果たし、その後のアイドルグループ全盛期の萌芽となります。

 エイベックスが主導する「Girl’s BOX」とアミューズ所属のグループを集めた「BEE-HIVE」のふたつのプロジェクトに属していたダンス&ボーカルグループが当時の中心でしたが、「Girl’s BOX」所属グループがエイベックスのマネジメント部門に所属する専業の作詞家・作曲家をメインに起用する一方、「BEE-HIVE」に所属するグループは積極的に外部ミュージシャンの起用を行います。

 1999年デビューのCOLOR(後にBuzy)は作詞に新藤晴一、作曲に本間昭光という、当時のポルノグラフィティのメインライティング担当のコンビに後期の楽曲のほとんどを任せます(ポルノグラフィティはアミューズ所属ですので、この起用は自然な成り行きと言えます)。2002年デビューのBOYSTYLEは、ザ・コレクターズの加藤ひさし、PLAGUESの深沼元昭、ザ・サーフコースターズの中シゲヲ等、多彩な外部ミュージシャンを起用し、バラエティに富んだ音楽性で活動を行います。

 一方、2003年デビューのPerfumeは、そのどちらでもない形をとりました。、2001年にヤマハからデビューしたばかりの新進気鋭のユニットcapsuleのコンポーザーである中田ヤスタカを起用し、全面的にサウンドプロデュースを任せるという、過去にあまり例のない手法での展開を始めます。過去には伊藤つかさをはじめとして、ミュージシャンがサウンドを全面プロデュースしている事例もありましたが、いずれもアルバム1、2枚程度のもの。また、宇崎竜童・阿木燿子と関係が深かった山口百恵も、他のミュージシャンの手によるシングルをリリースしていました。

 2003年から始まった若手ミュージシャンによるアイドルグループの全面的・継続的なサウンドプロデュースという「クロスオーバーの実験」は果たして大成功を収め、今もその関係性は継続しています。

●21世紀のクロスオーバーの形:(2)BABYMETAL
 運営が明確にジャンルと世界観を定義したうえで様々なミュージシャンを招聘する形で「クロスオーバー」を行って成功を収めた事例は、BABYMETALによるものが圧倒的な代表例として挙げられます(1980年代後半から1990年代初頭には、ソロデビューした渡辺満里奈が運営チームとのコミュニケーションの結果、フリッパーズ・ギターを作詞作曲に迎えるといった「渋谷系」と呼ばれるムーブメントにも繋がる楽曲群をリリースしていましたが、BABYMETALほど徹底したジャンルと世界観は構築されていませんでした)。

 BABYMETALは当初、アミューズ所属のアイドルグループ、さくら学院内の部活動「重音部 BABYMETAL」として活動を開始しました。さくら学院本体がユニバーサルにレーベル移籍した後も、BABYMETALだけはトイズファクトリーに残留し、独立した活動体制に移行しました。活動初期はアイドルポップスをメタル側に寄せたサウンドでしたが、徐々にメタル色の強い方針へと活動を更新していきます。そして間違いなくメタル的ではありながら通常のメタルとは明らかに異なる独自のスタイルで世界中で受け入れられるほどの存在になりましたが、グループ結成から一貫してそのコンセプトを担ってきたのが、アミューズ所属のプロデューサー、KOBAMETALでした。

 彼自身が作家として携わった楽曲は彼女たちの楽曲のほんの一部に過ぎませんが、2010年の結成から主導し、継続してその運営の方針の策定・実行を行うとともに、己の「メタル」観に沿って、COALTAR OF THE DEEPERS/特撮のNARASAKI、AA=の上田剛士、ボカロP出身のゆよゆっぺ等、そのアイデアに合致した作家・ミュージシャンに楽曲を依頼し、その結果として全体としてブレのないBABYMETALのサウンドを提供し続けています。

●21世紀のクロスオーバーの形:(3)スターダスト所属の女性グループ
 過去からアイドルは専業作家からの楽曲提供がメインであり、現役ミュージシャンから楽曲提供を受ける際は、その「あのミュージシャンによる楽曲!」という点を強調してプロモーションに使用するというパターンがよく見受けられました。

 現在もそのスタイルを用いているのがスターダスト所属の各グループです。特にももいろクローバーZは、その存在は極めて21世紀的ではありますが、KISS、布袋寅泰、中島みゆき等の大物ミュージシャンからの楽曲提供を受け、リリースの際にはその旨を前面に押し出してプロモーションを展開するという点においては、最も20世紀型のパターンに近い形で活動していると言えます。

