中丸新将 近影
1949年生まれの中丸新将は、今やインテリ風の大物の悪役から心優しき市井のシニアまでみごとに演じきる大ベテランの個性派俳優だ。まさに個性派の鑑のような中丸は、なんと高校時代に銀座にあった伝説のシャンソン・カフェ「銀巴里」のステージに立ったという異色の経歴を持ち、その美貌と声は、さまざまな演出家から愛された。パリ留学を経て本名の「中丸信」名義にて劇団四季で活躍、さらにはいきのいい日活ロマンポルノに飛びこんで数々の鮮烈な演技を披露、それ以降は一躍映画からテレビドラマ、舞台まで引く手あまたのバイプレーヤー道を歩んできた。今回はその横顔を探ってみたい。
パリでゴダールに会う
──それにしても17歳にして「銀巴里」でシャンソンを唄うわ、ほどなくしてパリに留学するわ、本当に好きなことに飛び込んでゆく行動力が凄いですね。
僕が若い時にパリに留学した頃はとても珍しがられたけれど、今はみんな気軽に海外に活躍の場を求めますよね。テレビ朝日のニューヨーク支局長として時々テレビに出て来る中丸徹は、実は僕の従兄弟の息子なんですが、彼なんかは本当にスマートに海外で活躍しているなあと思います。東日本大震災をモチーフにした舞台を2012年に国連総本部で上演して、その時にあったきりですが。
──フランスでゴダールにも会ったんですって?
1971年にパリのジャズバーで二度もジャン=リュック・ゴダールにお会いしました。ゴダールはまだあまりフランス語が話せない僕に根気強くいろいろな話をしてくれましたね。同じく先日亡くなったジャン=ルイ・トランティニャンともカフェでフリッパーをやって遊んだことがありますよ。
──その後で日活ロマンポルノへの出演の誘いが来たんですね。
大島渚監督の妹で映画プロデューサーをやっていた大島瑛子さんから、日活ロマンポルノに小沼勝という鬼才監督がいて渚監督もとても注目しているんだけど、あなた出てみない?と誘われたんです。僕はロマンポルノには全く偏見はなかったし、面白いことができるかもとすぐお受けしました。ただその頃、石橋蓮司、緑魔子、下條アトムと僕ぐらいしかいない、あまり営業もしない事務所に所属していたんですが、ここの社長がギャラを持ち逃げしてえらい目にあいました。僕はそんなに高額の被害ではなかったんだけど、それでもロマンポルノ三本ぶんくらいのギャラはかえって来なかったな。その後はご縁あって72年に市原悦子さんたちが立ち上げた番衆プロに入りまして、ここには20年近く所属しました。
ロマンポルノの名監督に愛される
──最初に出演された日活ロマンポルノ作品は何になるのでしょう。
ロマンポルノの最初は、1976年の小沼組『修道女ルナの告白』。今のドラマはちょっとしたラブシーンも許されないみたいですが、昔はキスや裸のシーンは普通にありましたから、まあそういうレベルの演技はもちろん経験していましたよ。でもいわゆるセックスを演ずるというのは初めて。小沼さんの演出はしつこいし、細かいし、俳優は勝手に役の性格づけをしちゃいけないなあと思いました。かと言って演出家にまかせっきりでは、これまたオーケー出ませんけどね。リハーサルは撮影の前の晩から明大前の小沼監督のアパートで、監督を相手にしてやったりする。最初助監督を相手に稽古していると、途中からもうワーッとテンションがあがって監督自身で相手をやり始める。
──日活ロマンポルノの女優さんで印象深い方はどなたでしょう。
女優さんでいうと谷ナオミさんが多かったですね。宮下順子さんは飲み仲間だったけれど、共演したのは76年の『夫婦秘技くらべ』一本だけです。日活はスケジュールがとてもしんどくて、小沼組ともなると最後の四日くらいは寝ない感じでした。室井滋さんと84年の『スチュワーデス・スキャンダル 獣のように抱きしめて』をやった時は、日本航空かどこかの機体を参考にして実寸のセットを組んで撮ったんですが、あんな狭いところで絡みなんて無理なのに小沼さんが「どうにかなんないかな」って粘るものだから夜が明けちゃって。だから午前9時開始の午前9時終了で、24時間営業ですよ。
──新将さんは小沼監督『花芯の刺青 熟れた壺』では女たちを狂わせる歌舞伎役者を好演されましたが、なんと新将さんの顔がポスターにまで大きく使われています。男性の俳優がポスターにまで大きく載るという例はほとんどなかったので、当時とても印象に残りました。
