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亀梨和也が孤立を辿る 『野ブタ。をプロデュース』作品テーマを凝縮した回に

リアルサウンド

20/6/7(日) 12:20

 「今、自分が立っている場所なんて、ほんのちょっとしたことで崩れてしまうし、何が正しいのかなんて、完璧な答えはありません」。この言葉は、放送から15年が経った現在でも閲覧できる『野ブタ。をプロデュース』の公式ホームページ内にある「プロデューサー日記」に掲載された河野英裕プロデューサーの言葉である。落下するくす玉と転落していく修二(亀梨和也)のポジションを重ね合わせるという木皿泉イズムが序盤から全開となった第8話は、この『野ブタ。をプロデュース』という作品が提示するテーマのすべてが凝縮されているエピソードだ。

参考:詳細はこちらから

 “プロデュース”を再開すると宣言し、ふたたび同じ時間を過ごすようになる修二と彰(山下智久)と信子(堀北真希)の3人。ある時修二は、商店街で酔っ払いと揉めている女性を助けようと割って入り、交番に連れて行かれてしまう。それにショックを受け、別の日の帰り道でヤンキーに絡まれている人がいるのを見て見ぬふりをしてしまった修二。しかし翌日、絡まれていたのがクラスメイトのタニ(放送当時“大東俊介”名義だった大東駿介が演じている)であったと発覚。気付いていたのに見捨てたのだと疑いをかけられた修二は、瞬く間に孤立してしまうことに。

 プロデュースによって“野ブタ”が人気者になった矢先、友人を見捨てたことで孤立する。これは原作の小説でも物語の最大の転換点となるエピソードである。もっとも、原作では“野ブタ”は男子生徒であるし彰の存在も登場しておらず、全10話の連続ドラマとするためにかなり大きな脚色(それはこれ以後の展開も含め)が施されているのは周知であろう。ドラマ前半から陰湿ないじめや嫌がらせ描写などはありながらも、ポップな青春ドラマとしての様相を保ってきた『野ブタ。』は、このストーリーライン上で見れば“急展開”といえるエピソードを契機にドラマ全体のテイストさえもがらりと変貌する。それもまた連続ドラマならではの面白味ではないだろうか。

 これまで“虚飾の人気者”として、ある種セルフプロデュース下にあった修二は、たしかに彰と信子という“はぐれ者”と共に行動しながらも、彼らといるときにはどこか一歩引いた様子でいた。けれども自身が彼らと同じ“はぐれ者”となったことで、逆にその友情を深めていくのだ。原作では野ブタを含め手を差し伸べる人々を拒絶し、後戻りできなくなるわけだが、このドラマではそのような道は選ばれない。それは単に修二のつけていた“仮面”が外れただけに過ぎず、修二がどん底まで転落したわけでも、信子がのぼり詰めたわけでもなければ、そもそも誰も“はぐれ者”ではないと示しているかのようだ。

 さらに、修二を信じるか蒼井(柊瑠美)を信じるかで悩む信子に対して佐田(夏木マリ)が語る「本当だから信じるんじゃなく信じるから本当になる。信じたい方を選べばいい」という言葉。修二を抱き寄せる信子の写真を「見なかったことにしたい」と言う彰に一平(高橋克実)が提案する糠床に入れて封印するというアイデア。そして修二が胸に刻むデルフィーヌ(忌野清志郎)の「生きていれば最悪な日もある。されど最高な日もある」という言葉。それぞれのキャラクターにそれぞれ教えを与えてくれる人物がいることと、絶対的に信じ合える仲間がいること。バッドエンドだった原作を少しでも救いのあるものへと変化させるというねらいによって、青春ドラマというジャンルが本来持ちうるオールドファッションな魅力がより顕著に表れることになったといえよう。 (文=リアルサウンド編集部)

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