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古今東西、興味のおもむくままに

藤原えりみ

美術ジャーナリスト

小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌

大正から昭和にかけて京都を中心に活動を展開した日本画家・小早川秋聲(1885〜1974年)の初の大規模回顧展。京都文化博物館(8月7日〜9月26日)から始り、東京ステーションギャラリーで開催中。そして秋聲の生まれ故郷である鳥取の鳥取県立博物館へと巡回する予定(2022年2月11日〜3月21日)。太平洋戦争中に「戦争記録画」として兵士の遺体を描いた《國之楯(くにのたて)》(1944年)が反戦的であるとして陸軍から受け取りを拒否されたことは知っていたが、画家としての生涯と作品群に初めてじっくりと触れることができた。 鳥取県の東本願寺系の寺に生まれ、9歳で衆徒として僧籍に入るも、画家になりたいという思いを諦めきれず京都で修行。さらに経済的にも恵まれていたため、当時としては異例の海外旅行(中国、ヨーロッパ、エジプト、インド、アメリカ)を重ね、異彩を放つ作品群が生まれていく。今回の展示は、旅行中のスケッチスケッチに基づく本画作品なども出品され、秋聲の技量の確かさを堪能できる。 そして「戦争記録画」。満州事変が起きた1931年以降から1948年まで陸軍の従軍画家として派遣され、いわゆる「戦争画」を数多く描く。当時、従軍画家となるのは藤田嗣治を初めとして「敵国の絵画」であった油彩画家が多かったのだが、どのような経緯で日本画家であった秋聲が従軍することになったのだろう。同世代の日本画家・川端龍子も従軍画家であったが、秋聲の「戦争画」も龍子の「戦争画」にも、藤田など油彩画家が描いた「戦争画」の国威高揚を図るマッチョ感や悲壮感などは一切ない。特に秋聲作品には、限られた時間を生きざるを得ない兵士たちへの祈りのような思いが滲み出している。陸軍によって受け取りを拒否された《國之楯》は、戦後、遺体の上に降り注ぐ桜の花が黒く塗りつぶされた後に初めて公開されたという。 そして戦後は従軍による身体的負担から大作は描けず、依頼された仏画を描き続けた。88歳という長寿ながら、仏教信徒であるがゆえの命を見つめる透徹したヴィジョンがひたひたと迫ってくる。なかでも眠る幼子を描いた《未来》(1926年)には、生を受けた者への情愛に心が解きほぐされていくことだろう。同時代の日本画家とは異なる「眼差し」を今に伝える作品群をぜひ体験してほしい。

21/10/30(土)

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