作家肌のムッシュ(田中登監督)から名職人の西村昭五郎監督まで「中丸ちゃん出てよ」と誘ってくれるのが嬉しかったですね。だから、自分はロマンポルノの出演作はせいぜい十二、三本くらいかなと思っていたら、実は三十本くらい出てたらしい。ムッシュは『(秘)色情めす市場』とか尖ったいいもの撮ってましたけど、『ピンクサロン 好色五人女』などもけっこう好きでした。あれには少し出演もしていて、関西ロケもあってなかなか大変でしたね。僕はやくざの役だから刺青が入っていたんですが、その刺青メイクにはなんと五時間かかった。そのかわり石鹸でゴシゴシ擦ったりしなければシャワーを浴びても一週間くらい持ったんです。それで撮影が終わって、午後三時の開いたばかりの原宿の銭湯に入っていったら、先にいった若いお客たちが思いきりビビッてて(笑)。あれはおかしかったなあ。その時分はまだ、彫り物をしていても銭湯に入れたんですよ。
──昔は銭湯に昇り龍のおじいさんとかたくさんいましたね(笑)。
『ピンクサロン 好色五人女』は、ムッシュの大傑作『人妻集団暴行致死事件』の直後の作品で、そちらに比べると影が薄いのですが、私もとても好きな作品です。ムッシュが翌79年に撮った『愛欲の標的』もなかなか面白いサスペンス作品でした。
そういえば『人妻集団暴行致死事件』で室田日出男さんはとても評価されましたけど、室田さんや川谷拓三さんを日活に紹介したのも僕なの。川谷さんはとにかくムッシュの作品に出たいって言うから、池袋の文芸坐で田中登特集をやるとなった時に、僕は司会を頼まれていたので、川谷さんに前座でコントをやってもらってムッシュにアピールしようとしたり(笑)。そのくらいムッシュは人気がありましたね。ただ川谷さんはあんな感じでキャラ強すぎるから作品は実現はしなかったけれど。
中丸「信」から「新将」になる
──このロマンポルノ時代に芸名が本名の「中丸信」から「中丸新将」に変わります。
初期のロマンポルノでは変名して参加したりするスタッフもいたようだけど、自分はそういう感覚は全くなかった。でも中丸信から新将に変えたのは、1980年、舞台の『リチャード三世』でご一緒した美輪明宏さんから「あなた、その信という字を使ってると30代後半で内臓の病気で大変なことになっちゃうかも」と言われて、ちょっと気になっていたんです。ところがその後、東宝のミュージカルに出た時に、歌唱指導の二期会の女性がなんと全く同じことを言うんですよ。それでもうおっかなくなって、芸名を新将に変えたんですね。もう一度美輪さんに尋ねたら「それは大丈夫。いい名前よ」と言ってくださって安心しました。結婚して娘(中丸シオン)も生まれた頃だから、これはどうにかしなきゃと思って芸名を変えたんです。34歳くらいの頃ですね。
──新将の「将」はどこから来たんですか。
早口言葉の「新春シャンソンショー」の略です(笑)。「ショー」は別に「将」という字にこだわったわけではないんですが、当時は飛翔の「翔」を付けるという発想もなかったし、そんなに文字の候補が多いわけでもないので「将軍」の「将」にしました。ただし、これは自分では「将来」の「将」、つまりNEW WORLDを見据えている字だなと思ったので、中には右翼っぽいからやめろなんてことを言ってくるディレクターもいましたが、全く変える気はなかったですね。そういえば、当時仲良かったジョー山中も凄く気に入ってくれたんですよ。
『南極物語』と高倉健
──ロマンポルノをひとしきり楽しんだ後に、1983年にフジテレビが製作して大ヒットした大作『南極物語』に出演して、高倉健さんに出会ったんですね。
『南極物語』に出たのは、自分のロマンポルノ時代が終わりかけた頃でしたね。設定は南極だけど北極ロケで、バンクーバーで乗り継いで北極圏の小さな飛行場に行くんです。そこでは高倉健さんが出迎えて下さるんだから、もう信じられないですよ。その気遣いで健さんはスタッフ、キャストの心をつかむんですね。最初の撮影は太陽を見やっている健さんを、渡瀬恒彦さんと僕が見守っているようなシーンで、いいお日様が出るまで待っていたら、健さんが「俺は大好きなコーヒーをこれから半年間断つので、この最後のコーヒー飲んで」って自分用に持って来たコーヒーを飲ませてくれたの。ところがそれがお砂糖もミルクもいっぱい入っていて甘いのなんの(笑)。でも豆はいいから美味しかったですよ。それが最初の出会いで、けっこうかわいがってくれました。
