兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』
第十六話:まりん(砂原良徳)が参加した電気グルーヴのライブ(後編)
月2回連載
第32回

illustration:ハロルド作石
元メンバーのまりんこと砂原良徳が、サポート・メンバーとして参加した電気グルーヴ『ツアー“the”席指定』の最終日、6月27日(金) 東京・立川ステージガーデン2デイズの2日目でのこと。
自らのアカペラで始まる「ママケーキ」の、後半の「♪ママケーキー」のまりん・石野卓球・ピエール瀧の、3人振付輪唱を終えたところで、まりんは叫んだ。
「これで終わりだと思うなよ!」
え? 終わりじゃないの? じゃあ、現段階で決まっている、今後の電気グルーヴのライブ、7月14日(月)のリキッドルームとか、8月15日(金)の『SONICMANIA』とかにも、出るっていうことなの?
というところまで書いて、前回=前編は終わった。
で、7月14日、月曜日。毎年この時期にリキッドルームが何本もブッキングしている「恵比寿に移って×周年」シリーズ(今年は21周年)の中の1本、電気グルーヴのワンマンライブ。
まりん、出ました。
普段の電気グルーヴのライブは、石野卓球・ピエール瀧のメンバーふたりに、サポートふたり=ギター吉田サトシとagraph牛尾憲輔が加わった4人編成である。『ツアー“the”席指定』は、牛尾憲輔の代わりにまりんが入った4人だったが、この7・14リキッドルームは牛尾憲輔がいる上に、まりんも加わっている5人編成。
「本日の乗務員、運転手は石野、車掌は私、サポートギター吉田、センター・コンソール牛尾、シンセサイザー砂原の5名でお送りいたします!」
1曲目、「新幹線」の途中で、ピエール瀧はそうメンバーを紹介した。
セットリストは、『ツアー“the”席指定』と同じで、本編ラストが「富士山」ではなくて「人間大統領」のパターンの方(詳しく知りたい方は、今回の前編をお読みください。
ただし、『ツアー“the”席指定』のアンコールは、クラフトワークの「Autobahn」のカバーだったが、この日は「あんまりこのメンツでやることないんで。このメンツでやってみようっていう曲を」(石野卓球)と、クラフトワークの「Neon Lights」になった。
「Autobahn」の時は、石野・瀧・吉田とも座っての歌唱&演奏だったが、「Neon Lights」は立って歌唱。あと、歌詞の一部を日本語で歌っていた。このために訳詞を付けたのだと思います。
総じて、まりんもメンバーも他のサポートメンバーも、とても楽しそうでした。あと、まりん、この前日はTESTSETで、2日続けてリキッドルームに出演。という話をメンバーに振られて、「明日も来ます。見かけたら声かけてください」と、大嘘ぶっこいておられました。
って、なぜ断言できるのかというと、私は翌日も行ったからです。13日TESTSET、14日電気グルーヴ、そして15日は羊文学。
まりんと羊文学、マネージャーが同じ(ミッチーこと道下善之氏)、という共通点はあるけど、まりん、仕事も何もないのに観には来ないと思う、普通。
以上、2025年の、現時点(7月14日)までの、まりんが参加した電気グルーヴのライブについて、でした。
それより以前の、まりんが出た電気のライブはいつか、というと、まず、前編でも書いたが、2022年12月3日(土)のZepp Haneda。
『Zeppツアー“みんなと未来とYシャツと大五郎”』の福岡と大阪が終わったところで、牛尾憲輔がコロナ陽性になってしまい、ファイナルのZepp Haneda2デイズは、1日目がSUGIURUMN、2日目はまりんが、代わりに出演したのだった。
その前は、2022年7月19日(火)のリキッドルームで(やはりリキッドルームの周年ライブだ)、アンコールで「ママケーキ」を歌いながら登場した時。
さらにその前は、2014年に行われた、電気グルーヴの結成25周年ツアー『塗糞祭』。この時は、元メンバー=まりんとCMJK、元サポートメンバー=DJ TASAKA、一緒に「電気グルーヴ×スチャダラパー」をやったスチャダラパー、ピエール瀧とのユニット「イボピアス」やMVの制作等で電気と関わってきた天久聖一、というみなさんが登場した、賑やかで楽しいツアーだった。後にライブDVDになって、リリースされています。
