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ぴあ

いま、最高の一本に出会える

菊地成孔の『月極オトコトモダチ』評:パロディぎりぎりの引用は罠だ。とんでもないオチが音楽恋愛映画に(笑)

リアルサウンド

19/6/15(土) 10:00

■不勉強へのお詫び

 本作は、30代の女性監督、穐山茉由の長編デビュー作であり、第31回東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門正式出品、<映画×音楽の祭典「MOOSIC LAB 2018」>でグランプリ他、4冠を受賞。という、ある種もう特に新鮮味もない作品プロフィールを持つ、異色の傑作である。

参考:『月極オトコトモダチ』徳永えり×穐山茉由監督に聞く、“男女の友情”はあり得るのか?

 流し読みで一番気づかれないのは<映画×音楽の祭典「MOOSIC LAB」>の部分であろう。歴史はそんなに短くもなく、2012年に始まっている。筆者はその存在自体を全く知らなかったし、従って、ここの出身者がプロのミュージシャン、乃至、インディーもしくは完全なアマチュアだがバズったりしている、といった話も耳にしたことはなかった(ところが調べてみると、筆者の楽曲をカヴァーしていたアイドルチームBiSが受賞していたり、大森靖子氏が受賞していたり、吉岡里帆氏が受賞していたり、当連載で批評したことがある『溺れるナイフ』の山戸監督が、ここのグランプリ受賞だったりした)。絵に描いたような不勉強であり、フェアネスとしてそのことを先ずお断りさせて頂きたい。本稿は委嘱原稿、即ち、「試しに見て欲しい」旨、REAL SOUND側から頼まれて書いている。

 デビュー前のアマチュア作家のコンペであるMOOSIC LABの縛りは、音楽をテーマにした映画であること以外にはなく、音楽家のドキュメントから、本作のような、脚本にがっつり音楽制作(アマチュアミュージシャンライフ)が絡んでいる作品まで、バラエティの広さは想像に難くない。

 本作は、前述の通り、オリジナル脚本の中に、アマチュアミュージシャンが登場する(劇伴や主題歌作曲や編曲、歌唱は気鋭のプロミュージシャンが携わっている。筆者へのオファーは、その辺りへのきめ細かい言及も欲しい。といったことではないかと思う)。

■ミッション1&2

 グランプリ(ほか4部門)の受賞は伊達ではなく、本作は、良い意味で普通にとても面白い。再び良い意味で、MOOSIC LAB色というか、「あーねー、あのコンペの出品作ね」といったカラーリングも淡いか、あるいは全くなく、CSなんかで時折ある、特別ドラマのようなものの1本だと言われれば、納得してしまうであろう。

 そして、ここで筆者が言う、「面白さ」の80%は、<驚愕のオチ>とも言える、脚本上のどんでん返し(オチに直結している)にある。これには本当に驚き、鑑賞しながら、声に出して「うおー、そんなんなんるの?!! びっくりしたあ!! やっベーなこれ!! うはははははははは!!」と、笑いながら叫んでしまった。

 なので、本作を批評するに際し、筆者に与えられたミッションは、こういうものであろう。前述の通り、作品全体の劇伴を担当した入江陽氏(デビューアルバムが筆者の友人の大谷能生によるもので、知己はないが、作品は熟知している)、主題歌を歌っているBOMI氏(不勉強が続くが、名前しか聞いたことがなかった)、プロモーションキットでも、押し出しのトップに来ている、主題歌編曲の、今を時めく長谷川白紙氏(氏は筆者の音楽理論科の生徒として、ほんの一瞬であるがクラスに在籍した)等、気鋭のミュージシャンの仕事ぶりについて詳細に書く。

 もう一つは、作劇上の驚くべき(それは、音楽制作という営為に組み込まれている必須の事項を扱ったもので、奇策や奇手ではない)どんでん返しを紹介するに当たり、ストーリーを全て紹介しなければいけないことになる。

 以下、ミッションをニコイチにし、音楽の話をしながら、さほど複雑でもないストーリーを全て紹介するので、絶対に本作を観るのだ。と事前に決めている読者の皆様においては以下はお読みにならない事を強くお勧めする(「絶対に読むな」とは言わない。ストーリーを全て聞いてもなお観たくなるようには書くつもりなので)。

■では始めます(ネタバレアウトの方は他のページへ)

