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映画史・映画芸術の視点で新作・上映特集・映画展をご紹介

岡田 秀則

1968年生まれ、国立映画アーカイブ主任研究員

ハイゼ家 百年

ごくパーソナルな文字の記録から、20世紀ドイツの歴史が浮かび上がってくる。三代にわたるハイゼ家の人々の手紙や日記に記されているのは、大状況の底で生きることの不安や重圧、そしてそこで辛うじて繋ぎ止めようとした希望だ。それは、能弁でかつ思索的である。 そんな文字の集積をあえて一本の映画として構成しようとするのが、監督トーマス・ハイゼの野心だ。資料アーカイブはいかに映画になり得るのか。抑制された自身の朗読の声とともに、そこにはセピア化した過去の写真があり、証明書や公文書の類がある。中でも私たちを絶句に追い込むのは、朗読とのタイミングを計算され尽くした、戦時下ウィーンのユダヤ人強制移送者リストのスクロールだ。ストイックな手法に反比例するかのように画面に厳しい力が宿る。 だが、この映画には「現在」も見える。雨に濡れた路面電車のガラス窓、発電用風車の影を受け止めている木々、いまや見向きもされない東ドイツ社会主義礼賛の壁画…。ベルリン陥落の凄惨な光景を語る声には、横移動で映り続けるパイプラインが伴走している。なぜこの映像なのか? むしろ、スクリーンの動きに沿う限りにおいて、この映画の主役は「現在」なのかも知れない。とりわけ頻繁に現れる「現在」は、静かにゆっくり進む列車と、活気のない鉄道駅だ。その無機的な寒々しさは、この映画のもう一つの本質を指し示しているだろう。 ワイマールの夢を失い、ナチの圧政や東ドイツの監視体制のもとに置かれても、知性を失わず生きようとした一家。映画の流れに沿ってその苦い歳月をたどりながら、ついには、「現在」こそ歴史の廃墟なのではないか、というより一層苦い認識に私たちは立たされる。『ハイゼ家 百年』は、現代史の証言であるだけではない。言葉と映像の恣意性を武器にして、歴史の堆積としていまここにある「現在」を、私たちに厳粛にリマインドする一本でもある。

21/4/16(金)

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