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ブレイディみかこが語る、イギリスのコロナ禍と市井の人々の生活 「おっさんにも人生があるし、おっさんは悪魔ではない」

リアルサウンド

20/6/7(日) 10:00

 ブレイディみかこの新刊『ワイルドサイドをほっつき歩け──ハマータウンのおっさんたち』が、6月3日に筑摩書房から発売された。筑摩書房のPR誌である『ちくま』で連載されていた、ブレイディが周囲の中高年の友人たちを描いたエッセイをまとめたエッセイ集でもあり、EU離脱、移民問題、NHS(国民保険サービス)の危機などで揺れるイギリスの今を切り取ったノンフィクションとしても読むことができる。

 大ヒットとなった著者の前作『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』では、自身の息子に焦点を当て社会のあり様を描き評判を呼んだが、本作では“おっさん”(とその周りの人間たち)の姿を通し人生の悲哀やイギリスの市井に生きる人々を生き生きと描き出した。

 今回、リアルサウンドブックでは、イギリスに住むブレイディみかこにZoomを使用してインタビュー。世界に混乱をもたらした新型コロナウイルス感染症のイギリスでの実態や、新刊執筆の経緯、“おっさん”たちの今、そして本書を通じて伝えたかった思いも訊いた。(5月16日取材/編集部)

「コロナの沙汰も金次第」

ーー本の話に入る前に、やはりコロナ禍のことをお聞きしたいです。イギリスは、まだかなりシビアですか?

ブレイディみかこ(以下ブレイディ):こっちはもう、やや緩められた部分があって、ガーデンセンターみたいな植物を売っているような店がオープンしたり、DIYのお店に長蛇の列ができたりしています。仕事に関しては仕事場に行かないとできない人は行っていい、ただできるだけ公共の交通手段を使わないでとジョンソン首相が言ったりしていて、しかし歩いて行けない距離もあるわけで、はっきりしない感じです。

ーーブレイディさんご自身は基本的に家の中にいらっしゃるんですか?

ブレイディ:私もそうだし、この辺はみんなわりとそうです。これは『群像』の連載にも書きましたが、自宅が工事中なので、仮住まいでいつもと別の所に住んでいるのですが、このあたりはミドルクラスが住んでいて優雅です。

ーーブライトン(注:ブレイディが居住する町)ではないんですか?

ブレイディ:ブライトンの違うエリアです。このあたりは、普段から週に何回か会社に行きあとは家でテレワークをしているような会社の重役さんとか、そういう人たちが住んでいる地域で、コロナといってもいつもとそんなに変わらなかったりします。工事の様子を見に元の家にたまに帰りますが、こちらには労働者階級が多く、全然雰囲気が違いますね。スーパーに勤めている人、介護士や看護師、そういう仕事の人たちはいま、「キーワーカー」と言われてます。アメリカだったら「エッセンシャルワーカー」って言うのかな。要するにロックダウン中も社会を回すために働かなければいけない人たちです。両親ともにキーワーカーの子供は学校にも行っています。学校は休校だけど、父親が消防士で母親が看護師とかだったら、どちらも働かないといけないから、子供の面倒を誰かが見なきゃいけないじゃないですか。このあたり、「コロナの沙汰も金次第」じゃないけど、階級でこの危機の経験にも差が出てるのは感じます。

ーーとなると、労働者階級の人たちの方に感染者も多く出てしまう?

ブレイディ:そうなりますね。両親ともにキーワーカーの子供だったら、例えば両親が家で働いている人たちに比べると、感染の可能性は高いじゃないですか。そういう子供たちばかり集めて学校に通わせているから、その子供たちが一番リスキーなところに置かれているじゃないかという議論もある。と同時に、これは新刊を読んでいただければわかると思いますが、労働者階級の人たちは普段からけっこう人の付き合いがあるから、助け合って、スーパーで買い物して食べ物を運んであげるなど、いつにも増して繋がりが強くなっている側面もあります。

“いいお母さん”みたいなイメージになっちゃったらやばい

ーーではその新刊『ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち』の話ですが、「おっさんの話を書いて欲しい」という担当編集・井口さんの依頼は、とても意表を突くものだったとあとがきにありますね。

ブレイディ:私は、「保育士なの?」という点が珍しがられて、『子どもたちの階級闘争』という本も書いているので、子どもについて書いてくれとか、幼児教育、育児、子育てについて書いてくださいと言ってくる方がたくさんいらっしゃるんです。その中で、以前にもお仕事をしたことのある井口さんはそうじゃなくて、「おっさんを書いてほしい」という気持ちがハッキリとあったようです。

ーーそれは、以前からあったんですか?

