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太田和彦の 新・シネマ大吟醸

神保町シアターで観た裕次郎・ルリ子の『憎いあンちくしょう』ー単なる美談賛歌で終わらせない蔵原惟繕監督の手腕。

毎月連載

第18回

19/12/2(月)

特集「日活戦後製作再開65周年記念 スクリーンの青春 日活女優図鑑」のチラシ

『憎いあンちくしょう』
神保町シアター
特集「日活戦後製作再開65周年記念 スクリーンの青春 日活女優図鑑」(10/5~11/08)で上映。

1962年(昭和37年)日活 104分
監督:蔵原惟繕 脚本:山田信夫
撮影:間宮義男 音楽:黛敏郎
美術:千葉和彦
出演:石原裕次郎/浅丘ルリ子/芦川いづみ/長門裕之/小池朝雄/川地民夫

太田ひとこと:テレビ討論に出演した裕次郎は「現代に純粋な愛は成立するのでしょうか」と発言、それが芦川いづみにつながる。隣に座る音楽の黛敏郎は「愛とは音符の連続のようなもの」と言う。

売れっ子DJでマスコミの寵児・石原裕次郎と、その敏腕女マネージャー・浅丘ルリ子は恋仲だが、公私をきちんとして純粋愛を守ろうと、二年間は体の関係はもちろんキスも禁じる約束をした。深夜まで分刻みの仕事をこなして自宅兼事務所に戻った裕次郎は精根尽き果ててただ眠り、朝はルリ子に無理やり起こされる。

フラストレーションのたまった裕次郎は、テレビ生番組をすっぽかして高級スポーツカーをとばし、海岸でボンネットに大の字になって雨に打たれ「つまんねえなあ」とつぶやく。スタジオで待つテレビディレクターの長門裕之は、来ない裕次郎に頭をかかえ「どうしてくれる」とルリ子に噛みつくが、本番ギリギリでやってきた。

番組は新聞の三行広告に面白い話題をみつけてゲストに呼ぶもの。「九州山奥の医者に中古ジープを無償で陸送してくれる人、求む」を呼びかけた芦川いづみは、その医者と遠距離恋人同士と知り、裕次郎は「その仕事はぼくにさせてください」と言い、芦川が二年間離れている恋人からの手紙をすべて書き写した分厚いノートを小池に渡すよう託される。

びっしり詰る予定をすべてキャンセルした釈明に追われるルリ子は、「これはヒューマニズムの美談」と思い立ちマスコミにアピールすると大当たり。長門は東海道を下る裕次郎のジープを追いかけ、隠しカメラで報道。行く先々で黒山の人が「がんばってください」とジープを囲む。反発する裕次郎にマスコミは、名古屋あたりで「もうニュース価値はない」と引き揚げる。

裕次郎は、自分の行動をマスコミに売ったルリ子を拒絶。捨てられたと自覚したルリ子はスポーツカーで後を追うが、裕次郎はルートを変えて追跡を断つ。しかし雨中の山道で立ち往生する車からルリ子を救け出し、ジープは二人になる。

ようやく着いた九州の無医村に、長門は東京からヘリで芦川を運び「感動の瞬間」を演出しようとするが、芦川も、迎える白衣の医師・小池朝雄もただ立ちすくみ、長門が裕次郎に「さあ、お二人の手を握らせてください」と懇請しても裕次郎は拒絶して、ルリ子とその場を去る。

新鮮な着想の脚本を、裕次郎は自分を生に出して演じ、彼の本当の人間性はこうではないかというリアル感が十分だ。

終始揺れ動く手持ちキャメラは二人の不安定な状態を見せ、「今の質問はマネージャーとして? それとも君個人?」「わからない、どっちだろう」の会話が今の二人を象徴する。一方、都合で突然空いた空白の二時間を何をしてよいか判らず、事務所でぼんやりギターをつまびいて静かに歌う裕次郎に、シャワーあがりに裕次郎の大きなワイシャツをはおっただけのルリ子が踊るシーンは二人を恋人感覚に呼び戻すが、ハッと気付いて中断する。

監督:蔵原惟繕は、都会的演出で娯楽作を作りながら、つねにそこにテーマを設けて映画の芯をつくる。ここでは「プラトニックラブは成立するか」だ。

約束で保っているプラトニックラブに裕次郎・ルリ子は倦怠して、何のためかわからなくなっている。そんなルリ子は、芦川の純粋さに嫉妬してか「あなたの純粋愛は形だけの偽物」と問い「そちらこそ間違ってます」と否定され、持っていた自信に不安を抱く。そして後半の、それを自分に問いただす追跡になる。

クライマックスの無医村への集結は、裕次郎が運んだ愛のノートはヘリの風で吹き飛び、二年ぶりに恋人に会った芦川は観念的な純粋愛が現実を前に立ちすくむ姿であり、それを見るルリ子は自分はそれを乗り越えた勝利宣言であり、美談演出に狂奔する長門を戯画化した、三者三様の名場面だ。

裕次郎は「これは自分のためにしたこと」と村人らの歓迎を無視し、誰もいない草原の太陽の下でルリ子とかたく抱き合う。そのとき一瞬見上げる太陽は「真の愛の誕生」を表わす。

