兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』

第十六話:まりん(砂原良徳)が参加した電気グルーヴのライブ(前編)

月2回連載

第31回

illustration:ハロルド作石

この連載は、1話につき前編と後編があって、前編は毎月10日、後編は毎月25日にアップ、ということになっている。これまで、それを15話・計30回書いてきた。

にもかかわらず、自分は、電気グルーヴのライブについて、まだ一度も書いていないことに、気がついた。人生(電気グルーヴの前身バンド)については書いたけど。1987年に京都BIG BANGで観た時のことを(この回です)。

と、思い当たったのは、2025年の電気グルーヴのツアー『ツアー“the”席指定』を、観たからだ。

6月13日愛知県・岡谷鋼機名古屋公会堂大ホールから、6月26・27日東京・立川ステージガーデン2デイズまで、6ヵ所・7公演。スタンディングではなく、全席指定でホールを回るという、電気グルーヴとしては、かなりめずらしい形でのツアーである。

このツアーが発表された時、音楽ナタリー等のウェブメディアのニュースには、「電気グルーヴが全席指定のホールツアーを行うのは、1994年に開催された『下痢便発電所 異常なし’83』以来およそ31年ぶり」と書かれていて、「あれ?」と思った。

1996年の、アルバム『ORANGE』の時の『ツアーめがね』も、ホールツアーじゃなかったっけ? ツアー序盤で観に行った会場が、大宮ソニックシティだった記憶があるんだけど、俺。

当時、僕は音楽雑誌ロッキング・オン・ジャパンの編集部にいて、このツアーの前半の3カ所をレビューする企画が、誌面で組まれた。そのために、ファイナルの日本武道館だけではなく、大宮ソニックシティにも行って、レポを書いた。

後輩の神谷弘一が名古屋、先輩の鹿野淳が、どこだったっけ、市川か府中か神奈川県民ホールか、神奈川県民だったような気がするが、とにかくその3人が、それぞれ足を運んで、ライブレポを書いたのだった。

神谷弘一は、現在リアルサウンドの会社の社長で、鹿野淳は、雑誌MUSICAやVIVA LA ROCK等のフェスの会社の社長である。己との差を噛み締めずにはいられませんが、それは置いといて。

・電気は、この『ツアーめがね』の途中でマネージャーがいなくなって、音楽雑誌ロックンロール・ニューズメーカーで電気を担当していた、つまり我々の同業者だった、ミッチーこと道下善之氏に「マネージャーになってくれ」とオファーし、彼はそれを引き受けた。

・このツアーのファイナルの日本武道館に、当時同じレコード会社からデビューして売り出し中だった、韓国のポンチャック(というジャンル)歌手、李博士がフロントアクトで出演した。

で、終演後の、関係者への楽屋挨拶で、李博士の番が終わるまで待たされた3人は、いろいろ大変だったしつらかったツアーをやっと終えたところでこの仕打ち!? と、大激怒。次のアルバム『A』の時のジャパンの表紙巻頭インタビューで、石野卓球は、その時の悔しさを語った。

・このツアーの後半、ジャパン編集長の山崎洋一郎は、編集部員の林陽子を連れて、確か、岩手とかの東北の方だったと思うが、電気に連載をやってほしい、と依頼に行った。それが現在も続いている『メロン牧場』である。

ミッチーが電気のマネージャーになってニューズメーカーをやめたので、ニューズメーカーの電気の連載『濡れてシビれて』が終わるだろう、じゃあうちでやってよ、ということだったのか? 今思うと。

というふうに、いろんなことがあったツアーだったので、よく憶えているのだ。にしても、そうか、じゃあ『メロン牧場』、来年(2026年)で30周年なのか。すごいな、なんだか。

なお『メロン牧場』、連載開始当時は、僕は無関係だったが、数年後、単行本化の時に、編集を担当した。で、『濡れてシビれて』の原稿も入れたい、もう使わないだろうからください、と、ミッチー経由でニューズメーカー編集部にお願いしたが、「うちでも単行本化するからダメ」と、断られた。

もちろんそんな本は出ないまま、ニューズメーカー誌はなくなったし、発行元のビクターブックス自体もなくなった。

嘘つき。くれればよかったのに。というか、ジャパンでは今も『メロン牧場』続いているんだから、もし次に単行本にすることがあるなら、その時に『濡れてシビれて』も入れればいいんじゃない? ボーナストラックみたいな按配で。権利関係とか、もうあやふやだろうし、3人さえOKならいいんじゃない?

