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森見登美彦が語る、愚かで愉快な青春 『四畳半タイムマシンブルース』はラムネみたいな小説に

リアルサウンド

 森見登美彦の初期代表作のひとつでアニメ版にもファンが多い『四畳半神話大系』の続編となる『四畳半タイムマシンブルース』が、7月29日にKADOKAWAより発売された。本作は、『四畳半~』のアニメ脚本を手掛け、森見とも親交の深い劇団ヨーロッパ企画の上田誠の戯曲『サマータイムマシン・ブルース』が原案。主人公たちが、アパートに現れたタイムマシンで、エアコンのリモコンを取り戻すため昨日と今日を行き来するドタバタコメディ作品。

 リアルサウンドブックでは、ファン待望の続編を上梓した森見にオンライン取材を敢行。森見にとっても久々となったキャラクターたちとの再会について、原案のある作品への取り組み方について、また自身が大学生だった時に感じていた「青春」についても語ってもらった。(編集部)

ーー新作『四畳半タイムマシンブルース』は、劇団「ヨーロッパ企画」の上田誠さんによる戯曲で、2001年に初演、2005年には映画化された『サマータイムマシーン・ブルース』を、森見さんの小説『四畳半神話大系』と融合させたものです。合作の構想はいつごろから抱いていたのでしょう。

森見:上田さんとは10年以上のお付き合いなんですが、テレビアニメ『四畳半神話大系』や劇場アニメ『夜は短し歩けよ乙女』などの脚本を手掛けていただくなど、一方的にお世話になりっぱなしで。一度くらい、僕が上田さんの舞台を小説にしてみたい……というか、やらないと申し訳ないと思っていたんですよね。ということを、ぽろっとKADOKAWAの担当編集に漏らしたら、「じゃあ上田さんにお話を通しておきましょう」と言われ。ちょうど、上田さんが脚本を担当していた劇場アニメ『ペンギン・ハイウェイ』の制作が決まった頃だったので、京都でスタッフの顔合わせがあったあと、一席もうけてお願いしたのが始まりです。書き始めたのはけっきょく、それから1年以上経ってからですが。

ーー『サマータイムマシン・ブルース』を選んだのは、群像劇の多い上田さんの舞台の中でもいちばん書きやすそうだったから、とのことですが、そのままの世界観で小説にするのではなく、『四畳半~』と組み合わせたのはなぜだったのでしょう。

森見:単純に、失敗したくなかったんです(笑)。あの作品の世界観は、役者さん一人ひとりのエネルギーや表現の個性込みで成立しているので、小説で再現するのは難しい。確実に書きあげるためにはどうしたらいいか……と考えたときに、個性的なキャラクターを役者的に使って書く、というのがいちばんいいのではないかと思った。

ーーなるほど。劇団「四畳半神話大系」の役者たちが、「サマータイムマシン・ブルース」を上演する、っていう感じなのでしょうか。

森見:ああ、そうです。だから、純粋に『四畳半神話大系』の続編というよりは、自分で二次創作を書いた感覚に近いんですよ。それから、『サマータイムマシン・ブルース』と『四畳半神話大系』で描きだされているものは、意外と共通しているような気もして。『四畳半神話大系』は、入学早々どのサークルを選ぶかによって細部の異なるパラレルワールドを各章で描く、いわば横に広がっていく物語。かたや『サマータイムマシン・ブルース』は、壊れてしまったエアコンのリモコンをとりもどすべく、タイムマシンで昨日と今日をいったりきたりするという、縦に動く物語。どちらも、反復の世界を描くことで、永遠のサマータイムをさまよう大学生の日常を浮かび上がらせているんです。

ーー“永遠のサマータイム”について書かれた第二章の冒頭、すごくよかったです。〈昨日と同じ今日、今日と同じ明日……時空の彼方まで延々と連なる、代わり映えのしない四畳半の行列。昨日が今日と同じで、今日と明日も同じであるなら、この夏にどうして終わりがあり得よう〉というところが、とくに。

