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れいこいるか

20/8/7(金)

『れいこいるか』 (C)国映株式会社

いまおかしんじの映画には常に、どこか神代辰巳の影をひきずっているような印象がある。だらしなく、ふがいない男と女が、自堕落な性愛に溺れ、あてどなく彷徨っているさまを描いているところが似ているし、いまおか自身、これまでにも何度か、神代の遺作となった『インモラル 淫らな関係』(95)に助監督でついた時の強烈な体験について語っているからだ。 『れいこいるか』では、阪神・淡路大震災で幼い娘、れいこを亡くした太助(河屋秀俊)と伊智子(武田暁)の夫婦が離婚し、それぞれが癒しがたい傷を抱えながら、二十数年間という時間が過ぎてゆく。伊智子はなぜか、その後も物書き志望の男とばかりつきあい、失明の危機に陥ったり、太助も人を殺めて刑務所に入ったりと、それなりに切実で、波乱に富んだ、痛ましい出来事が次々に出来するのだが、映画はことさらにドラマチックな極みに向かう描写を周到に避けて、あくまで淡々と過ぎてゆく日常の営みの一エピソードのように収束させている。 伊智子の実家の酒屋に蝟集する愛すべき飲んだくれたちを、定点観測のようにスケッチする手さばきのよさは、ロバート・アルトマンの群像劇を見ているようだ(いまおかにはアルトマンの『ロング・グッドバイ』へのオマージュである『ろんぐ・ぐっどばい~探偵・古井栗之助』というハードボイルド探偵ものもある)。 神戸の長田区で一年にも渡って撮影されたというが、画面に滲み出すような<風景の力>には否応なく魅了される。それと相通じるが、終盤、ふたりが久々に対峙する場面で、かつてれいこに買い与えた、いるかのぬいぐるみが感動的な役割を演じていることにも胸を突かれる。さらに視覚を失った伊智子の耳に幻聴のように聞えてくるれいこの声、そして水族館で突然、その伊智子の口からが絶叫するように発せられる「れいこ!」という固有名の衝撃。 この映画では、一見、平穏を取り戻した日常の裏側にはりついている<死>が不意打ちのように浮上し、また深く沈潜する。いまおかしんじは、その断末魔のような痛みの感覚をも、さりげなく、諧謔をすら交えて描き切っている。伊智子が再婚した男が、ギャグのように、「パクリではなくオマージュ!」と性懲りもなく繰り返す場面があるが、『れいこいるか』は、奇しくも震災の年に亡くなった神代辰巳へのオマージュではなく、むしろ神代の〝呪縛〟からのびやかに解き放たれた、いまおかしんじの真の成熟を感じさせる傑作である。

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