リチャード・ジュエル
20/1/13(月)
(C)2019 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BVI)LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC
リチャード・ジュエルはもう死んだ。
クリント・イーストウッドはまだ生きている。
この作家があるときから、実話を映画化することだけに尽力するようになった理由が、少し分かったような気がする。
爆弾テロの第一発見者が第一容疑者となった事件の顛末を、あくまでも一個人のパーソナリティに目を向けながら描破する。
ここから社会的なメッセージを受信することはたやすい。だがイーストウッドは、被害者やら悲劇やらといった匿名性の強いタームを決然と無視して、“個的であること”だけに、そのまなざしを注ぐ。
リチャード・ジュエルには、彼だけが有する正義があった。彼だけが実現を夢見た理想があった。
しかし、個的な正義や個的な理想を貫けば、結果、世間と断絶することにもなりかねない。逆に言えば、世間に背を向けても貫こうと思える正義や理想が彼にはあったということだ。
わたしたちは、クソ真面目な人間をよく馬鹿にする。だがリチャード・ジュエルはクソ真面目に生きた。個的に生きるということは、世間を無視することでもある。
リチャード・ジュエルは個的に生きて、個的に実在した。だからクリント・イーストウッドはそれを伝える。わたしたちの個的な魂に向かって、真っ直ぐに、ど真ん中に、球を投げ込む。
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