森見:それはぼく自身が大学生の時に実感したことで。この代わり映えのない境遇から、本当に自分は脱出できるのだろうか? という鬱屈を抱えていた、あのころの気持ちが反映されています。抜け出そうとあがく主人公のさまざまな可能性を提示したのが『~神話大系』ですが、けっきょく何を選んでも自分の未来は変わらなかったし、どうあがいたって変えられないんじゃないか、みたいなことを、声高に言ってしまうと、救いのない感じになってしまうじゃないですか。だから、何をしても変わらない、その停滞を逆手にとっておもしろいドタバタ劇をつくりたい、という気持ちが『~神話大系』を書いたときにはあったのかも。

ーーそれって、大学生だけじゃなくて、大人も感じることじゃないでしょうか。むしろ「卒業」という区切りがないぶん、大人のほうが「死ぬまで代わり映えのない日々を過ごすのか?」と思いながら生きている人は多いのでは。

森見:「もしあの道を選んでいたら、どうなっていただろう?」みたいなことは、いくつになっても考えますよね。でも僕は、どうするのが“いい”とか“悪い”とかはあまり割り切らないようにしているところがあって。楽しさや不安をまぜこぜにしたところに味がある……というのは、もやもやした学生だった自分の正当化ですけれど(笑)。『サマータイムマシン・ブルース』では、25年後の未来からタイムマシンに乗った男がやってくることで、どんなやり直しも可能になるわけですが、別の時代に行ったり壮大な冒険をしたりするのかと思いきや、昨日からクーラーのリモコンをとってこようとするだけ。『四畳半神話大系』も、並行世界という大風呂敷を広げながら、どのサークルを選べばよかったのかという小さな選択について考えるだけ。どちらも、登場人物たちは、抜け出せない“今”に対する鬱屈を抱えながら、小さな現実を全力で満喫している。だからこそ、我々が生きていくうえで普遍的な感情が浮かびあがるのかもしれないな、と思います。

かわいらしくなって戻ってきたキャラクターたちと、強まった明石さんとの恋愛模様

ーー久しぶりに登場人物たちと再会して、いかがでしたか?

森見:もう一度書けると思っていなかったので、楽しかったですけど、意外と悩みましたね。『~神話大系』のころは出たとこ勝負で、思いつくままに彼らを動かしていたけど、今回は意識的に彼らを“動かそう”としているから、自然体の彼らを描けているだろうか?と心配になりました。主人公の悪友・小津の良さを出すのもなかなか難しくて。彼は基本的に暗躍してナンボの男なのですが、タイムマシンをめぐるドタバタでは秘密裏に何かをするというイベントがあまり発生しない。

ーーリモコンを取り戻すというささやかな事象でも、過去が変われば未来が消滅してしまうかもしれない!という危機感をもってみんなが奔走するなか、余計なことばかりする彼の言動はかなりおもしろかったですが……。

森見:それならよかったです。古本市での“私”とのやりとりも、うまく書けてよかったなと思いますが、彼が本来の力を発揮しているかというと……陰謀がないぶん、不完全燃焼なところがありますね。暗躍が、あまりにささやかなので。

ーーブログでは、全体的にみんなが丸くなって愛らしくなったとおっしゃっていましたが、個人的には映画サークルのボス・城ヶ崎さんの印象が、以前よりもかわいらしくなった気がしました。『~神話大系』でも、後になればなるほど、人間味とかわいらしさの増す人ではありましたが。

森見:今作で彼は、だいぶひどい目にあわされますしね(笑)。冒頭、アパートで撮影をしている場面あたりは、面倒くさくてうざいヤツというイメージで書いていたんですが、後半、タイムマシンでとんでもないところに飛ばされたあたりから、非常に気の毒になってきて……。しかも今作では、過去を変えてはならぬ、という考えにおいては主人公と手を結ぶ立場になっている。「我々の手で未来を守るのだ!」と使命に燃えているわりに不遇、という流れが、かわいらしさにもつながったのでしょう。あとは、もともと城ヶ崎さんって不思議な人で、樋口さんや小津のようなかっちりとした個性をもっていないんです。典型的に横柄な先輩かと思いきや、わりと相手によってどうとでも顔を変える人でもある。

