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山本益博の ずばり、この落語!

お気に入りの落語、その一『たちきり』

毎月連載

第27回

(イラストレーション:高松啓二)

はじめにー落語は、寛容である。

「落語は、人間の業の肯定である」と名言を吐いたのは、立川談志である。

講釈、浪花節の勧善懲悪と違って、同じ演芸なのに、例えば『黄金餅』のように、斎場で弔った仲間の腹のあたりを探り、小判を掻き集めて、後日、「黄金餅」という餅屋を開いて大繁盛したという噺があるのが、落語なのである。「良いも悪いもない」人間の善行、悪業をそのまま受け入れる懐の深さが、落語が落語たる所以なのだというわけだ。

先年、塩野七生の『ローマ人の物語』(新潮社刊)を読んだとき、ユリウス・カエサルが遠征先で戦いに勝利を収めた後の捕虜の扱い方、また、代々の皇帝が国を治めてゆくときの施策の中心には「寛容の精神」が働いたことが大きかった、と言うことを学んだのだった。

今まで敵であろうが、人種、国籍、宗教、主義主張が違おうが、相手の尊厳をまずは受け入れてから、事を始める。つまり、「ローマ帝国」が長いこと、大国としてヨーロッパに君臨できたのは「寛容の精神」があったからこそというわけである。

いきなり「ローマ帝国」の話を持ち出して戸惑われた方もおいでだろうが、落語には、必ず「オチ」「サゲ」があるのだが、「オチ」を付ける、「サゲ」を言うことで、噺の夢の世界から、一瞬にして現実の世界に引き戻すことができる。

これを少しだけ角度を変えて眺めると、「一瞬にして、すべてをチャラにする」ことで、噺にあったことを「全部、水に流す」、つまり、すべてを赦して飲み込んでしまう。これもまた「寛容の精神」と呼べないだろうか? 誤解を恐れずに言えば「オチは寛容の表現のひとつである」と。

『千早ふる』の知ったかぶりのご隠居、『道具屋』の世間知らずの与太郎、『粗忽長屋』のそそっかしい熊五郎、『唐茄子屋政談』の道楽者の徳三郎、『居残り佐平次』の憎めない悪党の佐平次、『文七元結』の見栄っ張りの長兵衛など、落語国に棲む人たちは、すべて「寛容の精神」で生かされてきた住人なのではなかろうか。

これから、私が読み解こうとする落語の名作には、どれもに「寛容の精神」が溢れている。

十代の頃に落語に出合い、二十代の頃には、すでに「落語は一生の友」と考えていた。それから半世紀が経ったが、その感は一層強いものとなっている。

私のお気に入りの「落語」を、毎月一席取り上げ、私がその噺に惚れ込んだ理由を今一度考えてみたいと思う。ご一緒に考え、楽しんでくださったなら、これ以上の嬉しさはない。

『たちきり』ー元は上方噺、商家の若旦那と芸者の切ない恋物語

元来は、上方の噺で船場の商家の若旦那と南地の芸者小糸の切ないラブストーリー。東京で演じられる場合は、若旦那は日本橋あたりの大店の息子、小糸は柳橋の芸者となる。

演題の“たちきり”とは、芸妓と遊ぶ代金(花代、玉代、揚げ代ともいう)を、線香が燃えつきる時間で換算したことに由来する。一本の線香が“立ち切れる”と、そこで終わるか、もう一本線香をあげて延長するかとなる。演題を『たちきれ』『たちぎれ線香』とする演者もいる。落語家は、この芸者の花代の言われを、まくらで説明しておかないと、現代では、“オチ”がわからなくなってしまう。

この上方落語の大作を、初めて聴いたのは、1970年代初め、先代の五代目桂文枝が、まだ、三代目桂小文枝を名乗っていたころ、「東京小文枝の会」でだった。

小文枝の高座には、いつもはんなりとした色気が漂っていて、『たちぎれ線香』は、それにピタリとはまった演目だった。後年、小文枝はこの噺を十八番にしていた。噺の最後のヤマ場で、三味線が入るのだが、この三味線を革新派の邦楽家、桃山晴衣(はるえ)が弾いた小文枝の高座も聴いている。ここで弾かれる地唄は『雪』となっているのだが、このとき彼女が何を弾いたのかは残念ながら覚えていない。

『たちぎれ線香』は、上方落語きっての大作だから、その後ほとんど聴く機会に恵まれず、というか、小文枝の『たちぎれ線香』が耳に残って、他の落語家の高座を聴く気になれなかったというのが、本音である。