って、誰に言っているのか、俺は。直接言えよ、山崎洋一郎に。たまにライブ会場でばったり会ったりするし。

とにかく。なので、電気の座席指定ありのホールツアーは、正しくは1996年の『ツアーめがね』以来、29年ぶりなのでは? と思ったのだった。

が、調べたところ、『ツアーめがね』は、ファイナル後に赤坂BLITZで、追加公演が切られていたことがわかった。そうか、だから「全席指定のツアー」とは言えなくなったのか。

で。いちばん大事なことを、まだ書いていない。この電気グルーヴの『ツアー“the”席指定』には、久々のホールツアーであること以上に大きなトピックが、もうひとつあった。

サポートメンバーで、砂原良徳が参加したのだ。

元メンバーである。電気に加入した時にふたりに付けられたあだ名が「まりん」の、あの人である。

1999年4月に脱退した後も、ゲストとして、過去に何度か電気のライブに出たことはある。

最近では、2022年11月〜12月の『Zeppツアー“みんなと未来とYシャツと大五郎”』の12月3日Zepp Haneda。福岡と大阪が終わったところで、長年電気のサポートを務めているagraphこと牛尾憲輔がコロナ陽性になってしまい、ファイナルの12月2・3日のZepp Haneda2デイズの、1日目はSUGIURUMNが、2日目はまりんが、急遽サポート・メンバーとしてステージに上がった。しかも、事前の発表なしだった。

同じく、本番が始まるまで、いや、本番が始まっても、2曲目「人間大統領」の間奏で紹介されるまで、事前の発表なしだったSUGIURUMNがサポートした、1日目を観ていた時のこと。

後半で改めて彼を紹介した石野卓球は「今日のサポートはSUGIURUMNです」と言った。なので、「今日の? ってことは、明日は違うの?」と、ひっかかった。そしたら翌日はまりんだった、という。

ゲストで一部分に出演、とかじゃなくて、頭から最後までフルで電気のライブに出たのは、脱退以降では初めて、というので、それはもう盛り上がったが、今回はその時とも違う。「助っ人で急遽」ではなくて、ツアーの開催を発表した時に、参加がアナウンスされたので。

牛尾憲輔が参加できなかったのは、みなさんご存知のように、アニメや映画の劇伴作家としてすさまじい売れっ子になっているので、忙しい時期と当たっちゃったんだろうな、と思うが、彼が不参加だからまりんにオファーしたのか、それとも、電気が今回はまりんを呼ぼうということにしたから彼が不参加だったのか、そこらへんの事情は知りません。

知りませんが、前回のような「急遽」ではなく、「まりん参加ありき」だとこうなる、という、特別なポイントがあるセットリストだった。

僕は当初、ファイナルの6月26・27日、立川ステージガーデン2デイズの、2日目に別件が入っていて、1日目しか行けないスケジュールだった。

こんな貴重なツアーなのに、1本しか観れないのはイヤなので、ツアー3本目の6月19日三島市文化会館にも行くことにした。そしたら後日、予定が変わって6月27日が空いたので、結局、三島と立川2デイズの3本を観ることができた。

三島のセットリストは以下。

1 新幹線
2 Missing Beatz
3 モノノケダンス
4 Fallin’ Down
5 トロピカル・ラヴ
6 いちご娘はひとりっ子
7 Shangri-La
8 ママケーキ
9 Bingo!
10 HOMEBASE
11 SHAME
12 SHAMEFUL
13 B.B.E
14 誰だ!
15 猫夏
16 Popcorn
17 N.O.
18 あすなろサンシャイン
19 Flashback Disco(is Back!)
20 かっこいいジャンパー
21 CATV
22 富士山
アンコール
23 静岡のローカルCM曲のカバー
24 Autobahn(Kraftwerkのカバー)

