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ビリー・アイリッシュはなぜ『007』主題歌に? シリーズの変遷と歌詞から、その歴史的意義を紐解く

リアルサウンド

20/3/8(日) 12:00

 2020年の期待の大作のひとつ、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』の4月公開が、新型コロナウイルスの影響で11月に公開延期すると発表された。総制作費約2500万ドル(300億円)、その10倍の興行収入が全世界で見込まれる作品だ。来月の公開に向けて、さまざまなキャンペーンが始まった矢先だったが、有力なファンサイトから延期の要望の声が出たり、中国で映画館が閉まっていたりなど、理由はいくつかある。

 以下は、延期発表の3日前に入稿した原稿である。ビリー・アイリッシュが『007』の主題歌を担当する歴史的な意義と、歌詞の考察について書いた。先日、ブリット・アワードでのパフォーマンスが話題になったばかりだし、曲そのものはガンガン聴けるのでこちらは当初通り公開しようという話になった。半年後の「コロナ騒動が終わった世界」に思いを馳せながら、参考にしてもらえれば幸いです。

(関連:ビリー・アイリッシュ、タイラー・ザ・クリエイター……『第62回グラミー賞』から浮かび上がった課題

■ジェームズ・ボンドとは何者か? シリーズの歴史とルーツを振り返る

 イギリスで最も有名な諜報部員、いや、最も知られた映画キャラクターといったほうが正しいだろうか。「007」ことジェームズ・ボンドを主人公にした『007』シリーズの5年ぶり25作目、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』の主題歌にビリー・アイリッシュが抜擢された、というニュースを知った時、「え?」と驚きながらも、数秒後に「似合ってるかも」と納得した映画ファンは多いように思う。それを証明するように、バレンタインデーの前日(日本時間で当日)に映画のトレイラーと一緒に公開された「No Time To Die」は、自身のアルバムの収録曲でもしっくり来るビリーらしい曲でありながら、きちんと『007』の世界観にはまっている。2月9日のアカデミー賞受賞式で、ファンを公言していたとはいえ、The Beatlesの「Yesterday」を割り当てられるという無茶ぶりにも動じなかったビリーである。18歳という若さばかり強調されるが、彼女は自分の得意分野をよくわかっているアーティストだ。

 曲の話に入る前に、『007』を耳にしたことはあるけど、よく知らないという若いビリー・ファンのためにざっくりとした説明しよう(詳しい人は、この段落を飛ばしてください)。第二次世界大戦で実際に諜報活動をしていた作家、イアン・フレミングが1950年代に書いたスパイ小説を元にした映画シリーズで、すべてのスパイ映画のプロトタイプになったといっても過言ではない。第1作目『007/ドクター・ノオ』が公開されたのが、1962年(昭和37年)。主演俳優を代えながら、58年間も制作され続けているモンスター・シリーズである。成功した大きな理由に、音楽の素晴らしさがある。ジョン・バリーが手がけたテーマソングは、すり足の足音が近づいてくるようなギターの調べだけで、危険で華やかなスパイの世界に誘う名曲であり、最も有名な映画のテーマソングのひとつだ。もちろん、主題歌も重要。日本で『007』シリーズに近い作品を無理やり探すとすれば、寅さんの『男はつらいよ』シリーズになるだろう。主役の渥美清こそ変わらないが、マドンナ役に抜擢されると女優に自動的に箔がついたように、『007』の主題歌を担当することは非常な名誉であり、ビリーは最年少でその名誉に浴したことになる。

