沈みゆく帆船、廃墟と化した都市ミラノ、打ち捨てられた戦艦など、ところどころに挿入されるイリュージョン映像が観る者の感情を揺さぶる、イタリア青春映画の傑作。 ナポリの労働者地区で生まれ育った貧しい船乗りのマーティン(ルカ・マリネッリ)は、ブルジョワの娘エレナ(ジェシカ・クレッシー)に恋したことから文学の世界に目覚め、独学で作家を志す。幾多の障壁と挫折を乗り越えてついに名声と富を手にするが、彼を待ち受けていたのは“階級意識”を克服できない苦悩だった。 ジャック・ロンドンの同名小説の映画化作品『マーティン・エデン』の存在を知ったのは、一昨年、書店で復刊版『マーティン・イーデン』を手にしたときだ。このロンドンの自伝的青春小説は何年か前に『決定版ジャック・ロンドン選集』の中の一冊に収められていたはずなのに、今なぜ“復刊”されるのだろうと不思議に思った。ロンドンの代表作『野性の呼び声』がハリソン・フォード主演で映画化されたというニュースも入り始めていたので、『マーティン・イーデン』も映画化されたのだろう、と推測した。 映画化の全容が明らかになるに従い、本作がアメリカ映画ではなくイタリア映画であることに違和感を覚えた。ロンドンが、労働者階級出身ながら若き日の冒険的生活を経て大作家になるというアメリカン・ドリームの体現者だったからだ。 映画の舞台は原作の20 世紀初頭のアメリカ西海岸オークランドから、ナポリへ移されていた。 ナポリ出身のピエトロ・マルチェッロ監督は、多様な記録映像を盛り込みながら、前記のイリュージョン映像を懸け橋として時空を超えた普遍的な物語としている。 主人公マーティン・エデンを演じたルカ・マリネッリ(『グレート・ビューティー／追憶のローマ』）は本作の演技でヴェネツィア国際映画祭で男優賞に輝いた。また、Netflix製作映画『オールド・ガード』(20)でシャーリーズ・セロンと共演するなど、今、世界の映画界が最も注目する俳優だ。

20/9/15(火)