Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

『心の傷を癒すということ』が描く“あの日までの日常” 時間の残酷さを突きつける驚くべき構成

リアルサウンド

20/1/25(土) 6:00

 2020年、神戸。西日本が誇るベイエリアの佳景が俯瞰で映し出され、瀟洒な街並に位置する東遊園地では、今年も恒例の「阪神淡路大震災1.17のつどい」の設営がなされている。その風景に重なる「震災は、人々から多くのものを奪い去った。失ったものはあまりに大きく、それを取り戻すことはできない」という言葉。いきなりこちらの胸を突く。

参考:『きみの鳥はうたえる』三宅唱が明かす、映画作りの醍醐味 「“幸福な時間”を体験してもらえたら」

 1月18日からスタートした『心の傷を癒すということ』(NHK総合)は、阪神・淡路大震災で自らも被災しながら、多くの被災者たちが受けた心の傷のケアに取り組み続け、PTSD(心的外傷後ストレス障害)研究の第一人者となった精神科医・安克昌さんの自伝をもとに再構成したフィクションだ。

 第1話「神戸、青春の街」では、スクラップ&ビルドの象徴たる1970~80年代にモラトリアム期を過ごした繊細な若者が、いかにして「人間の心」に興味を惹かれていったのかが細やかに描かれた。主人公・安和隆(柄本佑)は1960年に厳格な父・哲圭(石橋凌)と教育熱心な母・美里(キムラ緑子)のもと、3人兄弟の次男として生まれる。10歳で自らが在日韓国人であることを知って以来、アイデンティティを模索し続け、どこか宙ぶらりんな空虚さを抱えて生きてきた。彼のそばにあるのは手垢がつくほどに読み込んだ精神医学の本、親友、夜の公園、ジャズ、映画、そして恋。1995年1月17日以前まで、誰もが持ち得た「普通の日々」だった。それは和隆の日常であり、被災したすべての人々にとっての日常でもある。ドラマ冒頭の文言「それを取り戻すことはできない」が、ここでずしりと響いてくる。

 不動産売買やホテル事業で財を成した実業家の父は、子供の頃から優等生で東大の原子力工学科に進んだ兄・智明(森山直太朗)のことは褒め上げて、精神科に進みたいという和隆の志望については「そんな人に言いにくい、ようわからん仕事」「心なんかどうでもええ」と罵る。当時の日本では、精神科医療はまだまだ未発達な分野で、世間の理解も乏しかった。父や兄が「確かなもの」と信じて疑わない「物質的豊かさ」と、和隆が惹かれていく「心」の世界との対比が鮮明だ。そして、やがてくる震災でその「確かなもの」が確かでなくなることを、彼らはまだ知らない。

 終始優しいトーンで人の心の機微を丹念に描く一方で、このドラマが時折突きつける「時間の残酷さ」にドキッとする。時間は取り戻せない。止められない。劇中では随所に「時間」というキーワードが符牒として用いられる。

 和隆は小津安二郎の『東京物語』を見にいった古い名画座で、のちに妻となる・終子(尾野真千子)と出会い、恋に落ちる。原節子の台詞が電車の音にかき消されてしまったことからふたりの会話が始まるのだが、その台詞が「いいんです。あたし、年取らないことに決めてますから」というもの。さらに、和隆から終子へのプロポーズの言葉は「100歳までいっしょに生きよう」だった。のちに病に侵される宿命にあるモデルの安克昌さんのその後、そしてドラマ冒頭で力なく車椅子に座り、息苦しそうに深呼吸してピアノを弾く和隆の姿に思い至り、胸が締めつけられる。

 終子を追いかけ和隆がバスに走り込んだシーンで、終子が読んでいたのはミヒャエル・エンデの『モモ』。言わずと知れた「時の概念」を題材にした児童文学の名作だ。『モモ』に登場する、「なぜなら、時間とはすなわち生活だからです。そして人間の生きる生活は、その人の心の中にあるからです」という一節が、第1話の通奏低音とクロスする気がした。

 和隆にとって、終子との出会いは大きなターニングポイントだった。彼女の天性の穏やかさと、どっしりとした優しさが和隆の心を徐々に解きほぐしてゆく。名画座で初めて出会った日、「僕は結局、心のどっかで全部どうでもええって思ってるんでしょうね」と自嘲する和隆に、終子は「全部どうでもええって思っとぅ人は『東京物語』2回見たりしませんから」と返す。寄る辺なき者として自分を悲観していた和隆に、「あなたはここにいていい」と終子が教えるのだ。

 終子もまた、在日韓国人であった。女ばかり大勢のきょうだいの末っ子に生まれたため名付けられた「終子」という名前が嫌いだという彼女に、「きれいな、ええ名前やと思います!」と歩道橋の上で大声で叫んだとき、和隆の心は解放される。そして精神科に進む意志を固くし、生まれて初めて父に談判するのだった。相手を癒すうちに、自分も癒され成長する。心のケアの原点とは「相互作用」なのだということが、和隆と終子の関係性を描きながら提示される。

 冒頭の神戸の風景に続いて、和隆のモノローグがこう語り出す。「神様とちゃうから(人の苦しみを拭い去ることが)人間にはでけへん、ほとんど何も。それでも僕にできることはなんやろう」。ドラマは、「人の心の傷は消えない」という前提で進む。それがモデルである安克昌さんの哲学であり、制作陣の誠実さなのではないだろうか。そのうえで、和隆に何ができるのか。第1話のラストシーンは1995年1月17日の早朝。和隆、終子、そして愛娘の春子が枕を並べ寝息を立てている。穏やかな日常の最後の一コマだ。時計が5時46分52秒を示したところで暗転、第2話へと続く。震災から25年が経った今、このドラマが世に落とされた意味を噛み締めながら、これから和隆が精神科医として震災とどう向き合っていくのかを見守りたい。

■佐野華英
ライター/編集者/タンブリング・ダイス代表。ドラマ、映画、お笑い、音楽のほか、生活や死生観にまつわる原稿を書いたり本を編集したりしている。

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む