 一方、私立恵比寿中学などの後輩グループは、ももクロのように大物による楽曲提供というよりは、バンド等の若手ミュージシャンを、メジャーな存在になっていなくても積極的に起用して「コラボレーション」に近い形での楽曲を多く輩出しています。私立恵比寿中学の最新アルバム『playlist』は、全10曲中8曲が現役で自身の音楽活動を行っているミュージシャンによる楽曲になっていますが、なかにはまだメジャーデビューも果たしていないバンド、マカロニえんぴつのはっとりが名を連ねる等、その人選は独特のものです。

 1988年、同様に当時の若手ミュージシャンを中心に起用する形で小泉今日子がリリースした『BEAT POP』の当時の位置付けが「小泉今日子スーパー・セッション」名義での企画盤的なものであったのと比較すると、私立恵比寿中学が当たり前のようにこのような形でオリジナルアルバムをリリースすることは、非常に「今」を感じさせる「クロスオーバー」であると言えます。

●様々なクロスオーバーの形
 「アイドルに楽曲提供していた作家が後にソロとして活動する」ケースも昨今増えてきました。代表例は、前山田健一=ヒャダインでしょう。彼は、楽曲の特異性が話題となり、その結果自身でもミュージシャンとして音源のリリースやタレントとしての活動を行うようになりました。connieも興味深い活動をしています。彼女は一時Negiccoにまつわるほぼ全楽曲を担当し、現在はサウンドプロデューサーとして活動。そして今年になって初めて自身の名義でアルバムをリリースしました。

 なお、アイドル黎明期に数々の名曲を残した作曲家であり、バンド活動もしている森田公一を「現役ミュージシャンがアイドルの楽曲を最初に手掛けた事例」から外したのは、作家としてのデビューが先だったこと、また作家活動がメインであったためです。

 また、ミュージシャンとして活動しつつ、アイドルグループに自ら所属するアーティストの存在も。大森靖子は、ソロミュージシャンとして活動しながらアイドルに楽曲提供し、2018年には自らアイドルグループ・ZOCを立ち上げていますし、神聖かまってちゃんのドラマーみさこは、バンドじゃないもん!MAXX NAKAYOSHIのメンバーであり、作詞もこなしています。

 元々アイドルは芸能プロダクションやレーベルが主導する形で生まれたものであり、今も多くのグループがそのような形で活動しています。しかし、2000年代のアイドルブーム以降、女の子が自らアイドルとして名乗りを上げ、インターネット、特にSNSを駆使したファンとのコミュニケーション、そしてプロモーションをしながら活動を行うことが増えてきました。ミュージシャンがアイドルとして活動する事例は、ミュージシャンがアイドルシーンに触れ、自主的なアイドルのDIY的な活動に共鳴する形で生まれたり、育ったりしたものと言えるでしょう。

 一方、既存メディア経由で知名度を上げていくことが今も多いバンド等と比較して、完全にネット内で知名度を上げていく所謂「ボカロP」出身のミュージシャンも、その音楽性でもって運営からフックアップされる形でアイドルグループへの楽曲提供を行うようになっています。

 先述の、BABYMETALをはじめとして数多くのアイドルに楽曲提供するゆよゆっぺ、私立恵比寿中学に多数の楽曲を提供しているさつき が てんこもり、わーすたや虹のコンキスタドール等のグループに楽曲提供しているみきとP。また、現在PENGUIN RESEARCHのベーシストの堀江晶太は、元々kemu名義でボカロPとして活動し、その後ベイビーレイズの楽曲を作詞作曲、さらに彼女たちのライブ時のバックバンドのメンバーに参加するなど、様々な側面から活動を行っています。

 様々な媒体で自身が気軽に発信することもできるし、楽器ができなくてもクリエイターとして能力を発揮できる時代。バンド、シンガーソングライター、ボカロP、そしてアイドル。どんな肩書きであっても、才能がありそれを発信して多くの人に知られることができれば、他のクリエイターと交わることができ、「クロスオーバー」が起こりうる時代であるということでしょうか。

●おわりに
 現在の大衆音楽は、音楽番組の減少やYouTube等の動画サービスやストリーミングでの視聴機会の増加、SNSでのコミュニティ形成などにより、自分の好きなジャンルを深く知ることは容易になったものの、他ジャンルを知ることの「壁」は以前より高くなっているように感じています。

 しかし、J-POPやボーカロイドとアイドル、そしてその他のジャンルも含めて「クロスオーバー」することで、それぞれのファンが相互にその存在を知り、興味を持つことができるようになります。

 できるだけ多くの音楽ファンができるだけ広く音楽を知り、楽しむことができればきっとシーン全体が今以上に活性化すると思うのです。そのためにもさらに「クロスオーバー」が進んでいけばいいなと思います。

 個人的には、意外なミュージシャンが意外なアイドルに楽曲提供すると、それらはかなりの確率で「面白い楽曲」になるので、そういった作品をできるだけたくさん聴けることを期待しています。(O.D.A.)

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