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第4回:なぜ映画『HOKUSAI』は観る者を熱くさせるのか?

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5月28日(金)からいよいよ公開になる映画『HOKUSAI』は、江戸時代に活躍した天才絵師・葛飾北斎の半生を描いているが、単なる伝記映画ではなく、自身の絵を追求する男の姿を通じて観る者にメッセージを投げかける作品で、観ていると、どんな状況であっても前に進み続けようと思えてくる。

いまから170年以上も前に生きていた男の生きざまが、なぜ、現代の観客の心に響くのだろうか?

映画で初めて明かされる“若き日の苦悩”

映画『HOKUSAI』では、幼年期、青年期、そして老年期の葛飾北斎の姿が描かれる。砂の上に思うままに線を刻みつけて絵を生み出す幼い北斎(城桧吏)の場面で幕を開け、やがて柳楽優弥が演じる青年期の北斎がスクリーンに姿を現す。

腕はいいが、他人の指図を一切受け付けず、自分の描きたいものしか描かないと言い切る北斎は、仕事に恵まれず、貧しい暮らしを余儀なくされている。

そんな北斎に、人気浮世絵師を見出し、版元として活動している蔦屋重三郎(阿部寛)が目をつける。しかし、北斎は蔦屋から「何のために絵を描いている?」と質問されても答えることができず、美人画の大家・歌麿や、俳優を自由な筆致で描く若い絵師・写楽の才能を前に為す術もない。悔しさをぶつける場所もなく、絵は認められず、北斎は大きな挫折を味わう。

なぜ、自分は絵を描きたいのか? 自分は何を描くのか?

失意の中で北斎はあてのない旅に出る。移りゆく景色、降りしきる雨の中で北斎は自問自答を繰り返す。そして、ある日、たどりついた場所は……海だった。水に入り、寄せてはかえす波に身体を預けていた北斎は生死の境の中、ついに“自分”を発見するのだ。

本作の前半で描かれる若き日の北斎のドラマは、誰もが青春期に体験する迷いや挫折の物語だ。わかりやすい成功や栄誉、上昇のイメージを捨て去った若き絵師は、誰に頼まれたのでもない、成功するか/しないかとは関係のない"自分が本当に描きたいもの”に出会う。

本作は、現代を生きる若い観客、そしてかつて“若者”だったすべての観客に共感をもって響くはずだ。

決して止まらない。その時にしか見えないものを描き続ける

自身の描きたいものを見つけ、その才能を開花させた葛飾北斎は、人気絵師にのぼりつめていくが、彼はまだまだ成長を続けていく。

その題材は山々や花、そして波といった自然にとどまらず、人物、そして幽霊や架空の生き物といった“この世ならざるもの”にまで広がっていく。仕事場には弟子たちが出入りするようになり、創作の環境は変化。ついには妻から子を授かったことを知らされる。

本作では北斎の“人生の変化”もつぶさに描かれる。向こう見ずに突き進んでいく青年期、弟子を持ち、父親になっていく時期、そして年齢を重ねて老いが迫ってくる晩年……観客は映画を通じて、葛飾北斎の人生をたどることができる。

ポイントは、北斎はどんな状況、どの年齢であっても“その時の自分にしか見えないもの”を追求し続けていることだ。

劇中で老人になった北斎は病に倒れる。いまの呼び方で脳卒中の症状が北斎を襲い、命は助かるが、右手にしびれが残ってしまう。しかし、北斎は言う。「病にかかった今だから、見えるものがきっとあるはずだ」

絵師は自分に見えているもの、自分の中に浮かび上がったイメージを絵筆を通じて紙の上に生み出していく。だから、年齢を重ね、状況が変化すれば見えてくるものもきっと変わるはずだ。病に倒れた北斎は、そこで止まることなく、病になった自分にしか見えないものを求めて旅に出る。

映画では、さまざまな年代の北斎が“波”を描く姿が登場する。しかし、それは繰り返し描いたことで上達した波ではなく、“その場、その瞬間でしか描けない波”だとわかる。

私たちは人生の中で様々な事件や苦境に立ち会うことがある。想像もしなかった変化が訪れることがある。しかし、何が起こっても立ち止まらずに“いまにしか描けないもの”を追い求める北斎の姿は、私たちに大きな力を与えてくれる。

描き続ける北斎の背中と絵筆が観る者の“心を解き放つ”

病にかかった後に旅に出た中で得たものを描いた作品は後に「冨嶽三十六景」として知られる傑作群になった。

さらに北斎は自身の世界を追求しながら、当時の物語作家=戯作者との共同作業も続けている。映画の後半には北斎と共同で作業する戯作者・柳亭種彦が登場。武家の生まれでありながら、人々の風紀を乱すものとして幕府の取り締まりの対象になっていた読本の執筆を続ける青年・種彦は、北斎と年齢を超えた友情を築き、北斎の何があっても絵筆で世の中と勝負しようとする姿勢に背中を押される。

北斎は孤高の天才でありながら、弟子に慕われ、愛する娘・お栄にも愛され、戯作者とも友情を育んでいく。彼の姿は周囲に大きな影響を与えるが、北斎もまた、周囲の生きざまや理不尽な死、弾圧や取り締まりがなくならない世の中に敏感に反応し、さらなる変化を遂げていくのだ。

絵で世界は変えられるのか?

北斎は“変えられる”と信じて、生涯に渡って絵筆を動かし続ける。状況が変化しても、苦境が訪れても、病が自身を襲っても、表現への弾圧や取り締まりが厳しくなっても北斎は筆を止めることがない。

そのあまりにも真っ直ぐで、ひたむきな姿は、映画を観る者の心を大きく揺さぶることになるだろう。北斎が絵筆を動かす時、観る者の心は熱くなり、それまでの不安が解き放たれる感覚を味わうのではないだろうか。

ちなみに、何があっても決して揺らがないこの絵師はなぜ、自らを“北斎”と名乗るようになったのだろうか? その秘密も映画の中で明かされる。そこに込められた彼の想いは、観る者に大きな波を巻き起こすはずだ。

『HOKUSAI』
5月28日(金)公開

(C)2020 HOKUSAI MOVIE

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