──『南極物語』の現場はさまざまな逸話がありそうですね。
健さんやメインスタッフと僕らの宿舎は違っていて、カナダ軍の兵舎に泊まっていたんだけど、広い兵舎を俳優四人で独占して贅沢だった。そこに毎晩カナディアンクラブが一本支給されて、それ以上は飲んじゃいけなかった。ところが夜中に酔っぱらった血走った目のエスキモーが銃持って入ってくるんだよね。これは飲みながら狩りをやってるエスキモーが暖を取りに来てたわけなんだけど、もう撃たれるんじゃないかと怖くて怖くて(笑)。最後はなんとか慣れましたけど。
──この後、また健さん主演のパリダカ(現ダカール・ラリー)の映画『海へ ~See you~』(1988年公開) に参加されますね。
この時は藏原惟繕監督のご指名で通訳と助監督までやることになって、それはもう大変でした。監督とキャメラマンと一緒に車に乗り込んで現地を一カ月移動しなくちゃいけなかったんですが、実際のパリダカで支給されるのと同じ食事がまず質素で、ずっと風呂にも入れず、夜テントを張って寝ると劇的な温度差でもう寒いのなんの。おかげでひと月足らずで20キロも痩せてしまった。それでも頑張ってフランス人の空撮のパイロットと相談して、どこでどう空撮で車を撮るかの段取りをしたり、頑張ってあれこれやりました。でもヘリでじゅうぶんに撮れるのに第二次大戦の複葉機を空撮用に改造したり、チュニジアに10億もかけてセットを組んだり、もう予算は膨らむ一方で、自分は制作進行を兼ねて製作費も預かっていたのでもう冷や冷やでした。
軽やかに作り込まずに
──その後、数々のヒットドラマから味のある映画まで大活躍をされて来たわけですが、直近の2023年2月に劇場公開になる『スパイを愛した女たち リヒャルト・ゾルゲ』は、ロシアで制作され高視聴率を得た2019年の連続ドラマです。残念なことに今年の7月に亡くなったお嬢さんの中丸シオンさんがヒロインの石井花子を演じ、新将さんも出演されています。
僕は警察上官の役で、そんなに多くは出ていないのですが、上海一日、モスクワ一日で撮りました。台本がなくて、前日にスクリプトをもらってだいたいのシチュエーションはわかるかなという感じで現場にのぞむスタイルですね。海外ではよくあるケースなんだけど、僕はやっぱり日本のやり方が好きだからシナリオ全体を読みたいんですよ。でも向こうのプロデューサーに言わせると、役者は全体の筋書きなんか知らなくていいし、話の前後関係も立ち位置も何も知らなくていいんだと。それは面食らいましたけど、一拍あって「いや実はそれって俺向きだな」と(笑)思い直しました。役者は勝手に自分を演出しちゃだめだというのが僕の主義だから。その場の流れ、その場の勢いで面白い芝居ができればいいとずっと思ってきました。
──シナリオを読み込んで、自分なりの役づくりにじっくり励むような俳優さんが「演技派」と呼ばれがちですが、特に映画でそういう方々の演技を観るとどうにも自在に弾けていないことが多いですね。
でもこの人は自分とは正反対だけど凄いなって思ったのは大竹しのぶさんでした。1979年に日生劇場でルナールの『にんじん』をやった時、まだ二十歳そこそこの大竹さんが主演、僕は夢に出てくるお兄さんの役だった。でも本読みの日には、大竹さんは4時間の脚本を600回読んだら全部覚えちゃったと言うわけ。もう隣にいる俺の台詞まで入ってるから、「しのぶちゃん、それはちょっとどうかしてるよ」って(笑)。大竹しのぶという人は、そこまで脚本全体を読み込んで役を作ってくるからあの迫力なんだね。自分はその場の空気に乗ってインスピレーションで演るのが好きだから、到底まねできない。そんなふうに演技への向き合い方は全く逆だけど、仲はよかったから、休演日には日生劇場のそばの日比谷映画へフランコ・ゼフィレッリの『チャンプ』を観に行って映画館デートをしたり(笑)。ところが俺は父子物に弱いから、もうわんわん泣いちゃって……みっともないよねえ(笑)。そんなこともありました。
逝ける愛娘シオンに贈る言葉
──では今も新将さんは今もそういう姿勢で現場にのぞまれているんですね。
それに最近は、特に映像となると脚本の読み方ひとつから若いスタッフとはギャップがあるので、あまりこちらが読み込んで役を作りあげていっても、なんだか空回りしてろくなことにならないんじゃないかな。