 登場人物の固有名詞は全て廃して書く。主要なそれは3人であり、主人公の女性(WEBマガジン編集者→監督の本業である、アパレル業界のPRである事実が反映していると思われる)、そのルームシェアの相手である女友達(アマチュアミュージシャン→女性のSSW=シンガー・ソングライター)、そして「レンタル男友達」業を営む男性。全員が30代前半と解釈したが、20代後半かもしれない。具体的な説明はほぼない。

 主人公が出社すると、そこはPCが並び、開放的でおしゃれな感じのオフィス、まるでテレビドラマに出てくるそれのようである。開始早々、ジャンゴ・ラインハルト型の、ジプシー・スイング、、、とまでいうと大げさだが、誰でも聞いたことがある、陽気な疑似ジャズ(20年代スタイル)が流れてくる。

 これは、誰がなんと言おうと、制作した入江陽氏本人が否定しようと、2013年の傑作TVドラマ『最高の離婚』(フジテレビ)のパロディである。ちょっとひねったラブコメで、主人公が会社勤めをしている限り、2ビートの擬似スイングジャズが流れてきたら、それは『最高の離婚』なのである。ネット内でご確認いただきたい。

 『最高の離婚』の音楽担当者、瀬川英史は筆者と同年輩のベテラン劇伴作家で、どんなジャンルの音楽も適切に再現できるオーヴァーグラウンダーの能力を有している、しかし、驚異的な歌唱力を持ちながら、作曲とトラックは異形の、かなり危なっかしい斬新さに彩られている男性SSW、入江陽のそれは、コードも適当、リズムも危なっかしく、つまりパンキッシュな「なんちゃって」の魅力に溢れており、入江の、歌唱力だけ飛び抜けた、本質的なアマチュア性を示している。

 なんちゃってな宅録スイングジャズが、『最高の離婚』のパロディとして冒頭から観客を引き込む。この指摘は筆者の専門職的私的と言えるかも知れない。

 筆者であらずとも、誰だってわかる事が作品全体の設定を律している。主人公のOL(徳永えり演。脚本がしっかりしているラブコメの主役が、それ自身の高い演技力と魅力で、作品を脚本以上に引き上げてしまう典型)は、ふとしたことから「契約で男友達になる」という仕事をしている男性(橋本淳演。10年代本格デビューの若手男優の中でもブライテストニューカマーと呼んで差し支えない高い魅力)と出会い、早速契約関係になる(契約内容は契約プランのひとつである月極)。

■でもこれって

 『逃げ恥』のパロディじゃないの?と思わない者はいないだろう。恋人や夫婦を、擬似的な契約関係にしてしまおうという発想。そしてそれによってビジネスライクに手に入れた恋人や配偶者、異性の友人等々が、ビジネス遂行中に、本気になってしまったら?というのは、不勉強な筆者が不勉強なだけで、実は連綿と続く歴史あるジャンルなのかもしれない(「<ローマの休日>がその遠い遠い始祖だ」とかさ。例えばね)。

 しかし、「夫婦を超えてゆけ」という星野源の名フレーズを産んだ、「夫婦や恋人って、単に契約関係なのでは?」という、原理的に不可避な問題提起に対して、「実際にそれを奇妙な副業として営んでいる者と、その契約者」という構図の、最新にして最高傑作が『逃げ恥』であることに、少なくとも日本国民である限りは異論はないだろう。

 2013年のフジは、今や名匠の位置にある脚本家、坂元裕二のオリジナル脚本で、2016年のTBSは海野つなみの人気漫画(挿話も良いところだが、この名前で連載は2012年から始まっている。何かのゴッドアングルであろう)を女性脚本家界のホープであった野木亜紀子を、4番打者に降格させたが、両作とも、婚姻や恋愛という関係性の社会契約の側面と、依存や転移としての純愛の側面との原理的な葛藤をテクニカルに描いて、どちらも主人公を演じる俳優の、画角を超えた溢れる魅力と、音楽の大きな助力により、現代ラブコメのクラシックスになったと言っても過言ではない。

 『逃げるは恥だが役に立つ』の設定に、『最高の離婚』の音楽が流れる。これはダブルパロディである。ここまで極端にやってしまったら、結果は2つしかない、パロディ遊びに萌え淫しただけの、つまり甘え腐った駄作になるか、大いなる覚悟と知性によって、リスクを背負った上で、本家に並ぶか超えるかする力作や傑作になる可能性である(そもそも『逃げ恥』自体が、あらゆるジャンルからのパロディとオマージュの塊である)。本作は後者である。大傑作とは言わないが、知的に、情熱的にリスクヘッジをして余りある結果を出している。

