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中川右介のきのうのエンタメ、あしたの古典

手塚治虫と美空ひばり

毎月連載

第11回

19/5/12(日)

手塚治虫さん(写真協力・手塚プロダクション)

 昨年(2018年)5月、平成が「残り一年」となってから、文化・芸術・芸能関係の訃報が相次いだ。

〈人が立て続けに死んで行くニュースに接して、改めて「あ、一つの時代が終わるんだ」と思った。〉

と、7月にエッセイに書いた橋本治まで死んでしまった(ちくま新書『思いつきで世界は進む』に収録されている)。

 最近でも、萩原健一、モンキー・パンチ、小池一夫と相次いだ。橋本治は〈意外と人は「時代の終わり」というものに敏感なのかもしれない〉と書いているが、たしかに、それは言える。

 元号が変わるのは数十年に一回だが、70年代から80年代へ、など10年ごとの「代替わり」の際も、なんとなく、「時代の空気が変わる」気がする。その最たるものは、昭和から平成へ交代したときだった。1989年である。

 この数か月に亡くなった方々をおとしめる気はまったくないが、昭和の終わりに比べると、平成の終わりの「著名人の死」に大きな喪失感はない。なにしろ、昭和が終わった1989年は、2月に手塚治虫、6月に美空ひばりという、まさに戦後日本を代表する人が亡くなったのだ。

 それに比べると、今年に入ってから亡くなった人びとは、平成ではなく、昭和が全盛期だった人が大半だ。昭和に生まれ、昭和に活躍した人が、平成の後半になってそれぞれの世界で生きたレジェンドとなって、平成の終わりに亡くなったわけで、けっして「平成を象徴」あるいは「平成を代表」する人びとではない。

 1989年に手塚治虫と美空ひばりを失ったときの大きさは、同時代の超大物がいなくなったという点で、SMAPの解散や嵐の活動休止、安室奈美恵やイチローの引退のほうに近い。だが、安室やイチローは亡くなったわけではない。

 手塚治虫と美空ひばりが、昭和とシンクロして生涯を終えることになったのは、若くして亡くなったからだ。

 手塚は60歳、美空は52歳での死だった。存命であれば、90歳と82歳。現役で活躍しているかは微妙だが、2019年にも生きている可能性はあった。

 手塚治虫(1928~89)は敗戦の翌年(1946年)に17歳、まだ医学生だったがマンガ家としてデビューし、いきなり人気マンガ家となった。1953年には高額所得者の「画家」の部門でトップになるほど、売れていた。

 美空ひばり(1937~89)も、敗戦直後に世に出た。NHKの『のど自慢』に出たのが1946年、9歳の年で、「うますぎて、こどもらしくない」と鐘が鳴らなかったという伝説がある。レコード・デビューと映画デビューは1949年で、またたくまにスターになる。

 2人とも、若くして頂点に立ち、1970年代前半に手塚は虫プロが倒産、美空ひばりは弟が逮捕されて公共施設でのコンサートができなくなるなど、ともに苦難の時期もあったが、最後まで、第一線にあった。

『火の鳥(1)』(手塚治虫文庫全集)
講談社漫画文庫
(C)手塚プロダクション/講談社

 手塚のライフワークが『火の鳥』で、美空ひばりの病気から復帰しての東京ドームでのコンサートの衣装が「火の鳥」をモチーフとしていたのは偶然ではあろうが、まさに不死鳥のごとく、2人のマンガや歌は、没後30年が過ぎても、消え去っていない。

 以後の30年、「マンガの神様」「歌謡界の女王」と呼ばれるような超絶した大物はいない。平成の30年とは絶対的な、「神」のような存在がいなくなった時代でもあった。

マンガ産業の原点を描いた『手塚治虫とトキワ荘』(集英社刊)

 さて――昨年から一年かけて書いていた『手塚治虫とトキワ荘』(集英社刊)が、5月24日に発売となる。タイトルの通り、手塚治虫だけでなく、手塚に影響を受けてマンガ家になろうとし、手塚が暮らした東京・豊島区のアパート、トキワ荘で暮らしていた、藤子不二雄A、藤子・F・不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫たちの青春時代を描いた。

 トキワ荘には他にも何人かマンガ家が暮らしたり、出入りしていたのだが、最も成功したのが、手塚を含めたこの5人である。彼らはお互いに「知り合い」であったどころか、同じアパートに暮らしていたというのは、奇跡としか言いようがない。

 似た例に、20世紀初頭のパリのモンマルトルの共同住宅「洗濯船」がある。ここには、若き日の無名時代のピカソやブラック、モディリアーニらが暮らしていたのだ。音楽史でも、19世紀前半に活躍し「ロマン派音楽の巨匠」として音楽史に残る、ショパン、リスト、シューマン、メンデルスゾーンたちは、友人同士だった。新しい芸術は、同世代の若者が日常をともにすることで生まれるケースがあるのだ。

中川右介『手塚治虫とトキワ荘』(集英社刊)

 昭和にあった「歌謡曲」は、いまや過去として懐かしむものとなってしまったが、マンガは一大産業となった。

 手塚治虫がデビューした頃は、少年雑誌のマンガのページはほんの数ページしかなく、マンガの本など、ほとんどなかった。マンガというものは、1コマ漫画、4コマ漫画などが大半で、物語のあるマンガそのものが、ほとんどない。敗戦から2年めの1947年に手塚治虫の『新宝島』が出て、よく売れたので、大阪の零細版元が競ってマンガを出し始め、やがて東京の出版社の雑誌も手塚マンガを載せるようになっていく。

 そこから始まったマンガ産業は、いまや全出版物なかで、部数では3分の1、売上金額では4分の1を占めるまでになった。アニメも含めて、日本経済はマンガなしでは成り立たない。その原点を書いてみた。

 平成最後に書いて、令和最初に出る本となったのは、偶然なのだが、発売を前にして、ようやく、昭和が終わった感じがしている。

作品紹介

『思いつきで世界は進む』

発売日:2019年2月6日
著者:橋本治
筑摩書房刊

『火の鳥(1)』(手塚治虫文庫全集)

発売日:2011年10月12日
著者:手塚治虫
講談社刊

『手塚治虫とトキワ荘』

発売日:2019年5月24日
著者:中川右介
集英社刊

プロフィール

中川右介(なかがわ・ゆうすけ)

1960年東京生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、出版社アルファベータを創立。クラシック、映画、文学者の評伝を出版。現在は文筆業。映画、歌舞伎、ポップスに関する著書多数。近著に『海老蔵を見る、歌舞伎を見る』(毎日新聞出版)、『世界を動かした「偽書」の歴史』(ベストセラーズ)、『松竹と東宝 興行をビジネスにした男たち』(光文社)、『1968年』 (朝日新聞出版)、『サブカル勃興史 すべては1970年代に始まった』(KADOKAWA)など。

『サブカル勃興史 すべては1970年代に始まった』
発売日:2018年11月10日
著者:中川右介
KADOKAWA刊

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