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山本益博の ずばり、この落語!

第十八回『柳家小満ん』 令和の落語家ライブ、昭和の落語家アーカイブ

毎月連載

第18回

19/11/30(土)

『特撰 柳家小満ん 江戸景色』(販売元:ソニー・ミュージックダイレクト)

毎年12月12日が近づいてくると、いまでも先代八代目桂文楽を思い出す。昭和46年12月12日が命日である。

昭和43年(1968年)、私は早稲田大学第二文学部に入学し、3月に「国立小劇場」で開かれた「第五次落語研究会」の第1回公演で出会った桂文楽の『明烏』に魅かれ、卒論のテーマに「桂文楽」を選び、大学の4年間、文楽の高座を追いかけ続けた。

卒業論文『桂文楽の世界』を400字詰め350枚にまとめ、それを2度書き直し、3度目の原稿が出来上がったのが、12月11日の夜だった。翌日、何気なくテレビを見ていると、昼のNHKのニュースで「今朝9時18分、落語家の桂文楽さんが肝硬変で亡くなりました」と報じた。大学入学時に卒論のテーマを「桂文楽」に決め、その卒論を書き上げた翌日に桂文楽がこの世を去った。なんという因縁だろうか?

その卒論『桂文楽の世界』をまとめるのに大変お世話になったのが、文楽最後の弟子、桂小勇さんだった。当時は二つ目、現在の柳家小満ん師匠である。

山本益博(筆者・左)、桂小勇=現在の柳家小満ん(右)

私の祖母の代から行きつけの、浅草の老舗の寿司屋「弁天山美家古」に毎日通っていた金原亭馬生師匠が、『林家正蔵随談』の本を上梓された麻生芳伸さんを紹介してくださり、麻生さんが桂小勇さんに引き合わせてくださった。

私は、上野の本牧亭や浅草の雷中会館で定期的に開かれていた「桂小勇の会」という二つ目の勉強会の裏方のお手伝いをしながら、時間を見ては「桂文楽」の日常のお話を伺った。

文楽は、手ぬぐいの代わりに白いハンカチを扇子と一緒に持って高座に上がっていた。そのハンカチを家で風呂に入った折に洗い、窓ガラスに張り付けて乾かすと、アイロンをかける必要がないことを師匠が教えてくれたとか、師匠はことのほか脂っこいものが好物で、すき焼きを食べるのにも、鍋に割り下を入れて、牛肉をすき焼きにするのではなく、なんとバターをたっぷりと敷きつめ、そのバターがふつふつ煮立つなか、霜降りの牛肉を入れてすき焼きにして食べるのを好んだなど、今でもすぐに思い出されるエピソードがいくつもあり、バターのすき焼きは、小勇さんが私を自宅に呼んでくださって、実演までしてくださった。

『新春 おすみつき寄席 二ツ目小僧の会』番組表(昭和47年1月12日)

文楽が亡くなった後、桂小勇は、五代目柳家小さん門下の預かり弟子となり、昭和50年(1975年)、三代目柳家小満んを襲名し、真打に昇進した。その間、昭和48年(1973年)には、第2回NHK新人落語コンクールにおいて、『出来心』で最優秀賞を受賞している。二つ目小勇時代の時から、文楽譲りの清潔感と格調のある高座で、文楽の十八番(おはこ)であった『厩火事』『景清』などは、聴かせどころを心得た演目だった。

小さん門下に移ってからは、意識的に「文楽」から離れようとしたのか、それとも小さんが得意にしてきた長屋噺、滑稽噺に自分流の磨きをかけようとしたのか、随分と芸風が変わっていった。それは、淀みがなく、力みもない、淡々とした噺の運びで、現在は「長生きするのも芸のうち」と言った「老成」を目指しているような高座である。人が言う「俳味」を感じさせる落語。

近年、風貌が先々代四代目柳家小さんに似てきた。最初の師匠桂文楽は、『愛宕山』『富久』などでドラマティックと言えるほどの熱演を見せて、観客を沸かせたが、これからの小満んは、ほとんど左右に振り分けずに、噺を運び、それでいて長屋の人々の人間模様、人情の機微を描き分ける柳家のお家芸である滑稽噺で私たちを楽しませてくれるのではなかろうか。

豆知識 『唸る、語る、読む、咄す』

(イラストレーション:高松啓二)

寄席の話芸と言っても、いろいろとあります。お寺の「節談説教」から生まれ、枝分かれしたものに、「浪花節」「講釈」「落語」があります。「浪花節」は「浪曲」とも、「講釈」は「講談」とも呼ばれています。

「節談」というように、説教者が、冒頭に世相の話題を取り上げながら、いつしか本題に入り、次第に話が熱を帯びてくると、おしゃべりに節がついて、まるで歌うような調子になってゆきます。聴衆が飽きないように巧みに笑いを挟みながら、最後は「ありがたいお話」にまとめて、高座を終えます。

朗々としゃべるところは「講釈」に、節の付いたところは「浪花節」に、笑いと取ったところは「落語」に発展してゆきました。

というわけで、「浪花節」は「唸る」、「太平記読み」などと呼ばれるように「講釈」は「読む」、口から出まかせの「落語」は「咄す」と言われるようになりました。「語る」は「浄瑠璃語り」というように、義太夫が「語る」です。

プロフィール

山本益博(やまもと・ますひろ)

1948年、東京都生まれ。落語評論家、料理評論家。早稲田大学第ニ文学部卒業。卒論『桂文楽の世界』がそのまま出版され、評論家としての仕事がスタート。近著に『立川談志を聴け』(小学館刊)、『東京とんかつ会議』(ぴあ刊)など。

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