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松重豊初の小説&エッセイ集「空洞のなかみ」、朗読ムービー第1回に向井秀徳

ナタリー

20/9/1(火) 4:00

松重豊

松重豊初の小説&エッセイ集「空洞のなかみ」(毎日新聞出版)が、10月24日に刊行される。

本書には、松重が書き下ろした連作短編小説「愚者譫言(ぐしゃのうわごと)」と週刊誌「サンデー毎日」での連載エッセイ「演者戯言(えんじゃのざれごと)」を収録。小説では、たった3行のセリフが出てこなくなり、廃業を考え始めた役者の“私”を主人公に、その葛藤が描かれる。またエッセイには、松重の日々の生活や修業時代のエピソード、食べ物にまつわる話などがつづられた。本書には「サンデー毎日」での松重の連載も担当するイラストレーター・あべみちこによる食べ物のイラストを掲載。装丁は松重のラブコールを受け、菊地信義が手がけた。

なお短編小説の各話を11人のミュージシャンと共に届ける、松重の読み聴かせ朗読ムービーが10月3日より1週ごとにYouTubeで配信されることも決定。第1回のミュージシャンには向井秀徳を迎える。併せてチェックしよう。

松重からのコメントは以下のとおり。

松重豊コメント

小説やエッセイを書いた理由

エッセイはもともと「サンデー毎日」で月に1回、連載していましたが、小説はまさにコロナ禍の真っ最中に外出を自粛しながら自宅にこもって一気に執筆しました。これまでの人生での経験の楽しかったこと、つらかったこと、傷ついたこと、理不尽な出来事などもすべて、自分を見つめながら書きました。自分の中にあった澱みたいなものが、堰を切ったように外に飛び出てきた感じです。コロナというのはいろんな人に対して、生き方を揺さぶっているんだと思います。なんとかしていい方向に向けなきゃと、皆さんも思っていたでしょう。僕としては、書くことが心のよりどころになりました。

タイトルの由来

40代を過ぎてから「自我や自意識は邪魔なものでしかない。空っぽの自分になるしかない」と自覚するようになりました。作中に弥勒菩薩が出てくるんですが、その菩薩自体が空洞の木像なんです。実は「空洞」が一番強い構造なんだそうです。空っぽの器に徹すると、俳優として役者をやるときに、それから人生を生きていくうえでもすごく楽になれるので、僕にとって「空洞」はどうしても避けられないテーマになんです。タイトルではその「空っぽの自分」を表現しました。

コロナ禍と執筆時期が重なったことについて

俳優っていうのは自分を空っぽにせざるを得ない職業なんで、それがコロナで、この先どうなるかわからない、空っぽがもっと空っぽになってしまったというときに、どんな極限的な空気が漂っているのかが小説にもちょいちょい出てきます。

人生に悩む人へのメッセージ

役者はある意味、わかりやすく「何々の役です」とはっきりと役が決まっているんですけれども、一般の方でも、たとえば「ああ、自分は医者だ」と思って医者をやっている人もいるでしょうし、「医者の役、やっちゃったな」っていう人もいるでしょう。「これ、俺には合わないな」とか、「この役、自分でどう演じればいいのかな?」って思っていらっしゃる方ってけっこう多いと思うんです。自分の「役」っていうのは「役割」という言葉にも置き換えられますし、果たして自分の役割になっているのか、そこに対してのアンチテーゼというか疑問符というか、あるんじゃないかと。自分くらいの年齢になってくると、「俺はもしかすると別の人生があったかもなあ」と夢想するわけじゃないですか。早期退職ということもあるでしょうし。そういう年代にも差し掛かってたんで、仕事や人生で悩んでいる人に、自分と置き換えていただけたらと思います。

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