ブレイディ:長いこと絶版になっていた『花の命はノー・フューチャー』を文庫(ちくま文庫)にしてくださったのは井口さんです。あの本は、単行本が出てから10年以上放置された本。みんな危険と思ったのか、元気のいい本だから、「復刊しよう」という人はいなかった。井口さんだけなんです、あれやろうと言ってくださったのは。その話をしていた時に、井口さんが、あの本に出てくる寂しいおっさん、悲しいおっさんの話が「すごくいい」って。おっさんについて書け、というのはそのあたりから派生した話だと記憶しています。

去年出た『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)がおかげさまで多くの人に読んでいただいたので、なんかお母さん専門みたいな感じになってきてるんですね。「育児のコツは?」みたいな。あの本を読んでくださればわかると思いますが、私は育児なんてなにもしてなくて、子供が勝手に育ってるんで、そのことに驚いて、こっちが学んでいるっていう本なんですけどね。育児や子どもの本の依頼が多かった中で「おっさんを書いてほしい」は全然違うし、だからうれしかったです。私、もともとこっちが先だったという感じがありますから。

ーーなるほど。せっかくZoomでつながってますから井口さん、そういうことでいいですか?

井口(担当編集):『花の命~』の中に、誰にも知られないで一人で死んじゃうおじさんの話があって、それがとにかく悲しくて。他にも心に残るおっさんがいたので、お願いしました。『花の命~』はブレイディさんならではのパンクな感じがして、そこがいいんです。

ブレイディ:“いいお母さん”みたいなイメージになっちゃったらやばいですよね(笑)。『花の命~』を書いた自分もいぜんとして存在しているので。

ーー登場人物の皆さんは、むろん名前は違うと思いますが、基本的に実際にいらっしゃる方ですよね?

ブレイディ:いらっしゃいます。モデルのおっさんたちとロックダウンに入る前に集まったことがあって、こういう本が出るという話をした時に、たとえば息子だとなにが書いてあるのかすごく知りたいと気になってグーグル翻訳したりするのに、おっさんたちは「またあることねえこと書いてるんだろ、お前」とか「売れたらみんなでラスベガス行こうとか」(笑)、そんな感じで気が抜けた反応でした。

ーーーハハハ。だいたい皆さん、ご近所やブライトンの方ですか?

ブレイディ:さまざまです。ブライトンの人も出てきますけど、ほとんどは連れ合いが昔育ったロンドンの友だちだから、エセックス州に住んでる人もいるし、まだロンドンのはずれにいる人もいるし。ただみんな南部の人ですね、北部の人はいないです。

ーー今回あらためてイギリスの地図を見ましたが、ブライトンって本当に南の端っこなんですね。

ブレイディ:これ以上南に行ったら海っていう土地です。

ハマータウンの“野郎ども”が、おっさんになっている

ーー『ワイルドサイドをほっつき歩け』というタイトルと、あと「ハマータウン」が出てきますけど、おっさんについて書こうかとなったときに、ポール・ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』(ちくま学芸文庫)は当初から意識していたのですか?

ブレイディ:『ハマータウンの野郎ども』に登場する少年たちの価値観っていうんですかね、体でやるのが本当の仕事、労働者階級の仕事こそ本物だと思ってる。これはうちの連れ合いにもあるんです。例えば私が一日家にいて、物を書いたりするのを、彼は本当の仕事だと思ってない。遊んでると思っている。ダンプを運転するような仕事、辛くて体を使ってする仕事こそが本物の労働だと思っている。『野郎ども』にも出てくるマッチョな価値観が、結局階級の再生産になっているんですけど、実は私のこともフルタイムの保育士時代のほうが本物の仕事をしている人としてリスペクトしていたと思う。それで「おっさんを書いて」と言われた時、「あの『野郎ども』に出てくる少年たちがおっさんになった姿を書こう」とピンときました。最初「ハマータウン」という言葉を入れたタイトルにしようと井口さんに提案したんですけど、もうちょっとポップなタイトルの方がいいんじゃないかという話になって、『花の命はノー・フューチャー』がセックスピストルズだったので、今度はルー・リードにちなんで『ワイルドサイドをほっつき歩け』で行こうと決まりました。

ーー「ほっつき歩け」という表現がすごくいいですね。

ブレイディ:セーフサイドに行けないというか、どこに向かうともなくほっつき歩いてる感じがありますよね、彼らを見ていると。

ーーエッセイに分類される本だと思いますが、冒頭に「主な登場人物」の一覧があって、まるで小説みたいで、読む人にとっては面白いしありがたかったです。

ブレイディ:それは、井口さんのアイデアです。親切ですよね。

ーー読み進めるのに非常に助かりました。おかげでだんだん自分の贔屓の人が出てきたり……。

ブレイディ:誰が好きでしたか?