 『007』シリーズの話をもう少し。ジェームズ・ボンドは、イギリス秘密情報部所属の諜報部員。つまり、国家公務員のスパイである。この秘密情報部は実在の機関で、英語ではSIS(シークレット・インテリジェンス・サービス)や、MI6とも呼ばれる。MI6(エムアイシックス)は、「ミリタリー・インテリジェンス第6部」の略。「ミリタリー」がついているように、戦争の時に敵国の情報を引き出すのが任務だ。悪役の設定など、その時代ごとの背景が組み込まれるが、ボンドが英国紳士らしくスタイリッシュだったり、毎回新しい秘密兵器が出てきたり、スタイル抜群のボンド・ガールと呼ばれる美女が揃っていたりと、「お約束」の多い、確固たる世界観のエンターテイメント作品である。また、原作の小説シリーズがジャマイカで書かれた史実を、レゲエ番長として強調しておきたい。イアン・フレミングが住んでいたオラカベッサ・ベイの敷地は、映画のタイトルから取った「ゴールデンアイ」というホテルになっている。持ち主はアイランド・レコーズ創始者で、ボブ・マーリーを世界に売り出したクリス・ブラックウェルであり、彼は映画の撮影にも関わっていた。ボンドがイギリス人であるにもかかわらず、紅茶が嫌いでジャマイカのブルーマウンテン・コーヒーを愛しているのも、イアンが実際に飲んでいたからである。

■『007』シリーズ主題歌の変遷と、ビリー・アイリッシュ起用の理由

 音楽に話を戻そう。歌詞のある主題歌で、初めてイギリスとアメリカのチャートに入ったのは、ポール・マッカートニー& ウイングスの「Live and Let Die」(1973年『007 /死ぬのは奴らだ』)。ボンドがショーン・コネリーからロジャー・ムーアに交代した最初の作品であり、クライマックスの対決シーンなどがジャマイカだったため、ポールは曲の展開に丁寧にレゲエを挟んでいる。1977年にフォークシンガー、カーリー・サイモンの「Nobody Does It Better(私を愛したスパイ)」はビルボードチャート2位、1981年シーナ・イーストンの「For Your Eyes Only」も2位を記録しただけでなく、アカデミー歌曲賞にノミネートされている。80年代、プロモーションビデオを延々と流して人気を博したMTV全盛期に入ると、映画に沿った主題歌や挿入歌に、映画のシーンとアーティストの登場場面を織り交ぜたビデオは強力なプロモーションツールになる。『007』シリーズも、それまでと趣向を変え、イギリスのニューロマンティックブームで大人気だったDuran Duranを起用する。その「A View to a Kill」(『007 /美しき獲物たち』)が大ヒット。Duran Duranが曲を作り、オリジナルのテーマ曲を作ったジョン・バリーがそれをアレンジしている。60人ものオーケストラの演奏を入れた壮大なスケール感があり、『007』の主題歌として唯一、ビルボードチャートの1位に輝いた。ビデオでは、57歳だったボンド役のロジャー・ムーアより、明らかにDuran Duranのメンバーがビジュアルで勝ってしまうという珍しい事態が起きたが、彼らが殺し屋に扮してエッフェル塔で暴れるビデオは、当時の日本でも大人気だった。かくいう私も子どもの頃は彼らの大ファンだったので、数少ない洋楽番組で放映されるのを心待ちにしていた。曲もビデオも今でも十二分にかっこいいので、興味を持った方はぜひチェックしてほしい。

 そろそろ、主役のビリー・アイリッシュに話を戻そう。主題歌には映画の宣伝の一部として、それなりに予算をかけられるが、マドンナの「Die Another Day」(2002年の同名映画)といった失敗作もある。ジャック・ホワイトとアリシア・キーズの「Another Way to Die」(2008年『007/慰めの報酬』)のように曲としては面白いが、主題歌にはしっくりこないケースもある。しかし、だ。2012年のアデル「Skyfall」(同名映画)と、2015年サム・スミス「Writing’s on the Wall」(『007 /スペクター』)は、2作続けてアカデミー歌曲賞とゴールデン・グローブ主題歌賞を受賞した。「Skyfall」は、ヨーロッパを中心に11ヵ国のチェートで1位を獲得した上、イギリスで最も権威のあるブリット・アワーズでも最優秀ブリティッシュ・シングル賞を受賞し、アデルの代表曲のひとつになった。2013年のアカデミー賞授賞式で初めてパフォーマンスして、その夜のハイライトになったのは覚えている人も多いのではないか。どちらもイギリスのトップシンガーによる荘厳なバラードで、『007』シリーズのイメージにぴったり。つまり、この前2作のおかげで、今作の主題歌は最初からハードルが上がっていたわけだ。