ーー相手や状況がどうあれ変わらなさすぎる樋口さんが特殊ですけどね(笑)。四畳半アパートの最古参で、天狗ともささやかれる男。25年後の姿が、未来人の田村くんから明かされたときは、笑いました。そしてもう一人、大事な登場人物が後輩の明石さん。今作では、小津と明石さんと三人でアパートにいるところから始まりますし、『~神話大系』よりも恋愛小説としての読後感が強かったです。

森見:“私”に物語の主眼を置くとどうしてもそうなってしまうというか、タイムマシンが現れたことによって彼女との関係がどう影響を受けるか、に重心を置かざるをえなかったんですよ。上田さんの『サマータイムマシン・ブルース』でも、主人公がヒロインを映画に誘えるかどうかは一つの見どころでしたが、物語の主軸はあくまで、タイムマシンをめぐってみんなが騒動を起こす群像劇でした。僕が小説にすることによっていちばん感触が変わったのはその部分かもしれません。

 実をいうと『~神話大系』も主軸は恋愛ではなくて、基本的に、黒い糸で結ばれた小津と“私”の物語。明石さんは脇役なんですよ。当時は、デビュー作『太陽の塔』を書いて一年しか経っておらず、あの濃密な腐れ大学生を書いた自分を裏切ることになるんじゃないか?というわだかまりがあって、主人公と明石さんを明確に“くっつける”ことができなかった。ようするに『太陽の塔』の薄暗い世界から『夜は短し歩けよ乙女』の明るい世界へ向かう過渡期だったんですよね。でも今となってはそういうわだかまりもないし、「勝手に幸せになるがいい」と思っていますからね。小津にはちょっと退いてもらって、あくまで主人公と明石さんの物語として書きました。結果、どちらかというと読後の印象は『夜は短し~』に近くなりましたね。

“書きながら考える”ことへの回帰が生んだ、夏のラムネのような爽やかさ

ーー原案つきの作品を書く難しさは、なにかありましたか? 

森見:そうですね……。映画のかわりに、明石さんを送り火に誘うかどうかを悩ませるとか、古本市を登場させるとか、書きだす前から入れたいエピソードを断片的には考えていたんですが、上田さんの脚本を綿密に場面分けして、細かいプロットを立てると、熱が冷めて書けなくなりそうだったので、なるべく決めずに書くようにはしていました。クーラーのリモコンを失い、タクラマカン砂漠のごとき熱帯と化した部屋で、“私”が小津と向かい合っているところに、明石さんが顔を出す。その最初のシーンだけを思い浮かべて、書きはじめて。「どのくらいのタイミングでタイムマシンが出てくるのか?」「いつ樋口師匠が起きてくるのか?」という展開については、書きながら少しずつ考えていきました。おおまかな流れ自体は、DVDを何回も観ているので頭に入っていますし、改めて確認したのも本当に細かいところだけじゃないかな。

ーーふだん、プロットは事細かにつくるほうですか?

森見:もともとはそうでもなくて、この数年、つくれるようになりたいと思って頑張っていたんですが、最近はまた、つくらないで書く方向に戻ってきました。今作の場合は、上田さんの戯曲ありきなので、好き放題というわけにはいかず、あらかじめ組み立てる部分はありましたけど、それでもできるだけ、最初からコントロールしすぎないで書こうとはしていました。

ーーそれは、経験のなかで、あえてプロットをつくらなくても書ける手ごたえみたいなものを感じたから?

