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荒木経惟 写真に生きる 写真人生の出会い

愛猫・チロとの出会いと別れ。 自分の脳のフィルムに刻み込んだ。

全11回

第8回

19/2/21(木)

陽子とチロと3人家族
一緒に時を過ごした

 チロはね、陽子が春日部の実家からもらってきたんだよ。生後4ヶ月ぐらいだったかな。(1988年3月に生後4ヶ月の雌の仔猫が妻・陽子の実家からもらわれてくる。)
 俺は、猫の匂いが臭くて嫌いでさ、陽子は猫が好きで飼いたいって言ってたけど、ずっと飼わないからねって言ってたんだ。もらわれてきた時も、何だこの匂いは!って。でもね、すぐにコロっていっちゃったね。もうね、可愛いんだよ〜。チロは俺が猫嫌いだってわかったんだよね、コロリコロリと離れなくてさ。寝コロリコロリするしさ。あの頃からダジャレで言ってるんだけど、ネコロリコロリって。ネコロリコロリで、やられちゃったんだよ。アハハ(笑)。

陽子とチロ。1988年撮影。チロは1987年11月23日、埼玉県春日部で生まれの雌猫。陽子の実家が飼っていた猫が産んだ2匹の内の1匹。

 それから、陽子とチロと3人家族っていう感じだったね。新聞読もうと広げると、上に乗って邪魔するしさ。原稿書いて文学しようとすると、原稿用紙の上に乗っちゃう。ソファで俺が昼寝すると、チロも俺のオマタの上にうずくまって寝るんだよね。ほら、俺とチロが寝ている写真があるだろ。『我輩は猫である』を読んであげたこともあるよ(笑)。

 チロちゃんがウチに帰ってこなかったことがあってね。陽子と一日中、捜しまわってさ、チロ、チロって呼んで。真夜中も捜しに行ったけど、どこにもいないんだ。バルコニーを何度も見たけど、帰ってきてなくてね。チロが帰ってきた夢を見て、飛び起きてバルコニーを見たけどいない、どこ行ったんだよ〜って、そしたら鈴の音がしてね、振り返ったらチロがいた。いなくなって3日目に帰ってきたんだけどね、陽子はチロを抱きしめて、泣いてたね。

 陽子はさ、俺とチロの性格が似てるって、いつも言ってたんだよね。(「いつもいつもチロは大好きなパパの匂いを追いかけている。私の見るところ、夫とチロは性格が似ている。どちらも淋しがりやで情が厚くてクレージーだ。お互いにいい相手にめぐり会えてよかったじゃないの。」荒木陽子の著書『愛情生活』より。)

 俺の脚の上にチロが乗って、陽子が寄りかかっている写真があるだろ。俺と陽子とチロ、3人がテレビを観てる写真なんだ。チロは猫なんだけど、そうじゃないんだよね。チロとは、ずっ〜と、一緒に時を過ごしたという感じなんだよ。

チロ。1988年撮影。
チロと荒木。1988年撮影。
陽子とチロと荒木。1989年撮影。

 陽子はさ、『愛しのチロ』【註1】ができるのを楽しみにしてたんだけど、間に合わなくてね。陽子の棺の中に出来上がったばかりの『愛しのチロ』を入れたんだ。
 陽子が入院している間、俺が病院に見舞いに行って帰ってくるだろ。シ〜ンとしている。音もない。気持ちもそうだしさ、そうするとね、チロが家の中を走り回ってくれたりしたね。陽子が亡くなった時もそうだった。雪の多い年でさ、ずっと家にこもってたんだけど、チロがバルコニーにパーッて走って出てって、雪の中を跳ねたんだよね。飛び跳ねて、俺を励ましてくれた。『センチメンタルな旅・冬の旅』【註2】のラストシーンの写真ね。シッポがさ、勃起してるみたいだろ。

『センチメンタルな旅・冬の旅』より。1990年撮影。

陽子が亡くなった後
俺に寄り添い、励ましてくれたチロ

 陽子が亡くなった後、俺に寄り添って、励ましてくれたのがチロ。そのチロもね、逝っちゃった(チロが息を引き取ったのは2010年3月2日)。チロは22歳でさ、人間だと100歳を超えてて、長生きの長寿の猫だって、世田谷区から賞状をもらったこともあるんだよ。

 みんなよくペットロスなんて言うけど、そんなことないよ。もう土に返してあげたんだから。ちゃんと写真にとってあるから、もう。二つの要素があるけどね。写真がなければ、こんなことまで思い出さないのにというのと、逆に思い出させてくれるという。二つあるんだ。だって今だってさ、陽子が入院しているときにね、チロが、彼女のベッドの上にポツンとさ、座っている写真とかあるじゃない。そういうのを見ると、ヒャ〜ってなるんだよね。入院していて、ずっと帰ってこないとき、陽子の代わりにかな、そこにスポンといたね。

 俺の場合、写真に全部残っているから、ペットロスなんてないんだよ。写真に残っているから、写真を見ればいいの。寂しいですか?って言われるけどね、寂しくないって言うんだ。今思うとさ、あん時あれだったなあって、そういう感じがするんだ。要するにきっかけね。あれ、チロ、どこかな、こんなことあったなぁとかさ。いろんなときに、チロのことを思い出す。

 やっぱりね、ロスじゃないけど、写真を撮ることで埋めていたかもしれないね。最初にチロが来たときは、ネコロリコロリだろ。最後はさ、最後の写真を撮るぞー、ポートレート撮るぞーというときに、クッと目を見開いた時とかさ、そういうのを覚えている。最後はね、もう倒れてて。その姿も、最後まで撮ってる。チロの最後のポートレートを写真集(『チロ愛死』【註3】、『センチメンタルな旅・春の旅』【註4】)にも入れてるけどね。そのときには、もう力がなくなってるから、チロは近くまで来れないんだ。いつもはペンタックスの一眼レフで、35mmで撮るんだけど、このときは50mmのレンズに変えて撮った。チロに「ポートレート撮るぞ!」って言って。「さあ、こい!」って。カメラを向けたらね、チロの目に涙がたまってんだよね。

『センチメンタルな旅・春の旅』より。2010年撮影。

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