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エンタテインメント性の強い外国映画や日本映画名作上映も

植草 信和

1949年生まれ フリー編集者(元キネマ旬報編集長)

戦後独立プロ映画のあゆみ-力強く PARTII

『女優』9/8〜9/10 ラピュタ阿佐ヶ谷 特集「戦後独立プロ映画のあゆみ―力強くPARTⅡ」(7/28〜9/28)で上映 原作者の森赫子、といっても映画『残菊物語』『五重塔』、自伝小説『女優』の著者として歴史に刻まれている程度だから、今やその名を知る人はほとんどいない。 その自伝小説『女優』は、「ちょうど家を赤く塗り変えた年に生まれたため、赤という字を二つ並べて私を赫子と命名したのはお爺さんであるらしい」という描写から始まる。 女優だった養母の誘導で松竹蒲田に入社。後に新派に転じて花柳章太郎の相手役を経て再び映画女優となり、溝口健二監督の『残菊物語』で好演。40歳で虹彩炎で失明するまでの苦難の道のりが綴られている。1956年6月刊行、その年のベストセラー(第8位)になった。 新藤兼人監督はいち早くそれを映画化、公開が同年の11月27日だから、刊行からわずか5カ月後のこと。問題作よりもヒット作を作ろうとした意図がうかがえる。『原爆の子』がヒットしたとはいえ、一本失敗すれば解散という背水の陣を強いられていた独立プロの極貧の台所事情も伝わってくる。 主演の乙羽信子は宝塚から大映女優、『原爆の子』で新藤と結ばれて近代映画協会の専属女優になったことを思えば、養女体験も含めて森赫子と重なる部分も多い。 戦前の新派、映画界の状況が再現されていて、風俗映画としても興味が尽きない一篇だ。

19/9/7(土)

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