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水先案内人のおすすめ

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注目されにくい小品佳作や、インディーズも

吉田 伊知郎

1978年生まれ 映画評論家

脚本家・桂千穂 血と薔薇は暗闇の映画

『蔵の中』(5/5〜5/11)  ラピュタ阿佐ヶ谷「脚本家・桂千穂 血と薔薇は暗闇の映画」(5/2〜5/29)で上映 1970年代半ばに爆発的なブームを起こした横溝正史。小説にとどまらず、映画、テレビ、CMでも横溝が生んだ名探偵・金田一耕助は活躍を見せたが、戦前に横溝が作り出した耽美的な世界は手つかずのままだった。昭和10年に執筆された『蔵の中』は、角川映画としては最後の金田一ものの映画化となった『悪霊島』(81年)の併映作として作られたものだ。 蔵に幽閉された胸を病む美しい姉・小雪(松原留美子)への思慕が立ち難く、禁じられた蔵へ足を踏み入れた笛二(山中康仁)。幼い時分に中耳炎で耳を悪くしたため口がきけない小雪の唇の動きを読んで意思疎通する笛二は、ふたりだけの世界へと没入してゆく。そして、ふと望遠鏡で覗いた下界の屋敷では、磯貝(中尾彬)と愛人のお静(吉行和子)との愛欲生活が垣間見えた。読唇術に長けた笛二にとってはふたりの会話が手に取るようだったが、そこで交わされていたのは……。 映像における横溝ブームの導火線となった『本陣殺人事件』(75年)を撮った高林陽一が監督しただけに、角川映画とは思えないほど淫靡な世界を濃密に描いており、昭和9年を舞台にしているものの当時の世相などは取り入れず、閉じられた土蔵の中に広がる姉弟の世界を硬質な映像美で描き出している。 本作の映画化は、高林が『本陣殺人事件』を撮り終えた後から温めていたもので、遂には製作母体が決まらないまま脚本を刷るほどの熱の入れようだった。1980年末、高林が角川春樹に『蔵の中』の映画化を企画している旨を伝えたところ、翌春になって、まだ決まっていないなら一緒にやらないかと持ちかけられたことから急転直下、角川映画での製作が決まった。もっとも、製作費は4千万円というローバジェットで、角川映画の新たな方向性を模索したテストケースにもなった。 脚本の桂千穂は、ミステリマニアとして知られており、その能力を見込んだ市川崑が、金田一シリーズの『女王蜂』(78年)では共同脚本に招いたこともある。またロマンポルノでも数々の傑作を書いてきただけに、ミステリ×エロスが不可欠な本作の脚色にはうってつけの存在である。それに高林の盟友でもある大林宣彦とのコンビ作でも分かるとおり、桂は映像技巧派監督との相性が良く、本作でもガッチリした構成で高林の映像美を支えている。 喋れない姉に代わって甲斐甲斐しく世話を焼く弟の役は、ひとりでふたり分の演技を背負わなければならないだけに新人俳優には荷が重く、後半に中尾彬と吉行和子が出てくるまではやや苦しい。いっぽう、姉を演じる松原留美子は当時売出し中のニューハーフ。劇中では声は一切出さず、上手く喉仏を隠したりしているが、こちらも演技力は心もとない。しかし、キッとなる眼差しは良く、目の演技には一見の価値があるだけに、この野心的な配役にも注目してもらいたい。 映画の主役とも言える〈蔵〉は、外観は京都府八木の農家の蔵、室内は滋賀県高島市の近江高島駅近くの商家の土蔵を借りて撮影された。これは高林が本物の蔵で撮ることにこだわったためで、劇中に登場する蔵の中の箪笥や長持も、蔵に元からあったものを使用しているという。そういえば『本陣殺人事件』でも舞台となる旧家は、美術監督の西岡善信の実家が使用されていたことを思えば、高林映画が低予算を一切感じさせないのは、重厚な本物の建物を美しく映し出し、原作の世界観と見事な調和を図ってみせるからだろう。なお、劇中で印象深く現れる題字を書いたのは横溝自身である。

21/5/4(火)

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