斬新なアイデアをストレートに美談にしても裕ちゃんの好ましい一面としてファンに喜ばれただろう物語を、単なる美談賛歌にしていないところに裕次郎・ルリ子も新鮮味を得ての熱演となったのだろう。その作家意識に蔵原の手腕が満開した。




1950年の『東京のヒロイン』、まさに時代のドキュメント!ーラピュタ阿佐ヶ谷 特集「ラブコメ大好き!」

特集「ラブコメ大好き!」のチラシ

『東京のヒロイン』
ラピュタ阿佐ヶ谷
特集「ラブコメ大好き!」(9/29~11/23)で上映。

1950年(昭和25年)新東宝 95分
製作:野口久光 監督:島耕二
脚本:長谷川公之 撮影:平野好美
音楽:服部良一 美術:河野鷹思
出演:轟夕起子/森雅之/香川京子/斉藤達雄/入江たか子/河津清三郎/菅井一郎/潮万太郎

太田ひとこと:今も日比谷公園に残る戦前の名建築「日比谷公会堂」は音楽会場面のある映画にはおなじみ。ここでも見慣れたロビーで、すれ違いに使われる。

雑誌『婦人評論』の記者・轟夕起子は独身主義。人気評論家・吉岡花子女史の連載がある『人間喜劇』編集部を訪ね、担当の森雅之に彼女の住所を尋ねるが教えてもらえない。大物作家・斉藤達雄の原稿受け取りに行く森と一緒になり、作家邸で轟は原稿を依頼するが断られるのを、森はにやにや見ている。数日後『婦人評論』に齋藤から書き下ろし原稿が届いて轟は舞い上がるが、それは森が内緒で自社用原稿を回したのだった。

轟は女学生の妹・香川京子らを、森のいる編集部に送り込んで吉岡女史の住所を探らせるが、ふと開いた電話帳で吉岡花子の名を見つけ訪ねた住所は銀座のバー。マダム入江たか子は大物作家・齋藤の恋人だった。香川から、女史が見つかったと聞いた森はあわてて自分もバーを訪ねる。「吉岡花子」とは森が適当につけた自分のペンネームだったのだ。轟にばれると都合のわるい森は「これは秘密に」と言い含める。そのバーで森と轟は鉢合わせし、互いに「なんでここに?」と体裁わるい。

やがて轟は、齋藤の原稿は森が回してくれたのだと知り自尊心に傷がつく。森は森で、好きになり始めていた轟に、いつまでも自分が吉岡であると隠すのが苦痛になる。その真相を知った轟は怒り心頭。しかし姉の本当の気持ちを読んだ妹は、キューピッド役になろうと、自分のバレエ発表会に二人を誘う。

悪人が一人も出てこないロマンチックコメディ、最後はもちろんハッピーエンド。

この映画は野口久光の製作に意味がある。東京藝大を出た野口は、ミュージカルをはじめ洋画の見識ふかく、ジャズ評論の第一人者であり、描いた膨大な映画ポスターは世界に類のない業績だ。その野口が、戦後まだ5年目の荒廃が残る東京を舞台に、敵性音楽と禁じられた戦中の鬱憤を晴らすように作ったアメリカ流音楽ラブコメディの価値だ。

集めた手兵は、美術に、同じ藝大出でモダンな映画ポスターをいくつも作っていた河野鷹思、音楽は洋楽ポピュラーの天才・服部良一だから申し分ない。アメリカ映画調の町並みセット、鳴りわたるジャズサウンドが、映画を貧乏臭くなく洗練させる。

水辺のセット。対岸のパーティーの、チャイコフスキー・ピアノ協奏曲をジャズアレンジした曲などのバンド演奏を遠く聴かせながら、そのホテルの灯を映してゆらゆら揺れる水面を背景に、浮浪のヴァイオリン弾きに合わせて歌い踊る森雅之と轟夕起子。また寝室で轟がうきうきと弾くピアノ(本人演奏)に、途中からバレエ衣裳の香川が連弾で即興のメロディを重ねる場面のすばらしさ。

苦しかった戦争はようやく終わった、今こそ大好きなハリウッド調のハッピーでしゃれた映画を作るんだという喜びが画面に充ち満ちているところにこの作品の価値がある。それは出演者全員にも感じられ、妙に渋いバーテンダー・菅井一郎の役作り、ただ酔ってバカ笑いするだけが芝居の潮万太郎。特に芝居はなく、森を冷やかすだけの編集長・河津清三郎もいい。轟が「私の独身主義は、これからは女性も一人で生きる力を持たなくては、という思いからなの」と洩らすのもいい。

そして! 若く清らかなセーラー服の香川京子こそ戦後の出発のシンボル。自らもバレエをやっていた香川はまったく怖じることなく、台詞まわしも落ち着いて、この後多くの名監督に起用される素質十分だ。

平和をかみしめて好きな映画を作れる幸福感が、そのまま時代のドキュメントになっている。


プロフィール

太田 和彦(おおた・かずひこ)

1946年北京生まれ。作家、グラフィックデザイナー、居酒屋探訪家。大学卒業後、資生堂のアートディレクターに。その後独立し、「アマゾンデザイン」を設立。資生堂在籍時より居酒屋巡りに目覚め、居酒屋関連の著書を多数手掛ける。



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