高津宮

平安期の初期866年に、勅命により旧都の遺跡を探索し、社地を定めたのが始まりで、浪速の地を皇都(高津宮)と定め、大阪隆昌の基を築いた仁徳天皇を主神と仰ぐ神社。古典落語「高津の富」の舞台ともなっている。三下り半の形状をしていた西坂は、明治初期まで縁切り坂と呼ばれ、悪縁を絶つ坂といわれた。桜の時期には、境内や隣接する高津公園に雪洞(ぼんぼり)が立てられ、夜桜見物客らで賑わう。
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