 しかし、今回もまた、ビリー・アイリッシュは怯まなかった(こうなってくると、彼女自身がスーパーヒーローみたいだ)。アメリカのシンガーが主題歌を担当したのは過去にも多くの例があるし、アイルランドとスコットランドの血を引くビリーは適任とも言える。「アイリッシュ」が本名のミドルネームであるのは有名な話だが、ラストネームの「オコンネル」もアイルランド(アイリッシュ)系の名前だ。『007』のサントラにビリーが起用されるニュースが入ってきたとき、映画制作会社が一番ホットな若手アーティストに白羽の矢を立てた、とほとんどの人が察したと思う(私もそうだ)。ところが、さにあらず。『007』の主題歌を手がけるのは、ビリーと兄のフィネアスがどうしてもやりたいプロジェクトで、彼女たちからアプローチしたという。ちょっと出来すぎな話だけれども、オコンネル兄妹にとって、祖先に敬意を払うようなプロジェクトであったのは事実だろう。トントン拍子に話がまとまったのはいいが、肝心の曲作りでいわゆる「ライターズ・ブロック」にビリーがかかり、行き詰まってしまったそう。「ライターズ・ブロック」は、文章を書くことを生業にしている人が避けられないスランプのこと。18歳の天才でも直面するのか、と少し親近感が沸くエピソードだ。そのスランプを、フィネアスが過去の『007』の曲を徹底的に研究し、ビリーはビリーで、主演のダニエル・クレイグをイメージして乗り越えたという。

■ビリーと『007』の世界観がシンクロした秀逸なリリック

 その「No Time To Die」は、裏切りや復讐めいた言葉を散りばめたダークな失恋の曲だ。グラミー賞の受賞スピーチで「自殺願望」といった強めのワードを発した18歳のビリー・アイリッシュのボキャブラリーと、58周年を迎えた『007』によく出てくるキーワードが被るのは、興味深い。たとえば、〈That the blood you bleed is just the blood you owe(あなたが流している血は、人を傷つけた分の血だよ)〉という歌詞。詩的な言い方だが、「そっちも痛い目見てよね」という復讐心に満ちた、「殺しのライセンス」とオーバーラップする秀逸なリリックである。コーラスを対訳してみよう(注:池城訳です)。

「That I’d fallen for a lie/嘘を信じ切ってた
 You were never on my side/私の味方だったことなんてないよね
 Fool me once, fool me twice/最初は騙したそっちが悪いけど 2回目は私の自己責任
 Are you death or paradise?/あなたって死神? それとも天国だった?
 Now you’ll never see me cry/もう泣いたりしない
 There’s just no time to die/死ぬ暇さえ ないんだから」

 ビリーが歌うと振られた女性の曲に聞こえるが、これはよく敵側の美女にひっかかるジェームズ・ボンドの心情だ。ビリーとフィネアスは、イギリスのベテラン・プロデューサー、ステファン・リプソンの助力と、元The Smithsのジョニー・マー(彼もアイルランド人だ)のギターをフィーチャーして、さらに『007』の世界観に近づけている。現時点で、イギリスですでにスマッシュヒットになっており、2月18日のブリット・アワードでは、ジョニー・マーと、音楽全体を担当しているハンス・ジマーと一緒に初披露した。

 『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は、ダニエル・クレイグが演じる最後のボンド作品であり、ジャマイカで隠居生活をしている場面から始まるという(楽しみ!)。『ボヘミアン・ラプソディ』で、フレディ・マーキュリーを演じ切ってアカデミー主演男優賞に輝いたラミ・マレックも悪役で登場する。監督は日系3世の父を持つ、キャリー・フクナガ。トレイラーで突然、能面が出てきたのは、監督が祖先に敬意を払ったからだと思う。

 半年間、楽しみに待っていよう。(池城美菜子)

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