──どういう役をやっている時が愉しいですか。
役柄はインテリっぽい悪役みたいなものが多いから、そういうものでない役のオファーが来ると新鮮で嬉しいよね。最近ある映画では80歳くらいの穏やかな老人を演じたりしましたが、これは楽しかったな。
──最後に。この夏、新将さんは女優として活躍されていた愛娘のシオンさんを亡くされて、いかんともしがたい喪失感のなかにいらっしゃることと思います。父君そっくりの美しい面立ちのシオンさんはまだ38歳で、これから円熟した素晴らしいステージにさしかかろうとしていたところでした。演技者としてのシオンさんを、大先輩の新将さんはどうお考えですか。
シオンは、まだ女優として語れるほどのキャリアを積まないうちに行ってしまった。ただ役者としての素質や可能性は相当持ってる奴だと思いました。そして役者にとっていちばん大事な集中力も備わっていた。おっちょこちょいでしたけど(笑)。シオンが高校生の頃にスポーツ紙の取材があって、そこで僕が娘に贈る言葉として「俳優はスッポンポンにならなくてはいけない」と言ったんです。後のシオンはいつもそういう覚悟でやっていたと思うし、僕なんかよりずっとスケールの大きい役者になる可能性もじゅうぶんあった。だから残念ですね。それから、この間ゴダールも亡くなってしまったけれど、生前のゴダールに会わせたかったですね。なぜならゴダールは、女優は三十代まではまだ少女で、四十歳からが本番と何度も言っていましたから。
データ
修道女ルナの告白
1976年1月8日公開
配給:日活
監督:小沼勝
出演:高村ルナ/中島葵/田口久美/中丸信
夫婦秘技くらべ
1976年2月21日公開
配給:日活
監督:武田一成
出演:宮下順子/谷口香織/中丸信/三上寛
花芯の刺青 熟れた壺
1976年9月25日公開
配給:日活
監督:小沼勝
出演:谷ナオミ/北川たか子/花柳幻舟/蟹江敬三/中丸信
人妻集団暴行致死事件
1978年7月8日公開
配給:日活
監督:田中登
出演:室田日出男/黒沢のり子/志方亜紀子/小松方正
ピンクサロン 好色五人女
1978年11月3日公開
配給:日活
監督:田中登
出演:宮井えりな/松田暎子/山口美也子/中丸信
愛欲の標的
1979年12月22日公開
配給:日活
監督:田中登
出演:宮井えりな/水島美奈子/日野繭子/中丸信
スチュワーデス・スキャンダル 獣のように抱きしめて
1984年3月16日公開
配給:日活
監督:小沼勝
出演:藍ともこ/朝吹ケイト/室井滋/中丸新将
南極物語
1983年7月23日公開
配給:ヘラルド/東宝
監督・脚本:蔵原惟繕
出演:高倉健/渡瀬恒彦/岡田英次/夏目雅子/荻野目慶子/中丸新将
海へ ~See you~
1988年5月18日公開
配給:東宝
監督:蔵原惟繕
脚本:倉本聰
出演:高倉健/桜田淳子/フィリップ・ルロア/小林稔侍/中丸新将
スパイを愛した女たち リヒャルト・ゾルゲ
2023年2月公開予定
配給:平成プロジェクト
総監督・製作:セルゲイ・ギンズブルグ
監督:ロマン・サフィン
出演:アレクサンドル・ドモガロフ/中丸シオン/山本修夢/中丸新将
プロフィール
樋口 尚文(ひぐち・なおふみ)
1962年生まれ。映画評論家/映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』『ロマンポルノと実録やくざ映画』『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』『映画のキャッチコピー学』ほか。監督作に『インターミッション』『葬式の名人』。新著は『秋吉久美子 調書』。『大島渚 全映画秘蔵資料集成』(編著)。
『大島渚 全映画秘蔵資料集成』監修:大島渚プロダクション 編著:樋口尚文 国書刊行会刊
『葬式の名人』
2019年9月20日公開 配給:ティ・ジョイ
監督:樋口尚文 原作:川端康成
脚本:大野裕之
出演:前田敦子/高良健吾/白洲迅/尾上寛之/中西美帆/奥野瑛太/佐藤都輝子/樋井明日香/中江有里/大島葉子/佐伯日菜子/阿比留照太/桂雀々/堀内正美/和泉ちぬ/福本清三/中島貞夫/栗塚旭/有馬稲子
【おしらせ】
連載「銀幕の個性派たち 樋口尚文」は今回が最終回です。4年以上の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました!(編集部)