で、それより前、となると、いつだったのか。それが、この後編の本題です。
日にちは、2008年4月1日、火曜日。場所は、またしてもリキッドルームだが、この時は、周年ではない。
1999年4月にまりんが脱退した電気グルーヴは、石野卓球とピエール瀧、ふたりの新体制でニューアルバム『VOXXX』を制作、2000年2月2日にリリースしたが、それ以降、2001年9月の『WIRE』でのステージを最後に、活動を休止(NHK-BSの電気グルーヴの特番の中のインタビューで、公式に発表した)。
以降、休止状態が何年も続いたり、その次に「電気グルーヴ×スチャダラパー」をやったり、2006年のフジロック・フェスティバルのグリーン・ステージで、初めてベストアルバム的な選曲でライブを行って(それまでの電気はそういうライブはやらなかった)、そこから本格的に再始動にエンジンがかかったりした。
その末に、2008年には、8年ぶりのアルバム『J-POP』が完成。4月2日にリリースされる、その1日前に、リキッドルームでライブを行ったのである。
というのものですね。この『J-POP』のリリースにあたってのツアーを、電気は組んでいなかったのだ。理由は知らない。アルバムが出るのにツアーがないなんて、今の音楽業界では考えられない、だけでなく、当時もそうだった。が、「え、なんで? ありえない、信じられない」という感じではなく、「まあ電気だったらそういうこともあるか」くらいの受け止め方だった気がする、当時のファンも、音楽業界も(自分も含む)。
しかし。そのリリース日から3週間弱ほど前の、天気のいい午後のこと。自宅のベランダでビールを飲んでいた石野卓球は、「このままプロモーションが始まって、ライブないっていうのもなんか寂しいな、1本ぐらいやってもいいかな」と思い、ピエール瀧に電話して「ライブ1本だけリキッドとかでやんねえ?」と相談する。
「ああ、いいよいいよ」という瀧の返事を受けて、当時のサポートメンバー=KAGAMIに電話でそれを伝え、まりんにも「おまえ、ちょっと来て出てみない?」と電話。まりんのOKも得た卓球は、マネージャーのミッチーに「というわけだから、リキッドルームを押さえてくれ」と電話する。
ミッチーが、リキッドルームの山根氏に会いに行って相談したところ、「じゃあスケジュールを見ます」とリキッドルームの予定を確認した山根氏は、その瞬間に、ニヤ〜ッと笑ったという。
4月1日、『J-POP』の発売前日でエイプリルフールの、その日だけが、空いていたのだ。
って、なんでこんなに、まるで現場にいたかのように書けるのかというと、この一部始終を本人たちが、『電気グルーヴのメロン牧場』で話しているからです。4冊目の単行本『電気グルーヴのメロン牧場 花嫁は死神4』のいちばん最初、2008年4月号の回に載っていて、それを見ながら書いたのでした。
というわけで、急遽決まったライブは、前半が『J-POP』の楽曲、後半はそれ以前の電気の人気曲、というセットリスト。
で、前半、『J-POP』からの9曲を終え、10曲目「ガリガリ君」、そして11曲目「B.B.E.」と、人気曲のゾーンに突入する。オーディエンスが狂喜した2曲が終わった、その次の瞬間。
「ママケーキ」の頭の、アカペラのまりんの歌、「♪ママケーキー、ちゅっちゅっちゅーるーちゅーるちゅちゅっちゅー」が響いた、と思ったら、歌いながら本人が出てきたのだ。
その瞬間のリキッドルーム超満員のオーディエンスの空気感だけは、今でもはっきりと憶えている。
「♪ママケーキー」→まりん登場→「キャー! うわーっ!!」ってなると思うじゃないですか。ならなかったのだ。まりんの顔を忘れている人などいないにもかかわらず、今目の前に出て来たのが、9年前に脱退したあの人で、歌っている、という事態を、みんなうまく呑み込めない、そんな一瞬の間があったのだ。自分もそうだった。
で、「え? あれ? えーと……キャー! うわーっ!!」と、一拍遅れて、大騒ぎになったのだった。
