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欅坂46 一期生、バラエティでの“素人感”は欠点ではない ピュアな性格が生んだ名場面の数々

リアルサウンド

20/3/18(水) 6:00

 先日放送された『欅って、書けない?』(テレビ東京)の企画は、高身長メンバーと低身長メンバーが分かれてホワイトデーのプレゼントをかけて対決するというもの。磨りガラス越しにメンバーを当て合うゲームなどで、番組は大きな盛り上がりを見せた。欅坂46はここ最近、活動に慣れてきた二期生が活躍し始めたことで徐々にグループのムードが変わってきている。スタジオの雰囲気も心なしか明るい印象だ。さらに坂道研修生から新二期生の加入が発表されたことで、この流れはさらに強まることが予想される。

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 しかし、喋る声が小さすぎて司会者を困惑させていたような過去の放送を思い返せば、今の番組の風景には多少の寂しさも感じることがある。しばらくバラエティに馴染めなかった一期生の様子は、ある意味でグループの個性であった。二期生がのびのびと力を発揮できているのも、一期生の引っ込み思案な性格がうまく引き立て役になってるからとも思える。そこで今回は、バラエティ番組における一期生の様子に焦点を当ててみたい。

 『クイック・ジャパン』129号に掲載された『欅って、書けない?』の制作スタッフへのインタビューによれば、ディレクターとして『「ぷ」っすま』や『乃木坂工事中』(テレビ東京)などを担当した白野勝敏氏は、番組における彼女たちについて「すごくおとなしい子が多い印象」「はじめてひな壇にメンバーが座った収録ではMCの質問に誰も返してくれなかった」と語っている。また、『KEYABINGO!』でMCを務めたサンドウィッチマンの2人も「とにかく”静かな子たち”という印象」「打っても響かない感じでしたね。お前らがサイレントマジョリティーじゃねえか!っていう」と口を揃える。(『クイック・ジャパン』135号より)

 しかし、同記事に「“素人感”があるところが面白い」(ディレクター・山本健太氏)、「なにが正解か本人たちはずっと考えていて、正解がわかったときしか答えられない。そのひな壇できょどっている状況も面白い」(構成作家・安部裕之氏)とあるように、静まってしまうスタジオの雰囲気や、どう返していいかわからずおどおどした彼女たちの表情が、むしろかえって番組としては面白いという評価もあった。

 “アイドルの先輩”として元アイドリング!!!の菊地亜美をゲストに招いた際には、菊地が伝授したトーク術や握手会でのテクニックを欅坂46のメンバーたちが再現しても、どこかぎこちない。いわゆる“バラエティ的なテクニック”を彼女たちが上手く処理すると違和感が漂ってしまうのだ。最終的にその放送の最後にMCが「お願いだから君たちはこっちの人にはならないで」と強く懇願したように、当初から共演するMC陣もそれが彼女たちの個性だとして認めていたように見受けられる(“こっちの人”とはバラエティスキルのある人のことを意味するが、ゲストの菊地やMCの土田晃之とハライチ澤部佑の2人が“こっちの人”なのは言うまでもない)。

 そうした彼女たちの“素人感”、あるいはある種の“ピュアさ”のようなものが、これまでの放送でも数々の名シーンを生んだ。

 たとえば、大食いキャラNo.1を決める対決で負けた一期生の長沢菜々香が、その場で涙を流しスタジオを騒然とさせた場面があった。その後リベンジマッチとして再企画された対決でも敗れると、再度号泣。最近でも、メンバーが地元にロケを誘致すべくプレゼン大会を開催したが、長沢がプレゼンした「山形」が逆転で敗北すると、人目もはばからず涙をこぼした。普通なら対戦相手に気まずくならないよう笑って済ませるようなことだが、彼女には負けることが直に心に響いてしまうようだ。

 先日のバレンタイン企画においても、一期生の上村莉菜が「こういう不平等な……。不平等なものが嫌い」と、そもそもの企画のルールに対する本音を神妙な面持ちで吐露した瞬間があった(筆者が推したい今期の名シーンのひとつだ)が、このように彼女たち特有のピュアな性格が生んだ名場面は数知れない。1人や2人だけでなく、多くの一期生がそうした一面を持っている。

 そして、そんな彼女たちだからこそ、ステージ上で発揮するここぞのパワーに多くの人びとが魅せられるのではないだろうか。もちろん、“バラエティ的なテクニック”も難なくこなせて、同時にステージ上でも観客を虜に出来るのであればそれに越したことはない。しかし、そうした器用な欅坂46が披露するパフォーマンスに、果たして会場は心を震わせるだろうか。

 我々が「エキセントリック」に魅せられるとき、「二人セゾン」に感動するとき、「不協和音」で武者震いするとき、そこには何かが欠けていて、どこか未熟さを持った、純粋な彼女たちの姿があったような気がしてならない。観る者の心を掴むこととは何なのか、今一度考えた次第であった。(荻原 梓)

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