ーーぼくはスティーヴさん。実はすごく親切なのに態度が基本不機嫌そうで、素直になれない感じにはグッと来ます。

ブレイディ:ああ! 彼は、今スーパーですごくがんばっています。やっぱり普通の状況じゃないから、スーパーの店員に悪態つく人とかいるんですよ、イライラして。そういう時に彼が出ていくと、強面なもんだから、相手はすぐ黙っちゃう(笑)。

ーーいいですね。この本にはおっさんばかりでなく、そのパートナーや女性もたくさん登場します。例えばレイとレイチェルみたいに、読み進めていくと関係性が変わっていく人たちもいます。そういう記述も、まったく見知らぬ人なのにハラハラしました。

ブレイディ:『ぼくはイエロー~』を書いた時はフォーカスがうちの息子に集中しているから、時の流れが割とゆっくりじゃないですか。でも今回はいろんな人について書いてるから、例えばレイとレイチェルもだんだん関係性が悪くなっていく模様がバックグラウンドで進んでいたんだけど、その間、違う人のことも書いてるから、2人がまた登場した時、突然パッと時が進んだような感覚があるのかもしれません。

イギリス人のNHS愛は宗教みたい?

ーーみなさん非常にタフですよね。こういう人たちが世の中を動かしてるうちに、彼ら彼女らに都合よく仕事をさせて世の中を成立させている部分、つまり自負みたいなものに乗っかって、階級社会を結果的に支えてしまっているようなところもあり、その辺りが非常に難しいと思うのですが、イギリスではどのように考えられていますか?

ブレイディ:コロナでイギリスはキーワーカーに感謝しようという機運がすごくあります。テレビを見ていても、いろんなセレブリティから普通の人まで、自宅からのZoomみたいな映像で、「Thank you key workers」と言う映像とかが流れるんですよ。そして毎週木曜日の夜8時に家の外、玄関の外に出て拍手するという習慣がずっと続いています。それはキーワーカーに対する拍手。普段キーワーカーは、低所得じゃないですか。でも社会を支えてるのは本当はこう言う人たちだったというのをみんなが意識して、変わってきている部分があると思います。もちろん、そういう感謝や拍手は偽善的だし、社会の構造を考えるとグロテスクだと批判する人たちもいて、拍手しないことを選ぶ人々もいますが。

ーー本書でとても勉強になったのがイギリスのNHS(国民保健サービス)についてです。日本にも国民健康保険がありますが、NHSは時代によって同じ制度なのにサービスがこんなに変わってしまうのかと驚きました。

ブレイディ:イギリスはNHSのおかげで治療費がタダなんですよ。連れ合いの癌治療も全く無料だったし、私の不妊治療、体外受精もすべてタダです。どちらもすごいお金がかかるので、NHSがなかったら、連れ合いは亡くなってたかもしれないし、息子もいなかったかもしれません。でもタダだからこそ、政治的な影響を受けやすいし、緊縮財政でどれだけ機能しなくなったかということはこの本にたっぷり書いている部分ですが。

 それでもイギリスの人たちのNHS愛はすごいですよ。『Gogglebox(ゴグルボックス)』という「テレビを見ている人たちを見る番組」があるんですが、イギリスがロックダウンに入った時にNHSの病院を追ったドキュメンタリーを見せた時なんかたいへんでした。あるNHSの病院の看護師がコロナで呼吸困難に陥って大変な状況になってると。それが高齢の黒人看護師さんなんです。呼吸用の管が喉につかえてしまい、取り除く手術をやってるところをテレビが追って、それをイギリス中のどの家庭もみんなで見ている。手術が成功し、コロナも治って退院する際、NHSの病院に看護師も医師も事務のスタッフもみんな廊下に並んで、拍手してる。それで、その黒人女性が挨拶するんです。「私は1970年からNHSで働いてきた。毎日働いた。一日も病気で休んだことはない。それが今回、こんな病気になったりして自分に怒っていた。あなたたちの多くが遠く離れた国から来て私たちを助けるためにここにいることを知っている。もう少し踏ん張りましょう。私たちは乗り越えられる。そうしたらNHSはますます良いものになっているでしょう。私は看護師になったことを誇りに思います」って。それを聞いて、テレビを見ていた人たちは例外なくみんな泣いてました。それをみた息子が、「NHSってイギリスにとって宗教みたいだね」って。(笑)

 印象的だったのは、労働者階級のおっさんが、「ジョンソン首相とか、コロナ禍になっていろんな政治家がスピーチしてるけど、これまで聞いた中で彼女の挨拶がベストだった」と言ったんですね。そんな風にNHSにはみんなを泣かせる何かがあるみたいです。