『花嫁は死神4』によると、「ママケーキ」だけで出て来て、曲が終わったらはけて、それっきり、MCでも触れない、というふうに考えていたが、後半のそれ以降がまりん在籍時の曲だったので、「これだったらできんじゃねえの? じゃあ最後までいようよ」ということになったそうだ。
そうです。さっき「オーディエンスの空気感だけは、今でもはっきりと憶えている」と書いたが、つまり、このあたりのことは、『花嫁は死神4』を読み直すまで、憶えていなかったのでした。そうか、最後までいたのか。忘れんなよ俺。
でも、この日に関して、あとひとつ憶えていることがある。『電気グルーヴのメロン牧場 花嫁は死神』の「2」と「3」は、上下巻の2冊同時発売だったのだが、それをリキッドルームのロビーで売りに行ったのだ、僕は。
今、その本の奥付を見たら、「2008年4月2日 初版発行」となっている。『J-POP』と発売日を揃えたんですね、それも憶えていなかったけど。
ただ、とにかくもう、むちゃくちゃ売れたことは憶えている。そりゃあそうよね、そんな3週間弱前に突然発表になった、平日の、しかも21時開演(だったのだ)のライブのチケットを、(当然瞬殺だったのに)入手して集まっているような人たちは、間違いなく『メロン牧場』買いますよね。
じゃあ忙しかったはずじゃん、俺。なんで開演したら普通にライブ観てるのよ、売り子が。と自分に言いたくなるが、そのあたりに関しても、すみません、憶えていません。
そもそも、電気グルーヴのふたりとまりんの脱退後の関係性って、おもしろいなあと思う。これは、2008年の当時も、2025年の現在も、それ以外の時期も、いつも感じていることだ。
だって、一緒に活動していくのは無理だ、と思ったから、脱退したわけですよね。だったら脱退後は疎遠になるとか、仕事をする場所や環境の、距離を置くとかしてもおかしくないのに、まりんは一切そういうことをしない。脱退後もソロ・アーティストとしての契約は、レコード会社は電気と同じキューンのままだったし、マネージメントも電気と同じまま。
で、電気の側も、マスタリングとか、リミックスとか、ジャケットのアートワークとかを、まりんに頼んだりするし、まりんもそれらを普通に引き受けている。挙句、ピエール瀧の逮捕のタイミングで、電気はソニーグループ内の事務所をやめたが、まりんのマネージャーは、今もミッチーのままだったりするし。
ただ、2008年の時は、だからって電気のライブに突然出て来る、とは思っていなかったが、それ以降はいつ出てもおかしくない、でもさすがにそうそうは出ないよね、というふうに、我々は思っていたわけですね。そうか。だから、『ツアー“the”席指定』がうれしかったし、7月14日(月)のリキッドルームがうれしかった、ということか。
なお、これを書いている7月15日(火)時点で、発表されている今後の電気グルーヴのライブは、8月15日(金)幕張メッセの『SONICMANIA』のみである。私、とうにチケット買っています。
これにも出るのかな、まりん。でも、正直、出なくてもそんなにがっかりはしないかな。リキッドルームで充分うれしかったし。
次は、そうね、電気が結成40周年を迎える2029年に、また一緒にやるとかでも、いいかもしれないですよね。
などと思っていたら、リキッドルームの4日後の7月18日、『SONICMANIA』の最終ラインナップ発表で、追加出演アーティストが告知された。
SAMO、ShioriyBradshaw、砂原良徳の3名だった。
マジか! あ、じゃあ、「どうせ幕張メッセにいるんなら、電気にも出る?」みたいなことになるのか? ならないのか?
くどいですが、どちらでもいいです、私は。ソニマニでまりんソロの音を聴けるのも、もちろん楽しみだし。
プロフィール
兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(季刊)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。
最近のウェブ仕事一覧:foriio.com/shinjihyogo