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和田彩花の「アートに夢中!」

[特別展]京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ

毎月連載

第3回

京都市上京区にある大報恩寺に伝わる名品の数々を紹介する「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」(12月9日まで)。釈迦如来坐像をご本尊とし、千本釈迦堂の通称で親しまれている大報恩寺には、快慶の弟子、行快作の釈迦如来坐像、快慶作の十大弟子立像、運慶の弟子で、行快とほぼ同世代である肥後定慶作の六観音菩薩像など、鎌倉彫刻の名品が伝わっている。およそ800年前に活躍した慶派のスター仏師たちによる作品は、和田さんの目にどのように映ったのだろうか。

釈迦如来の中に見た「優しさ」
《釈迦如来坐像》

重要文化財 行快 《釈迦如来坐像》 鎌倉時代・13世紀 京都・大報恩寺蔵

 前回に引き続き、今回も大好きな仏像に会いにいってきました。

 まずはなんといっても、本堂内陣の須弥壇上に安置される、行快作の秘仏本尊《釈迦如来坐像》に目を奪われました。
 私、釈迦如来が実は苦手だったんです。なぜかというと、釈迦如来というのは仏教の開祖である釈迦であり、悟りを開いた人物、あまり表情に変化がなく無の境地に入っていて、私にはあまり伝わってくるものがなかったからなんです。なので、優しさを感じる菩薩の方が好きだったんです。
 でもこの像は、今まで出会った釈迦如来とは全然違い、私の苦手意識を覆すような、衝撃的な出会いだったんです。それがすごく楽しくて嬉しくて、ぜひ皆さんにも見ていただきたいと思って選びました。

 まず最初にお顔を見た時、丸みが強く張りのある頬と目尻が上がった目の形から、厳格さを感じ、見ている私も背筋がピッと張ってしまうような雰囲気を持っているなと思いました。でも実際に全体をじっくり見てみると、厳格さやちょっとした威圧感みたいなものはあまりなくて、すごく親しみやすさを感じたんです。

 「どうして苦手だった如来からそんなことを感じるんだろう?」と思ったのですが、それは「手」の表現からそう感じたんだってことに気付きました。この釈迦如来は、「施無畏印」(右手)と「与願印」(左手)という手の形をしています。ちなみに「施無畏印」は相手の畏れをなくす(緊張を和らげる)サインで、「与願印」は相手の願いを聞き届けようという姿勢を表しています。

 これまでは、これは一つのシンボルであり、一つの定式であり、そこまで手の表情に注目してきませんでした。もちろん手の表現は様々で、厳しく律する圧迫感がある手、やわらかく包み込んでくれる手、ただ美しい手などたくさんの手があります。その中で、私にとって釈迦如来の手は本来の畏れを取り除いてくれる意味合い通りな印象ではなく、まるで私の動きを制止させるようでビクビクしてしまう印象を受ける機会が多々ありました。

 しかしこの仏像では、シンボルというあり方ではなく、本当に見ている人の心を穏やかにしてくれるような、そういう雰囲気が伝わってくる「手」の在り方だと思いました。
 手をよく見てみると、両手ともにほんの少し内側に手のひらごと向いています。それに伴って、手首の微妙な角度、ニュアンスも内側に若干向く手のひらのあとを追います。そのため、手のひら全面をこちら側に向けることはなく、私が如来から感じることの多かった制止を促すような印象を受けにくかったのかもしれません。ニュアンスや少しの差の話になりましたが、行快の表現を感じられた気がします。

本当に優秀なお弟子さん?
《十大弟子立像》

重要文化財 快慶 《十大弟子立像》 鎌倉時代・13世紀 京都・大報恩寺蔵 撮影:小野祐次

 次に注目したのが、《十大弟子立像》。釈迦如来を中心に、周りを囲むように十大弟子が配置された、展示空間の迫力がとてもカッコよかったです。普段は別々に安置されているのを、今回特別に当初の本堂の安置状況を考慮しながら展示したそうです。こういうふうに共演できる姿を見られるのも、展覧会だからこその見どころの一つですよね。そういった共演が本当に私は嬉しくて(笑)。

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