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高崎 俊夫
1954年生まれ フリー編集者、映画評論家
凱里ブルース
20/6/6(土)
シアター・イメージフォーラム
中国映画の新鋭ビー・ガンの『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』は、後半60分にわたる驚異的な3Dバージョンによるワンショット・シークエンスに度肝を抜かれた。なによりも夜の深い闇のなかを夢遊病者がさまよっているような酩酊感が強烈な印象を残した。 『凱里ブルース』はビー・ガンの劇場公開長篇デビュー作で、刑期を終えて帰郷した中年男の抱える名状しがたい寄る辺なさ、喪失感の在り処を辿るロードムーヴィーである。冒頭で、「心の流れは流れではない。なぜなら過去の心も未来の心も現在の心もとらえようがないからだ」という金剛般若経の一節が引用されるが、映画全篇が、つかの間の白日夢をむさぼっているような独特のゆるやかな退行感覚に浸されているのだ。海外の批評ではアンドレイ・タルコフスキーの『ノスタルジア』やホウ・シャオシェンの『憂鬱な楽園』への言及が目立つが、私は清水宏の『有りがたうさん』をすぐさま連想した。後半、主人公と青年がオートバイに相乗りし、山間の道路を疾走するところから始まる40分のワンショット・シークエンスは、遠ざかってゆく風景が、その麗しい距離の感覚が、主人公の過去へと遡行する深い悔恨と苦痛を帯びた<旅の時間>そのものと化しているからだ。こんな奇跡的な映画を26歳で撮ってしまうとは、驚嘆すべき才能というほかない。
20/6/4(木)