本当に久しぶりに聴いたのが、笑福亭鶴瓶の『たちきれ』で、数年前、赤坂の「ACTシアター」の4日間連続独演会の初日の高座だった。

芸者小糸に入れあげ、深い仲になった若旦那は、店の金にまで手を付けるようになり、番頭の肝いりで親族会議が開かれ、若旦那は百日間の蔵住まいとなって、蔵に閉じ込められることになった。

そんなこととは知らず、若旦那と芝居見物の約束をしていた小糸は、朝からソワソワ落ち着かず、早目に支度を済ませて、若旦那を待っていた。午後になっても、待ち続けた若旦那は顔を見せず、小糸は意気消沈しながら、芸者置屋の女将さんの許しを得て、手紙を書くことにする。毎日毎日、手紙を書けども、若旦那からの返信はなく、とうとう八十日目の手紙に次のようにしたためた。

「再三おたより申し上げ候えども、お越しこれなく、もしこのお手紙にてお越しくださらねば、もう、この世ではお逢いできまじと思いあげ候 あらあらかしく」

小糸は、恋煩いの挙句、死んでしまった。

ようやく百日目になって蔵から出てきた若旦那は、番頭から最後の手紙を見せられ、「そんなことだったら、蔵を蹴破ってでも飛んでいったのに」と驚き、その足で、小糸のもとへ駆けつけた。

そこで、一部始終を聴き、嘆き悲しむ若旦那は、小糸の位牌を手にしながら、仏壇に線香をあげた。すると、どこからともなく、三味線の音が聞こえてくるのだった。若旦那が贈ってあげた三味線を小糸が弾いているのだった。

聴き入るうちに、三味線の音が、突然、途切れて、聴こえなくなってしまった。

「小糸、小糸」と名を呼ぶ若旦那を女将さんが制して言う。

「もう、三味線は聴こえません。線香が立ち切れました」

鶴瓶の人(にん)には合わないのではと思っていた私は、若旦那の想いを丁寧に描く鶴瓶の高座にぐいぐいと引き込まれていった。

終演後、楽屋を訪ね、高座を絶賛したあと、師匠に一つだけこんな感想を伝えた。

「蔵入りしたその日、小糸と芝居を見にゆくはずだった若旦那が、番頭に、叶わずとも、芝居にいけなくなったことを伝えるため『いっときほど時間をくれないか』と懇願すれば、ふたりの思いのたけが観客により伝わるのではないでしょうか?」

すると、鶴瓶師匠「明日から、やります!」と即答してくださった。

COREDOだより 柳家さん喬の『たちきり』

東京の落語家で『たちきり』を聴きたいとなれば、柳家さん喬ではなかろうか? その念願かなって、8月1日の第21回COREDO落語会の高座で実現した。

噺のまくらで芸者の花代と“線香”の言われをさりげなく振ってから本題へ入っていった。さん喬の『たちきり』では、初心な若旦那より、純真な芸者小糸が光る。噺には、じつは小糸は登場せず、女将の述懐の中で、小糸が出てくる。若旦那への一途な思いが「お手紙書いてもいい?」となって、なんども懇願する。この繰り返しの台詞が、なんとも切なく迫ってくるのだ。

噺のヤマ場での三味線と唄は、さん喬師匠ご指名の太田そのさんで、通常の『雪』でなかった。あとで伺うと、『四つの袖』という俗曲だった。さん喬師匠から、噺の舞台が江戸東京なので、この曲に決めたのだという。ほとんどの客が眼がしらを熱くし、ハンカチで涙をぬぐっていた。

コロナ禍の中での落語会で、客席は半分、お客様はそれより少なかったが、時期も時期のこの名高座、聴いた方は久しく忘れることができないのではなかろうか?

お帰りのお客様を見送っているとき、年配の女性から「これも落語なんですか?」というお声をいただいた。きっと、笑いがほとんどない噺に驚かれたのと同時に、噺が心に深く刻まれたのに違いない。この晩は、プロデューサー冥利に尽きる落語会だった。

プロフィール

山本益博(やまもと・ますひろ)

1948年、東京都生まれ。落語評論家、料理評論家。早稲田大学第ニ文学部卒業。卒論『桂文楽の世界』がそのまま出版され、評論家としての仕事がスタート。近著に『立川談志を聴け』(小学館刊)、『東京とんかつ会議』(ぴあ刊)など。

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