■どんどんネタバレが確信に近づいていきます

 主人公のルームシェアの相手は、同年輩の友人の女性(芦那すみれ演。大変な好演。というか名演)だが、アマチュアのSSWであり、部屋にはキーボードが常設され、メロディが思い浮かんだら、その場でスマホのヴォイスレコーダーに録音するような、SSWなら誰でも持つ、しなやかな猫性を持った女性である。

 ちなみに、彼女が作成し、最終的にエンディングテーマ曲に至る楽曲(BOMIの単独曲と、入江陽との共作曲)の強度と、OST(入江陽)の強度は、もちろんリージョンが違うと言っても、どちらもプロフェッショナルな物ではなく、「そこそこ良いな」という魅力の片鱗と、冗長さや既聴感というノイズ、メロディや声の魅力に任せっきりの、細やかさに欠けるバックトラックによって、一番悪く言えばそこそこの音楽、一番よく言えば、今では何万人いるかわからない、潜在的なSSWの推し曲、というレヴェルを過不足なく忠実に描いた、という見事な仕事。ということができる。

■カウントダウン入ります 3

 女性主人公と男性主人公は、とても素晴らしい契約関係に入る。雇用側の女性主人公の趣味は鉄塔の写真撮影であり、月額契約、つまり「月極オトコトモダチ」である男性主人公は、それはそれは見事に、しかも退屈も過剰な誘惑もしない、完璧なラインを踏んで、その趣味に付き合い(恐らく)、仕事のない週末は、給水塔写真撮影デートが続く(主人公は本職であるWEBマガジンにこのことを面白おかしくレポート連載しており、営利関係である限り悪事ではないが、恋愛関係があったら悪事。という二律背反の中にいて、それが劇中のサスペンスを支えている)。

■2

 とーこーローが。である。なんと、こんな変わった副業を持つ男性主人公は、自らもアマチュアのSSWなのである。

■1

 主人公はある日、風邪をひき、契約規範外である特熱出張で、自宅に看病に来てもらう。そして、SSW同士である、ルームシェア相手と、男性主人公は出会ってしまうのである。

 この設定がこの本作のすべてである。シンプルだが強い。やがて物語は、『逃げ恥』のリージョンを超えてゆく。男女関係に友情はあるのか? それを業務契約として職業化するというアクロバットは成立するのか? そんな、誰が考えたって、誰が実行したって結果が明らかなことは(このことの結果は、全く意外でもどんでん返しでもない。主人公は、本当の恋愛感情に取り憑かれ、あらゆるバランスを崩してゆく)、作中、少なくとも一度は後退/交代し、どうでもよくなる。

 描かれるのは、音楽を愛し、歌を作りながらも、このご時世、全く仕事に結びつかない。しかし、ラブソングが持つ魔法に魅入られた者による、魂からの共感である。文章で書くと大げさだが、「ああもう、キマっちゃったね」という感じの演技は素晴らしく、クールでドラスティック、ややデカダンですらある「月極オトコトモダチ」業の男性は、みるみるうちに、凛とした猫性を持つ女性SSWと、ホットな関係に入り、顔つきも変わってしまう。

 音楽を共作することは、愛の行為であり、利益を伴うかもしれないビジネスでもある。このことが、第一設定の「真の恋か仕事のお芝居か?」という普遍のテーマと入れ子構造になる。ひょっとしたらこのテーマは、共に恋の歌を作る関係の2者が始祖だったのかもしれない。とまで思わせる。恋の歌を作り、歌う関係にアダプトすると、二人からは性愛も友愛も蒸発してしまい、楽曲の中に2人の自我も欲望も溶け込んでしまう。ラブソングを作ることとは、それほどに愛の行為なのだ。

 主人公は、ルームシェアの相手に、あたかも寝取られたかのような格好になる。奇妙な三角関係は、一瞬瓦解するかのように見える。

■0(もう読まないでください)

 主人公は荒れる。その共振関係によってルームシェア相手も荒れる。しかし、いきなりヤバい副業で食っていた彼氏は最賢者となり、主人公に提案する。

「作家になりたいんだろ? だったら、俺たちの曲に、詞を書いてくれよ」

 恋愛だったら苦悩の製造構造である三角関係が、そのまま、正常運転(作詞、作曲&ビートメイク、歌唱)になる。

 驚天動地のオチ。筆者は、これからMOOSIC LABがどれだけ長く続いても、これを超える構造を持ったオチは誰も作れないのではないかと思う(勿論、映画の優劣は、脚本に仕組まれた物語上のオチだけではない)。コピペで申し訳ないが、筆者は鑑賞しながら、声に出して「うおー、そんなんなんるの?!! びっくりしたあ!! やっベーなこれ!! うはははははははは!!」と、笑いながら叫んでしまった。

