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水先案内人のおすすめ

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注目されにくい小品佳作や、インディーズも

吉田 伊知郎

1978年生まれ 映画評論家

オーシマ、モン・アムール

『生きている人間旅行/裸の時代 ポルノ映画・愛のコリーダ』 4/19 シネマヴェーラ渋谷「大島渚全映画秘蔵資料集成」刊行記念 オーシマ・モン・アムール」(4/3〜4/23)で上映 今では映画にメイキングはつきものだが、1970年代の映画では、よほどの大作でないかぎり作られることはなかったものの、撮影風景をテレビ番組の中で見せることはあった。例えばテレビマンユニオンが製作した『菅原文太・男の生き方』は映画の公開直前に日本テレビで放送されたものだが、『県警対組織暴力』(75年)の撮影現場に密着したものになっており、深作欣二監督の演出をたっぷり見ることが出来る。こうした番組の発掘はメイキング映像の発見にもつながる。 東京12チャンネル(現テレビ東京)で放送された『生きている人間旅行/裸の時代 ポルノ映画・愛のコリーダ』(76年)は、1975年11月にクランクインした『愛のコリーダ』の撮影現場を映した唯一の映像である。実際の性行為を映す同作の撮影は厳重を極め、メインスタッフですら行為を撮る場面では外に出されたと言われているだけに、極めて貴重な映像である。 当時43歳の大島渚がカメラに向かってこれから撮影に入る意気ごみを語り、続いて料亭吉田屋の台所で、松田英子の演じる阿部定が同僚の女中と争い、定が刃物を持ち出したところを藤竜也の吉蔵が颯爽と入ってきて収める場面の撮影風景が映る。 本作は大映京都撮影所で撮影されたが、美術監督・戸田重昌による重厚なセット、溝口健二の作品も担った岡本健一の見事な照明がセットを輝かせる。長らくオールロケのATG映画が多かった大島も、松竹大船撮影所出身だけあってスタジオの活用を熟知しており、悠々と準備が終わるのを待ち、大きな声でスタートをかける。現場では怒鳴りっぱなしかと思いきや、俳優たちへの丁寧な演出が印象的だ。新人の松田に顔の位置をこっちに向ければ、こう見えるからと的確に伝え、老齢の殿山泰司が泥水に浸かったまま音声をオンリーで録るときにも、ケアを忘れない。 これだけ見れば、大島は紳士的な監督に見えるが――実際、この番組の中で大島は終始、穏やかな存在である――もちろん、これは一面ではそうなのだろう。先日、シネマヴェーラ渋谷で『少年』の上映があり、少年役の阿部哲夫氏が52年ぶりに登場したが、撮影時の大島の印象を、俳優には優しかったが、スタッフには大変厳しいと語っていた。実際、『愛のコリーダ』でチーフ助監督を務めた崔洋一は机をひっくり返して暴れたことがあると言う。 この番組を演出した野田真吉は、戦前から文化映画、記録映画を手掛けた監督で、大島とは60年代初頭に「映画批評の会」を共にした旧知の仲だった。撮影は『無人列島』(69年)などの前衛映画で知られる金井勝が担当しており、こうした撮影現場ルポを撮る布陣としては最強の――つまりは映画屋に遠慮がちに撮るTVクルーなどではなく、堂々と自分たちの作品にするべく現場に乗り込んでいるのだ。それもあって撮影当初は、映画のスタッフと衝突することもあった。性行為が絡まないシーンは良いとして、定と吉蔵が祝言をあげるシーンなどでTV撮影を排除しようとすることから、金井は大島に撮らせろと激しく主張し、プロデューサーの若松孝二が間に入って双方の妥協点を探って撮影を敢行したという。 そうした甲斐あって、この番組は撮影の合間の藤と松田の柔らかな表情や、大島をサポートする若松孝二や崔洋一も含めて、日本映画の表現の壁を越えようとする緊張感と高揚に満ちたスタッフの表情も印象深く捉えている。 ところで演出の野田真吉は、撮影の合間には大島と共に祇園や四条の飲み屋に出かけて語り合うことが多かったという。そのうち大島は、ある役で出演しないかと野田に持ちかける。屋台のおでん屋である。映画を観た方は憶えておられるだろうか。定が裾をめくり、「おやじさん、したくないかい?」と持ちかけると、「おれのはもう小便だけの道具よ」と返す親父を。大島はあの親父はアナキスト崩れであることを野田に話し(劇中にはそうした説明はない)、撮影当日は、野田の出演にスタッフたちも楽しんでいる様子だったという。大島は「野田チャンのメーキャップなんか撮っておけよ」と金井に指示を出しながら撮影を行ったという。この場面がどう番組の中に映されているかも注目である。

21/4/13(火)

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