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『アス』はアメリカ社会の暗部を映し出す 黒沢清に重なるジョーダン・ピールの作家性

リアルサウンド

19/9/28(土) 10:00

 映画監督にとって「2作目」は非常に難しいんです。特に1作目が高い評価を受けた場合、2作目によって、その作家の方向性や、真価が問われます。ジョーダン・ピール監督は初監督作『ゲット・アウト』で自ら手がけた脚本がアカデミー賞脚本賞を受賞し、各所で高い評価を受けました。それだけに、2作目となる『アス』には期待と同時に高いハードルを設けていた人も少なくなったと思います。でも、結論から言えば、『アス』もそのハードルを越えてきた傑作だと思います。

 アデレード(ルピタ・ニョンゴ)、その夫ゲイブ(ウィンストン・デューク)、娘ゾーラ(シャハディ・ライト・ジョセフ)、息子ジェイソン(エバン・アレックス)のウィルソン一家が、夏休みを過ごすために訪れた別荘で、自分たちに“そっくりな存在”と対峙し、恐怖の一夜を過ごす……というのが本作のあらすじです。

 『ゲット・アウト』もそうだったのですが、あらすじだけ並べるとピール監督の作品は非常にシンプルなんです。「あなたの生きている世界に、もしこんなことがあったら」というワンテーマの物語は短編向きだと思います。かつての『トワイライトゾーン』や『世にも奇妙な物語』というか。でも、それを30分弱の小話ではなく、2時間の映画として見せきれるところにピール監督のすごさがあります。私は似たタイプの監督としてM・ナイト・シャマランがいると思うのですが、彼はテーマを観客を置いてけぼりにしてしまうくらいにこねくり回し、作品と心中してしまうのに対し(だからこそ好きなんですが)、ピール監督は社会と向き合い、外へ外へと向かいます。結果、想像もつかない境地にたどり着くんだけど、ちゃんと地に足が付いている作品になっているんです。

 2時間の映画として成立させることができているのは、ただの恐怖や違和感を観客に与えるだけでなく、ホラーというジャンルを通して“いま”の世界を映し出しているからです。ウィルソン一家は衣食住、どれをとっても裕福な生活を送っていることが冒頭から垣間見えます。一方、彼らの知らないところで、「そっくりな存在=テザード」たちは、まったく同じ容姿をしているにも関わらず、劣悪な環境で生活してきたことが明かされます。ウィルソン一家は決して悪人ではありません。しかし、知らず知らずのうちに、豊かさの代償を誰かに担わせていたんではないかと、テザードたちの存在が突きつけてくるんです。それは、現実世界で現在進行系で起きている、貧富の格差や人種差別を実感している私たち観客にとっても他人事ではありません。だからこそ、テザードたちの恐怖を、より実態を持って感じるんです。

 そんな心理を突いた巧みな恐怖描写があるだけでなく、映像としての恐怖描写のセンスに長けているのもピール監督の特徴だと思います。テザードたちは、動き、声、表情と生理的に“気持ち悪い”と感じる絶妙なバランスがあります。人間であるはずなのに、人間ではない感じてしまう不思議な存在。ピール監督は、テザードたちが手を繋ぐ動きなどは園子温監督作『自殺サークル』を参考にしたとコメントしていますが、それ以上に影響を受けているのではと思わされるのが黒沢清監督です。『カリスマ』『降霊~KOUREI~』『回路』といった、2000年前後、黒沢監督が生み出した、映像だけでなく思想や世界観がいやーな雰囲気を持つ傑作群を思い出しました。自分の身の回りで起きていることが、いつの間にか世界を揺るがす大きなものに繋がっていた、という構成も似ています。テーマはまさに『ドッペルゲンガー』、デザードが燃えるカットは『降霊』、ラストカットは『カリスマ』を想起しました。黒沢監督もホラーの可能性を押し広げていった作家ですが、その点においてもピール監督も共通していると言えると思います。

 テザードたちの武器がハサミというのも秀逸でした。80年代までのホラー映画のキャラクターたちは、CGなどの技術がまだ発達していないこともあり、“手作り”で生み出されていました。『悪魔のいけにえ』レザーフェイスのチェーンソーや、『13日の金曜日』ジェイソンのホッケーマスク、『エルム街の悪夢』フレディのグローブと、今日まで語り継がれるキャラクターには、シンボルとなるアイテムがあり、どれも現実に用いられているものだからこそ、生々しい恐怖があった。本作のテザードたちがハサミという非常に身近なものを武器としているのも、ピール監督がそれらの作品を観て育った世代だからだと思いました。デザインも奇妙な美しさが感じられ、恐いのに目が離せないというホラーならではのアイテムとなっていました。

 先日、ホアキン・フェニックス主演の『ジョーカー』を観ていても感じたのですが、アメリカの社会を映し出す作品が、アメコミ映画や、本作のようなホラー映画といったジャンル映画から今は生まれているのが非常に面白いなと思います。90年代まではオリバー・ストーン監督を筆頭に、実際の事件などを題材としたザ・社会派映画が多数ありました。でも、現在は少なくなってしまい、かつてのように論争を巻き起こすこともありません。もはや実際にあったことを題材にするだけでは、観客も刺激を受けなくなってしまったのかもしれません。一方、ジャンル映画も楽しいだけ、怖いだけでは受け入れられなくなっているのだと思います。だから、キャラクターだけを利用したとも言える『13日の金曜日』『エルム街の悪夢』のリメイク作はまったくヒットしませんでした。

 だからこそ、『ゲット・アウト』に続き、『アス』でもアメリカ社会の今を映し出したピール監督は期待に応えた上で自身のオリジナリティを確立させたと思います。これまで高い評価を受ける黒人監督の作品と言えば、スパイク・リー監督に代表されるように、“黒人監督だからこそ描けた人種問題”といったような非常にストレートなメッセージがありました。そして、そこにブラックムービーとしてのブームのようなものも生まれた。ただ、それは“本流”ではないからこそ生まれたブームであり、いわば黒人監督の“特別”な作品だったわけです。でも、今はライアン・クーグラー監督作『ブラック・パンサー』しかり、『ゲット・アウト』しかり、もはや特別な作品ではなく、いい意味で“普通”の作品になっている。そこが凄いです。

 あのブームを知っているからこそ、今の状況には驚かされるのですが、思えばアメリカ映画とは、そういった作り手のエネルギーを吸収するかのように進化していったのです。映画の最前線であり続けると同時に、世界中の観客を魅了する映画を生み出す状況はまだ、変わらないでしょう。私はこのような作り手が出てくるからこそアメリカ映画は面白いな、と思わされるのです。(松江哲明)

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