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水先案内人のおすすめ

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文学、美術、音楽など、映画とさまざまな構成要素に注目

高崎 俊夫

1954年生まれ フリー編集者、映画評論家

Peter Barakan’s Music Film Festival

『Billie ビリー』(7/2〜7/15 ※7/4と7/10は除く)  角川シネマ有楽町「Peter Barakan’s Music Film Festival」(7/2〜7/15)で上映   7月2日から始まる「ピーター・バラカンが選んだ音楽映画フェスティヴァル」で上映されるビリー・ホリデイのドキュメンタリーだが、映画祭でかかるだけ、というにはあまりにも勿体ない秀逸な作品である。 映画は、ビリーの評伝を書くために150人もの関係者に取材した女性ジャーナリスト、リンダ・リブナック・キュールが残した200時間以上に及ぶ録音テープを素材にしている。ビリーホリデイといえば『奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝』(晶文社、大橋巨泉、油井正一訳)が有名だが、この自伝はビリーの生前、映画化されるのを前提にゴーストライターが聞き書きしたもので、やや綺麗ごとの部分がなきしにもあらずだった。実際、後に、この自伝をもとにダイアナ・ロス主演で撮られた『ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実』(72年)は、あまりにも酷い出来栄えだった。 『Billie ビリー』は、トニー・ベネット、アーティ・ショウ、チャールズ・ミンガス、カーメン・マクレエなどのジャズメンの肉声の断片を通して、ビリー・ホリデイというジャズ史上の最高のシンガーの光と影、栄光と悲惨に彩られた生涯を浮かび上がらせようとする。なかでも赤裸々に語られるのは、ニンフォマニアックなまでのやるせない男遍歴である。 あれほどの深い洞察に満ちた絶唱を聴かせてくれたビリー・ホリデイがつきあった男はほとんど例外なく吸血鬼のような甲斐性のないジゴロばかりという致命的なまでの男運のなさはどうだろう。 そのいっぽうで、映画は、『奇妙な果実』という奴隷制度を告発する悲痛なナンバーを歌ったビリーが、公民権運動に連なるムーブメントを準備したゆえに、キング牧師と比肩される存在と見做されたことを指摘している。さらに麻薬に溺れたビリーを、麻薬捜査官が彼女のその知名度ゆえにスケープゴートとして執拗に狙い撃ちし、追いつめていく軌跡をも丹念に追っている。 このリンダという女性自身が、その取材の過程で謎の死を遂げていることも興味深い。映画は、彼女とカウント・ベイシーとのダイアローグを通じて、ふたりが過度に親密な関係にあったことを示唆する。リンダ自身が精神的な欠落感を抱えているがゆえに、ビリー・ホリデイに深く感情移入し、烈しい自己投影を行なっているフシも感じられるのだ。 なお、幸いなことに、リンダの夥しい資料を十全に駆使したドナルド・クラークの評伝『月に願いを ビリー・ホリデイの生涯とその時代』(98年、諸岡敏行訳、青土社)が出ているので、ぜひ、ご一読いただきたい。 一見、ある種の神話破壊と見紛うような、このドキュメンタリーを見終えた後に、脳裏に浮かぶのは、しかし、ビリー・ホリデイという歌手の名状しがたい魅力、その声の比類なき陰翳に富んだ豊かさということである。

21/7/1(木)

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