森見:そうです、と言えたらいいんですけど……。「もはや、プロットは不要。書けば自然と落ち着くべきところに落ち着く」なんて言いたいところですが、あらかじめ考えたところで大したことが思い浮かばない、というのが実情です。どうも、自分でつくった枠に自分を縛りつけてしまうみたいで、書きながら考えていったほうが、予想外の方向に文章が膨らんでいく。たぶん、最初にプロットをつくってしまうと、書きながら考えるという作業をサボってしまうんだと思います。今は、構成をしっかりさせつつ、いいかげんさをもたせるには、どうしたらいいか模索中です。

ーー今作で、書きながら思いついてうまくいった場面などはありますか?

森見:そうですね……。ちょっとネタバレになってしまうんだけど、ラストのほうで、けっきょく“私”は明石さんを自分の意志で誘ったのか、それとも……みたいになるところがありますよね。あの不可思議な状況は舞台版にも映画版にもなくて、書きながら自然と生まれたもの。たぶん、書く前に頭だけで考えていては描けなかった場面なので、それはおもしろかったですね。

ーー不可思議といえば、この作品は全体的に不可思議で。「あのときこうしていれば」を目の当たりにして、過去の自分を叱咤しながら、一歩踏み出して行動してしまうと、現実が生まれてしまうために何もできない。それでいて、『~神話大系』にもあったように、どんな失態も後悔を経たとしても、必ず“今”に繋がってくるという……。あれ? けっきょくどうするのがよかったんだっけ? と困惑しつつ、その困惑がすごく楽しかったです。

森見:そこで一歩踏み出さなきゃいけないことを今の自分はわかっているんだけど、過去の自分にそれをされては非常に困ってしまうという……。そういうモヤモヤした状況も、タイムマシンがあるからこそ生まれてきたもので。僕も書いていておもしろかったですね。

ーー書き終えて、ふりかえってみて、いかがですか?

森見:夏のラムネみたいな小説になったなあと思います。ここまでシンプルで爽やかなテイストは、もしかしたら初めてかもしれない。『夜行』や『熱帯』みたいに、最近は読み心地だけでなく、書いている僕がまいっちゃうようなヘビーな作品が続いていましたからね。風通しのいい作品になったのはうれしいですし、上田さんのおかげだとも思います。上田さんの戯曲をどう再現するか、ということには苦心したけど、「もっと煮詰めなきゃ」と自分の内側に閉じこもるようなことはなかったので。

ーー“私”が抱えているものとは少し違いますが、閉塞感を抱えていたり、停滞している日常に思い悩んでいる人たちが多い今、心に爽やかな風を吹かせてくれる小説だと思います。正当化とおっしゃっていましたけど、抜け出せない日々のなかにあるのは、焦りと鬱屈だけではない、と。

森見:そう……ですね。先ほども言いましたけど、僕自身が大学時代に体感していた感覚が強く描かれているので、今の人たちが抱えているものとどれだけ近いのかはわかりませんが……。反復する日々に魅入られる気持ちと、でもその反復をずっと続けていると腐ってしまうという焦り。矛盾した二つを孕んでいるのが青春なのかな、と思います。今でもよく覚えているのが、四畳半で暮らしていた大学生時代、夜中にこそこそ起きだして、近所のコンビニに寄ってから、24時間営業の本屋さんに行っていた日々のこと。2時、3時でも必ず立ち読みしている学生がいて、それを横目に僕も本を物色する。めちゃくちゃ楽しいけど、こんなことしていたらダメになるというのも、わかっていた。今のままでいいとは思っていないけど、今が無価値だとも思っていない。いずれは出て行かなきゃいけないことはわかっているが、もうしばらくはここにいたい。……その感覚を追体験できるのが、小説家のいいところだなと思います。ぜひ皆さんも、『四畳半』の仲間たちと一緒に、愚かで愉快な青春を味わってみてください。

■書籍情報
四畳半タイムマシンブルース『四畳半タイムマシンブルース』
著者:森見登美彦
原案:上田 誠
定価:本体1,500円+税
発行:株式会社KADOKAWA
特設サイト:https://kadobun.jp/special/yojohan-timemachine/
公式ツイッター:@4andahalf_tmb(https://twitter.com/4andahalf_tmb

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