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三鷹市芸術文化センターで、演劇・落語・映画・狂言公演の企画運営に従事しています

森元 隆樹

(公財)三鷹市スポーツと文化財団 副主幹/演劇企画員

iaku『逢いにいくの、雨だけど』

今から36年ほど前のゴールデンウィーク。広島の繁華街にある映画館で、ある映画を観た。当時私は浪人したばかりで、予備校に通いながら……などと書いたが、実際にはほとんど行かずに、ただただボーッと毎日を過ごしていた。全く何もする気が起こらず、予備校に行く振りをして家を出るものの、ほとんどの時間を予備校の目の前にあった喫茶店で潰していた。 そんな浪人生活が始まって1ヶ月くらい経ったある日。 偶然、その映画を観た。 もう体中から水分が無くなるんじゃないかというくらい泣いた。コメディテイストの作品でありながら、途中から涙が止まらず、泣きすぎて自分の意識がどこにあるのかもよく分からなくなった。主役の男優が、ある女性をただひたすら愛し、苦しみ、一心に慕う男性をただひたすら愛し、苦しむ。それだけのことが、どうして自分にはできなかったのか、どうして自分には叶わなかったのかと、映画のセリフがすべて、濁流のように私に襲いかかってきた。 あの日、映画館を出て、それから自分はどうしたのだろう。どこをどう歩いて、どう日常に戻っていったのだろう。 もちろん、それからも数多くの映画を観てきたし、映画に限らず、テレビドラマや舞台などを観ながら、涙を流したことは幾度もある。けれど、あれほど泣いたことは後にも先にも無い。硬貨を握りしめ、毎日のように公衆電話に駆け込んで声を聞いていたのに、もう電話を掛けることはできないんだという現実を受け入れる力が無いまま1ヶ月が過ぎた頃だった。本当に何もする気がしなかった自分の心の脆さに、その映画は奥深くまで沁み込み、感情を崩壊させた。 ただ。 その映画のラストだけは、当時の私には「無いほうがいいのでは」と思わずにはいられないシーンだった。全く隙が無く、脚本も演出も演技も完璧なのに、あのラストシーンだけは、無くても良かったんじゃないかと。 SNSどころか、パソコンやスマホも世の中に存在しない時代だったので、映画好きの友人に出会う度に「あの映画のラストシーンなんだけど」と感想を聞く日々が続いた。もちろん、私の意見に賛同してくれる人もいたが、ある時、友人の一人が、こう告げた。 「あのシーンは絶対に必要なんだよ。あのシーンが無いと、物語がすべてが辛過ぎちゃうから。あのシーンは本当に、必要なんだよ」 そう語ってくれた友人の言葉に「そうかなあ……」と相槌を打っていた私は、それからもDVDなどで折に触れてその映画を観て、「やっぱり無いほうが……」と思い続けていたが。 今から10年くらい前、久しぶりに映画館でその映画を観た時、初めて、そのラストシーンをすんなりと受け入れている自分に出会った。 <<<>>> 映画も、舞台も、本も。旅も、仕事も、街も、人も。 そう森羅万象、すべてのものが。 見る度に、新しい気付きがあったり。 見る度に、新しい思いに出会ったり。 <<<>>> iaku『逢いにいくの、雨だけど』は、2018年12月、筆者の従事する三鷹市芸術文化センター星のホールで初演された。許す事と許される事を、人間関係の様々な角度から照らし、炙り出していった本作は、2年4ヶ月の月日を経て再演される。この2年4ヶ月の間に、初演時には想像もつかなかった事態が訪れ、人々は他者との新しい関わり方を真剣に模索し続けた。会いに行きたくても様々な制約を受け入れざるをえず、距離を詰めたくてもモニター越しが推奨され、初対面の人とは未だにマスクをした顔しか認識できていないこともある。 逢いにいくということ。今までの関係性から一歩踏み込み、距離を詰めようとすること。会って、目を見て話をするということ。目だけでなく、口元の緩みや頬の揺れを笑顔と感じながら、顔全体を崩して笑い合い、心と心で触れあっていくこと。 2年4ヶ月前、ぜひ再演をと劇団にお願いした私の心にも、そして初演を観てくださった多くのお客様の心にも、きっと、この作品への新しい出会いがあるに違いない。そして、初めてご覧になるお客様の心にも、必ず新たなる自分への出会いを生む作品であると思う。 観終わった後、その余韻の中、登場人物たちの「その後」にそっと思いを寄せ、自分自身の「その後」に、少しだけ勇気を持ちたくなる。 『逢いにいくの、雨だけど』 再演の、そして新しい出会いの、幕が開きます。

21/3/26(金)

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