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水先案内人のおすすめ

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文学、美術、音楽など、映画とさまざまな構成要素に注目

高崎 俊夫

1954年生まれ フリー編集者、映画評論家

愛のまなざしを

万田邦敏の映画を観ていると、いつも1960年代に若尾文子とコンビを組んでいた時代の増村保造の傑作群を思い出す。『Unloved』(01年)の森口瑤子にしろ、『接吻』(08年)の小池栄子にしろ、既存のモラルや制度を逸脱して<狂気の愛>に殉じていくさまは、『妻は告白する』(61年)や『女の小箱より・夫が見た』(64年)で若尾文子が演じたパッショネイトなヒロインとそっくりなのである。一見、論理的と思われるダイアローグの応酬がいつしか緻密な構築性を放棄してしまい、畸形的なドラマツルギーへと変貌を遂げてしまう点でも両者はきわめて似ている。 新作『愛のまなざしを』も、亡妻(中村ゆり)の幻影に囚われている精神科医・貴志(仲村トオル)が、患者として訪れた綾子(杉野希妃)といつしか愛し合うようになるが、やはりそこにもじわじわと狂気が忍び寄ってくる。病的なまでの虚言癖をもつ綾子に翻弄されながらも、いつしか封印した過去のオブセッションに苛まれ、二人の関係そのものが崩壊に瀕し、貴志自身も精神的な均衡を失ってゆくのだ。 万田作品には欠かせない、ある意味で監督自身の分身的な存在といってよい仲村トオルの苦渋に満ちた表情がひときわ印象的である。死者の記憶の呪縛によって物語を稼働させてゆく、ゴシック・ホラーのような古典的な語り口は、アルフレッド・ヒッチコックの『レベッカ』(40年)やオットー・プレミンジャーの『ローラ殺人事件』(44年)を思わせる。万田邦敏の新境地といってよいかもしれない。

21/11/1(月)

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