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吉田 伊知郎

1978年生まれ 映画評論家

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実

三島由紀夫ほど映画と親和性が高い作家はそういない。原作者としてだけでなく、映画評論や俳優論も書けば、監督までこなし、俳優として映画の主役までやってのける。 〈俳優・三島由紀夫〉の最大の弱点を挙げれば、下半身が動かないことである。鍛えられた上半身に比べて足ももつれ気味で小男ぶりが目立ってしまう。フルサイズの芝居が要求されがちな映画の場合、下半身が鈍重な俳優は露骨に目立つ。増村保造監督による三島主演作『からっ風野郎』(1960)では、初登場シーンから三島は上半身しか映されず、全身が登場するのはごくわずかなのは、そうした理由があったからではないだろうか。 完成した映画を観たとき、三島は画面上の自身の欠点を理解したのだろう。この後で監督・主演した『憂國』(66)では、終始座ったままで下半身を画面上からは覆い隠し、切腹という上半身のみで最大の効果を発揮するパフォーマンスをクライマックスに設定している。五社英雄監督の『人斬り』(69)でも同様の切腹シーンを観ることができる。三島はどう撮られれば最も美しく自身を見せることができるのか熟知していたのだろう。 1969年5月13日、東大駒場900番教室に現れた三島は東大全共闘の学生たちと討論を行った。この伝説的な討論をTBSが1時間半近くにわたって撮影したフィルムが現存していたことから、当時の映像と関係者への新たなインタビューによって構成された本作が生まれた。 しかしながら、疑問も浮かぶ。この討論は翌月には活字化されており、今でも『美と共同体と東大闘争 三島由紀夫・東大全共闘』(角川文庫)で読むことができる。映像が見つかったからと映画に仕立てたところで、そこに映されている映像が凡庸だった場合は活字の絵解きにしかならないのではないか。だが、幸いなことにそれは杞憂に終わる。残された映像には、見事な撮影と演者によって繰り広げられる〈ディスカッション劇〉が映し出されていたからだ。 前述したように、三島は自身がどう画面の中で映えるかを熟知している。大学の講堂には演台があり、三島は演台の前から動くことなく、腰から上のみを見せることになる。撮影は上手の舞台下から1台のカメラで行われており、三島の上半身を見上げたアングルで捉え続けている。あおりのショットは劇映画においては威圧感を与えたり、巨大感を出すために用いられるアングルである。ここでの三島は自信にあふれ、実物よりも遥かに大きく見える。 もっとも、こんな偶然撮られたものに対して、三島がそこまで意識していたのかという声もあるだろう。だが、新撮のインタビューの中で司会を務めていた木村修は、テレビ撮影用の照明がまぶしかったと証言している。フィルム撮影となると、相当の光量がなければ映らない。明かりが煌々と照らす中で、三島が撮影を意識しなかったはずはない。 とはいえ、それだけなら自意識過剰な作家にすぎない。途中で赤ん坊を肩車した芥正彦が壇上に登ったところから、両者がともに〈見られる〉ことを意識したパフォーマンスを際立たせながら白熱したディスカッションを行うことで、壇上は演劇的空間へと変貌する。これこそが映像ならではの魅力である。三島も芥の挑発に乗って、赤ん坊を真ん中に置いて討論を進める。カメラがちゃんと赤ん坊にもズームして、事の成り行きをキョトンとした表情で見ている姿を映しているのが素晴らしい。 カメラはズームによってフレームサイズを的確に変更しながら盛り上げてゆく。椅子に腰掛けて演台から顔だけが突き出た三島の表情、演台に片手を付いて三島と友人と会話するような至近距離で対話する芥のふたりを捉えたウエストショット、そして芥から三島に渡される煙草など、不自由なアングルを課せられながらも、見事に両者の表情を切り取ってゆく。 こうした活字からこぼれ落ちた部分を挙げても、人によっては木を見て森を見ずにすぎないと思われるかもしれない。しかし、討論の内容だけならば文庫で読めば事足りる。なぜ映像で観るのかという答えを、残されたフッテージが雄弁に物語っているのだ。 1970年11月25日、三島は自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーで演説を行う。その姿を捉えた映像の多くは、下からあおりで三島の上半身を撮っている。東大での討論と同じように。そして三島は最期に上半身を使って最大のインパクトをもたらす方法をとった。カメラにどう映ることになるかを熟知していた三島にとって、東大全共闘との討論を記録した映像は、『憂國』や三島事件とならぶ、最高の主演映画だったのではないだろうか。

20/3/23(月)

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