 そして、それは、次のアンバランスをもたらさず、ちゃんと正常に駆動するのである。ソングライティングの三角形が、他のリージョンの、全ての三角形によってもたらされる、あらゆるストレスを、構造的に消滅させてしまう。3人は、文字通りの3Pとして、3人で一つのオーガズムに向かって、平和的に、愛を持って協調するのである。

■エピローグと音楽について

 それによって、具体的な恋愛模様がどうやって収束するかは、実のところどうでも良い(ように見える)前述のオチの斬新さと古典性の融合が、全てを吹き飛ばす。

 俳優たちの画角を超えたパセティックな名演と、若き女性監督(恐らく非音楽家。つまり視点は主人公の地点にある)の驚異的なアイデア(恐らく、書いた本人も、その凄さを十全に理解していないのではないかと思われる)。この2者の圧倒的な力に比べると、残念ながら音楽それ自体は弱い。というか、これで音楽にも高い強度(配信で大ヒットを記録するような)があったら、東京国際映画祭 日本映画スプラッシュ部門ではなく、日本アカデミー賞最優秀作品賞ノミニーであろう。

 入江陽、BOMI、そして長谷川白紙の仕事は、私感だが、この作品の分というか度というか、そういうものを守っている。すなわち、「ちゃんとインディーに見えるように」というミッションの、無意識的設定があるのではないかと思う。飛ぶ鳥落とす勢いの長谷川白紙の「主題歌編曲」は、前述の通り、本作の対外プロモーション上の推しポイントであるが、氏の作品を非常に高く評価する(しばらくの間だが、自分の生徒だったから。などというセコい理由ではなく)筆者も、「いやあ、これは、、、ちょーっと、やっちゃったな長谷川くん」としかコメントできない。

 氏の作品は、楽音(調律された、楽器が出す、楽譜にかける音)とノイズやSEが、等量ほどに混在する、圧倒的な情報過多なのに関わらず自然主義に聴こえる。という、新たなテクノエコロジスティックなスタイルの完成という意味で、日本のポップス界に明らかな画期を示す作品だと評価しているが、ここでは何と、(作中のサウンド範囲に合わせてか)ドラムとベース以外はほとんどエレクトリックピアノだけしか使っていない。

 ピアノは調律の第一代弁者であり、どれだけ頑張っても、擬似ノイズ、擬似SEは出せても、真のノイズもSEも出せない。電化されようと、ピアノがメロディに対してできることは、リコードつまり和製の付け替えのみである。氏にとっても大胆な試みだったかもしれない、「自分の世界観を楽音だけで表現する。という編曲作業」という英断の結果は、残念ながら青臭いこね回しにしか聴こえない(通常の作曲作業中に、MIDIでシンセ相手に打ち込んだMIDI情報をピアノにコンバートしたのか、手で響きを確認しながら弾いたのかは判断できなかったが)。

 しかし、そのことさえも、ややもするとウエルメイドすぎて、地上波のテレビドラマに見えてしまう可能性すら孕んだ本作への「インディー感」(それは非常に高い価値だ)キープのための、神の見えざるミッションだったのかも知れない。優れた俳優たちは若手なれど既にキャリアはあり、それは続くだろう。監督はこの水準が安定的に叩き出せれば、オーヴァーグラウンダーになるだろう。

 そして、音楽家たちは勿論このままで良いのである。ある意味で今、映画以上に、オーヴァーグラウンド感=仕事感=普通感=既聴感から離れなければならないのがポップ・ミュージックであるかも知れない世の中なのである。入江陽が達者で職人的なOSTを書き、BOMIがJUJUやMISIAのような曲を書き、長谷川白紙がピアノ一本で、斬新で完成された新しい響きを出すのは、最も愛のある言い方をすれば、そんなものはディストピアでしかないし、最も皮肉な言い方をすれば、それはまだ15年先の話であろう。

■追記)

 のちに、YouTubeに上がったデータ販売版(?)を聞いたら、上映版よりもシンセがやや多用されており、リズム分割とコード(増設されたキメ)が整理されていて、単純に完成度が上がっていた、というより、新機軸としては成功、というレヴェルにあった。映画音楽に携わる者として、様々な事情があったのだろうと想像するか、想像は一切割愛し、長谷川氏の名誉のためにも追記する。(菊地成孔)

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