事前に調べたところによると、ツアーのこの日より前の2本=名古屋と仙台は、本編ラストの22曲目は「人間大統領」だった。

この日は「富士山」なのは、電気の地元、静岡県での公演だったからですね。と思ったが、立川の1日目も同じく「富士山」だった。で、2日目で「人間大統領」に戻った。

あと「地元だから」で言うと、三島のアンコールの「静岡のローカルCM曲のカバー」というのも、そうだ。DEVICE GIRLSの出す映像も、そのCMのものと思しき昔のアニメになった。

曲は、あとで調べたら、SBSラジオのテーマ曲(CM曲?)と、SBSマイホームセンターのCM曲のメドレーだった、と、思われる。後者はネットで探して「あ、これだ」というのを発見できたが、前者は見つけられないままです。

で。「まりんの参加ありきのツアー」だから、セットリストに入った曲は、まず「ママケーキ」。アルバム『ORANGE』(1996年)の1曲目で、「♪ママケーキー、ちゅっちゅっちゅーるーちゅーるちゅちゅっちゅー」という、まりんのアカペラで始まる曲である。

今回のツアーでは、曲の後半で再びこのフレーズが出て来るところは、まりん・石野・瀧がステージの前に出て来て「♪ママケーキー」「♪ママケーキー」「♪ママケーキー」と、3人揃った振付で輪唱する、という、当時からのファンとしては、ちょっともうどうしたらいいか、泣いちゃおうかしら、と思うような、素敵な光景がくり広げられた。

この瞬間を3回観れた、という時点で、3本観に行ったかいがあった、とすら言ってもいいくらいである。

それから、16曲目の「Popcorn」。『VITAMIN』収録の、ガーション・キングスレイによる1969年の曲のカバーである。1972年にホット・バターがカバーしてヒットした、テクノのスタンダード/クラシック的なインスト曲で、この電気バージョンは、まりんがひとりでアレンジしている。

なので、普段のライブでは、まず演奏されない。調べたら、1994年12月の『たんぽぽツアー』以来だったらしい。30年半ぶり。うわあ。

あと、これはまりん加入以前の曲だが、21曲目の「CATV」(1991年のファーストアルバム『FLASH PAPA』収録)。この曲では、シンセのフレーズに合わせて、ピエール瀧が当て振りで消火器を吹くのが恒例になっているが、曲の後半で、まりんがその瀧の動きをじっと見ながら、ぴったり合わせてシンセを弾いていたのが、このツアーならではだなあ、と思った。

なお、立川では2日とも、この曲で石野卓球、「1989年から消火器吹いてます!」と叫んだ。

それから、19曲目の「Flashback Disco(is Back!)」。この曲、まりんが脱退して2人になった電気グルーヴが、心機一転でリリースした最初のシングルなのですね(1999年7月1日)。この曲と「Nothing’s Gonna Change」を続けてシングルで出して、2000年2月2日リリースの、ふたりになって初めてのアルバム『VOXXX』につながる、という。

その曲を、ライブで、まりんも一緒にやっている、というのは、何か、感慨深いものがありました。2022年12月3日の時もやっていたけど。

以上、2025年と2022年の、まりんが参加した電気グルーヴのライブについて書きました。

後編では、それより前の、まりんが参加した電気グルーヴのライブについて書きます。

にしても。ここまで書きながら改めて自覚したが、いまだに砂原良徳のことを「まりん」と呼ぶの、昔の電気関係者だけなんですよね。いや、昔の電気関係者でも呼ばないか。現在も彼のマネージャーでもあるミッチーも、僕に彼の話をする時は「砂原」と言うし。

TESTSETに何度かインタビューしたことがあるが、メンバーのLEO今井や永井聖一も、あたりまえに「砂原さん」だ。ほんとに電気のふたりだけかもしれない、いまだに「まりん」と呼ぶのは。なのに俺がそう呼んでいいのか、という気がします。実際に会った時も「まりんさん」って言っちゃうしなあ。

あ、ひとつ、書き忘れていた。その立川2デイズの2日目の「ママケーキ」の時、後半の「♪ママケーキー」の3人振付輪唱を終えたところで、まりんはこう叫んだのだ。

「これで終わりだと思うなよ!」

え? 何? じゃあ今後の電気グルーヴのライブ、7月14日(月)のリキッドルームとか、8月15日(金)の『SONICMANIA』とかにも出る、っていうこと??

プロフィール

兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(季刊)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。
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