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水先案内人のおすすめ

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注目されにくい小品佳作や、インディーズも

吉田 伊知郎

1978年生まれ 映画評論家

《若松孝二監督命日上映》

『濡れた賽の目』 若松孝二の突然の死から間もなく9年になる。精力的に新作を撮り続けていた最中の衝撃的な死だった。しかし、多作だったのが幸いして、今もなお未知の作品が不意に新作のような輝きで目の前に現れる。若松監督の命日にテアトル新宿にて行われる恒例の追悼上映で今年上映される『濡れた賽の目』もそんな1本だ。昨年、日活でネガが発見された1974年公開の幻の若松映画である。 60年代半ばから若松映画の脚本を書いてきた足立正生が日本赤軍に身を投じて日本を離れると、若松映画は失速した。事実、それまでは1年に軽く5本は撮っていたが、足立の離脱以降は1年にわたって新作が途切れる事態となった。 もっとも、足立の不在だけでなく、若松プロダクションの経営悪化も影響していたようだ。若松がプロデュースし、イラストレーターの林静一が監督した『夜にほほよせ』(1973)は、若松によると、「三百五十万円かけて、四十万円しか稼げなかった」(『週刊大衆』74年3月7日号)という。さらに若松自身がATGで撮ろうとしていた瑳峨三智子主演の企画は、製作費600万円のうち、400万円を出演料に充てると嵯峨に言ったところ、機嫌を損ねたようでご破算になってしまった。 そうしたなかで、1973年12月に10日間で撮影された久々の新作が、『女陰女賭博師』という題名で企画された『濡れた賽の目』である。北陸の漁港にたどり着いた2組の男女が地元のヤクザと騒動を起こしながら、海の向こうのシベリアを目指そうとする。彼らはここではないどこかへ向かおうとしつつ、そこに何があるのかを問いかけ合う姿には、若松プロの共同ペンネーム出口出の名義で本作の脚本を書いた荒井晴彦が、足立に越境を誘われながら日本に残ることを選んだ心情が反映されているようだ。もっとも、若松の口を通せば、本作は「司美智子主演でネ、オ○○コの中にサイコロを入れてバクチする映画なんだ。七年前の羽田闘争をイメージにした実に面白いヤツなんだ」(前掲)という映画になるのだが。 この作品が特別な意味を持つ理由が、根津甚八の映画初出演作かつ、長らく本人がフィルモグラフィから抹消していたからである。状況劇場のパレスチナ公演で『唐版 風の又三郎』を上演し、段取りを受け持った若松と足立と懇意になったことから、本作の出演につながった。まだ初々しく、自暴自棄な若者を演じる根津には色気があり、その姿は一見の価値がある。 過去をひきずる飲み屋の女将を演じる司美智子は、実相寺昭雄の『無常』や、『人造人間キカイダー』のモモイロアルマジロで知られるが、彼女が歌う主題歌の作詞は荒井晴彦、作曲が近田春夫である。『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(リトルモア)には本作にまつわるエピソードが記されているが、近田の義兄と荒井が親しかったことから音楽を依頼された近田は、「塚田みのる」の変名でクレジットされていると同書では語っている。当時の資料でもそう記されているが、劇中のクレジットを確認すると、音楽は近田春夫&ハルヲフォンとなっており、近田が唄う劇中歌も含め、激レア音源が次々に流れてくる。 本作は完成後、日活に売り込んだが、若松によると「日活側の値段が安すぎてネ」(前掲)と、交渉は不首尾に終わったようだ。一方、日活の広報部は「ウチの作品傾向にマッチしないので、とりやめました」とコメントしている。 ところが、どういう経緯をたどったのか、1974年9月11日から日活ロマンポルノの3本立ての1本として公開されている(2本を日活が製作し、1本を外部から買い取ったピンク映画を付けていた)。しかし、運の悪いことに、本作と併映されたのが、『(秘)色情めす市場』というロマンポルノ屈指の極めつけの傑作だった。荒井は打ちのめされたという。 そうした当時の状況から解放された47年後の今、純粋に1本の作品として、若松孝二×荒井晴彦×根津甚八×ハルヲフォンの共闘が何をもたらしたのかを見つめることができるはずだ。 当日は上映後、荒井や足立も参加するトークがひらかれる。若松はもう居ないが、上映される映画と、当時を回想する当事者たちの言葉の中では、若松孝二はまだ生きている。

21/10/17(日)

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