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山本益博の ずばり、この落語!

第十三回『古今亭志ん朝』 令和の落語家ライブ、昭和の落語家アーカイブ

毎月連載

第13回

『落語研究会 古今亭志ん朝 全集 上』(提供:ソニー・ミュージックダイレクト)

 三代目古今亭志ん朝(本名美濃部強次)は昭和13年(1938年)3月10日に生まれ、平成13年(2001年)10月1日に亡くなった、昭和から平成にかけての落語界を代表する名人といってよいが、私がまず必ず思い出すのは、昭和53年(1978年)4月6日の第7回三百人寄席「志ん朝の会」である。

 CBS・ソニーからの依頼を引き受けて、ようやく重い腰を上げた古今亭志ん朝が、東京・千石の三百人劇場で高座の音源収録を原則とした独演会を開きはじめ、年数回毎回2席を高座にかけたのが「志ん朝の会」である。

第7回三百人寄席「志ん朝の会」プログラム(昭和53年4月6日)

 私は、この会で『富久』『抜け雀』『酢豆腐』『付き馬』『寝床』『試し酒』『居残り佐平次』『船徳』『井戸の茶碗』など、どれもが名高座で至福の時間を過ごした。

 声は明朗で、口調は淀みなく、テンポがよくって、いつも噺の運びはスウィングしていた。音楽用語でいえば、アレグロ・コン・ブリオ、光り輝く快速!である。今でも、録音から十分に感じ取れるが、ライヴでの、空気感、浮揚感は格別で、いつも落語が始まってすぐに江戸の世界へ連れて行ってくれた。こんな痺れるような快感を与えてくれた落語家は、空前絶後といってよい。いまにして思えば、この時期の志ん朝、すでに名人芸の域に足を踏み入れていたと言えようか。昭和53年(1978年)といえば、志ん朝40歳、落語界の天才にして名人といってよい。

 「志ん朝の会」の第7回の2席は『柳田格之進』と『愛宕山』だった。『柳田格之進』はクスグリを極力抑え、淡々と噺を運びながらも、所々で「思い」が先行して「台詞」が絡むという気負いが少々感じられたが、堂々とした『柳田格之進』だった。

 トリに演じた『愛宕山』は、ライブではまずありえない、完璧な高座といってよく、幇間一八がつぶやく「オオカミにヨイショはきかない!」という名台詞が生まれた瞬間でもあった。こんな幸せな落語会は滅多にあるものではなく、まるで「奇跡の一夜」のようだった。

東京かわら版東西シリーズ その八「東の志ん朝 西の幸枝若」プログラム(昭和54年11月8日)
「東の志ん朝、西の小文枝」プログラム(昭和52年5月2日)

 「志ん朝の会」を終了した後の志ん朝は「名人街道まっしぐら」といった感じで、毎回完璧を目指した高座は落胆させるものがひとつもなかった。いま、残された録音、録画からもし一つを挙げろと言われれば、平成9年(1997年)のTBS「落語研究会」での『文七元結』だろうか。落語というより、見せ場の多い演劇的な人情噺の高座で、芝居好きの志ん朝が一世一代で磨き上げた、聴かせるのではない、見せる人情噺として演じている。主人公長兵衛ばかりか文七が素晴らしい。「名人芸とは何?」という方に、名解答を示すことができる極めて貴重な映像である。

 私が最後に聴いた志ん朝の高座は、なくなる数か月まえの「紀伊國屋寄席」での『寝床』だった。古今亭志ん生、桂文楽以来、どれほど聴いてきた『寝床』だったか知らないが、クスグリ(ギャグ)で、声を出して笑うほど面白い高座だった。ただし、快速テンポでひた走る噺の運びは失せていた。

 40歳代ですでに「名人」の芸境に達していた志ん朝だったから、亡くなって惜しい気持ちは当然あったが、名人芸を存分に堪能した満足感は残った。立川談志と古今亭志ん朝のふたりのライブに居合わせることのできた私はなんとも幸運だったと言わねばならない。

豆知識 『紋付き羽織袴』

(イラストレーション:高松啓二)

 落語家の出世が前座、二つ目、真打で、二つ目になると羽織を羽織ることが許されます。相撲界でいう十両です。一人前の証拠というべきでしょうか。

 古今亭志ん朝は、黒紋付のよく似合う落語家で、また、縞の着物を小粋に着こなしての長屋噺は、なんとも江戸の風情が漂う高座姿でした。

 羽織袴は、正月興行や真打の披露目などの特別な時に似合う落語家の正装ですが、羽織を羽織らずに袴をはいて高座に上がり続けたのが立川談志です。落語に敬意を払う姿勢が感じられて、とても格好良かったです。

 昭和を代表する名人桂文楽が、羽織なしの袴姿で高座に上がっていました。とても正調の感じがして格調高く、しかも、手ぬぐいではなく白いハンカチを扇子とともにもって高座に現れましたから、清潔感すら漂っていた高座姿でした。

プロフィール

山本益博(やまもと・ますひろ)

1948年、東京都生まれ。落語評論家、料理評論家。早稲田大学第ニ文学部卒業。卒論『桂文楽の世界』がそのまま出版され、評論家としての仕事がスタート。近著に『立川談志を聴け』(小学館刊)、『東京とんかつ会議』(ぴあ刊)など。

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