ーーそこまで愛されているNHSに対して、緊縮政策で大幅に予算削減してしまったわけですね。

ブレイディ:それに対する反発の盛り上がりはすごかった。だから去年の12月に選挙があった時も、ジョンソン首相は「緊縮はやめてNHSに投資する」と言って支持を伸ばしました。彼はEU離脱派のリーダーでしたが、離脱に投票した人たちに「なんで離脱に入れた?」とアンケートをとったら、一番多かった理由はやっぱり「移民をコントロールしたい」だったけれど、二番目に多かったのが「EUを離脱したらNHSにもっとたくさんお金が使えるから」でした。離脱派は、イギリスはEUにこれだけの拠出金を毎年払ってるけど、離脱すればそれをNHSのために使えると吹聴したんです。結局それはデマでしたけど。

おっさんだって、みんなみんな生きているんだ

ーー各章のタイトルが、さまざまな曲のタイトルになっていますが、これは最初から決めていたことですか。

ブレイディ:連載第一回の原稿で「いいじゃないの幸せならば」という言葉を入れました。すごく古い曲で、佐良直美さんの曲です。次の2回目もあまり意識せず同じように曲名を入れ、3回目の時、何も音楽や曲名が入っていなかった。そうしたら井口さんから、「今回何も音楽について入ってないですけどいいですか?」という確認ともリクエストともしれないツッコミが入りました(笑)。そこから意識したので、最初から決めていたわけではないんです。

井口:宝探しみたいなマニアックな読み方ですけど、出てくる曲の歌詞を調べるとまた2倍3倍に楽しめます。「ブライトンの夢」はThe Poguesの「Fairytale of New York(ニューヨークの夢)」という曲のもじりですが、それは監獄でクリスマスを迎えるというような歌詞で、それがエッセイの内容とクロスして面白かったりとか……。

ブレイディ:確かにクロスしてますね! 書いた本人がわかってない(笑)。ちょっとそれ、今度私がやってみます!

ーー第2章は解説編になっていて、イギリスの世代や階級について書かれていますが、これがまたとても勉強になりました。

ブレイディ:これも井口さんから「イギリスの階級の話が知りたいです」とリクエストが来たので、それに応えたカタチです。最初は付録にしようかとも思っていたんですが、付録にしては長くなりすぎてしまったので、第2章になりました。

ーー本書に出てくるくらいの年齢、もっと下も含めて、日本のおっさんが本書をどういう風に読むか、すごく楽しみです。

ブレイディ:本当に。でも私、女性にも読んで欲しいんです。おっさんのパートナーである人とか。会社であのおっさんのことよくわからないとか、あのおっさんむかつくとか思ってる人たちにも、おっさんにも人生があるし、おっさんは悪魔ではないよ(笑)、みんなみんな生きているんだ、という部分を読んでいただけたらと思います。

ーーSNSが顕著ですけど、最近は同じような考え方同士の人間がつるんで心地よくなりやすい。でも、本書では、全然違う考え方の人同士でも対面している様子が描かれていますね。

ブレイディ:それについて、すごく意識して書いたのは、極右のデヴィッドの話(「ワン・ステップ・ビヨンド」)です。本に書いたとおり、パーティーがあるたびになぜかいつも隣同士……。大嫌いだったんですけど、ある日彼がいつも出ていたパーティーに行ったら、亡くなっていたことを聞かされた。その時に、その人が気に入ったからプレゼントした息子の市松模様のポークパイハットが戻ってきたんです。頭が小さい人だったから、息子の帽子がすっぽり入ったんですけど、彼はそれをずっと持ってた。「日英同盟の復活よ」とか言い出す右翼っぽい人でほんとに隣に座るたびに気まずいというかムカつくというか困った人だったんだけど、その帽子を見るたびに私、泣けてきてしまうんです。泣きながらエッセイを書いたことなんてなくて、いつもわりと冷めてるんですが、これだけは泣きながら書きました。

 憎たらしいところを書いていても涙が出てくる。本当に嫌なやつで性格も悪くて、意見も合わなかったけど、泣いてしまう。この泣くという感情がどこからくるんだろうと思いつつ、「これが人間というものだよね。これを忘れたらダメだよね」という風に思って、そういうことを伝えたかったエッセイなんだと思います。

■書籍情報
『ワイルドサイドをほっつき歩け──ハマータウンのおっさんたち』
著者:ブレイディみかこ
出版社:筑摩書房
定価:本体1,350円+税
<発売中>
https://www.chikumashobo.co.jp/special/wildside/

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