兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』

第十八話:日比谷野音が閉まります(前編)

月2回連載

第35回

illustration:ハロルド作石

2025年8月30日土曜日。真夏日が記録更新レベルで続く今年の夏の中でも、とびきり気温の高い日(この日の東京の最高気温は38.5℃)。

ここまで暑いと、「こんな日に野外なんて!」と腹が立つ、のではなかった。むしろ逆に、「17時開演で、まだよかった。ワンマンで、まだよかった」と、感謝したくなった。

そんなふうに、朝から晩まで灼熱の野外で過ごすことが多いシーズンなので。そんな生活を長年続けてきたので。この日から1週間前の土日も、まさに、香川の山の中で、朝から夜まで野外にいたので。で、その1週間前よりも、さらに暑かったので、この日は。

というような気候の中、日比谷野音で、GRAPEVINEを観た。田中和将が出て来るなり「水分持ってるか? 塩分持ってるか?」と叫び、3曲やったところではさんだ一回目のMCで「水分摂ってるか? お酒は水分ちゃいまっせ!」と言うほどの暑さである。

そのライブの模様については、このぴあ音楽にレポを書いたので、まだの方はぜひ。 (https://lp.p.pia.jp/article/news/436887/index.html)。

さて。

「暑い」と「GRAPEVINEのライブ最高」以外にもうひとつ、この場にいながら、何度も感じたことがあった。

ああ、日比谷野音、今度こそ本当に、閉まっちゃうんだなあ。

ということだ。

日比谷野音の、というか、日比谷野音も含む日比谷公園全体の改修工事のため、2025年9月いっぱいでクローズ。

もう工事が始まっているエリアもあり、このGRAPEVINEの日に見たところでは、公園中央の噴水などが、すでになくなっていた。

で。なんで「今度こそ本当に」と思ったのかというと、多くの方がご存知だろうが、日比谷野音、ここ数年の間、「今年いっぱいで閉まります」と、「やっぱり閉まりません、先に延びます」を、くり返してきたからだ。

最初は「2019年以降に改修工事に着手する」ということだったのが、1年、また1年と延び、「2023年で100周年を迎えたあと、2024年以降に建て替えられる」と発表があったが、それも延期になった。

という途中で、それまで、催し事に貸し出すのは4月から10月までの間だけだったのを、「もうすぐ閉まるから」と11月から3月までの間も、オープンになったりもした。

なので、自分も、2023年2月23日(木・祝)に、寒い中、震えながら四星球を観たり、2024年3月24日(日)に、雨に打たれながらGLIM SPANKYを観たりすることに、なりました。

日比谷野音、なんでそんなふうに、延期をくり返してきたのかというと、要は、業者が決まらなかったようだ。コロナ禍があり、それによる諸物価の値上がり等の影響が大きかったのだろう。

そもそも、日比谷野音、おそらく都内における「みんなやりたい」「でもなかなか取れない」ライブ会場の、おそらく第1位である(2位は日本武道館だと思う)。

なので、その「もうすぐ閉まる」時期に取れたバンドは、「我々にとって、建て替え前最後の日比谷野音です」と謳ってワンマンをやる。でもその後「え、野音、来年もあるの?」「で、また取れちゃったの?」というような按配になり、もう一度「最後の日比谷野音」をやった、というケース、ひとつやふたつではないと思う。

フラワーカンパニーズなどは、2022年9月23日に「最後の日比谷野音」としてワンマンをやったが、翌年の2023年にも、イベンターからだったのかな、「やりません?」という話が来て、「やりたいけど、最後の野音、もうやっちゃった……そうだ、ワンマンじゃなければ、嘘をついたことにはならない」ということで、ピーズとのツーマンイベントとして、2023年9月2日に、日比谷野音のステージに立った。

そのあたりのこと、前にもこの連載に書きました。https://lp.p.pia.jp/article/essay/352407/417254/index.html

で、この日が、本当に、現状の日比谷野音で行う、最後のフラカンのライブになった。

そういえば、中野サンプラザも、同じようなことになっていますね。

同じじゃないか、それ以上か。中野区と野村不動産が中心となり、取り壊して「NAKANOサンプラザシティ」として建て替える、ということが2021年5月に決まり、2023年の7月に閉館した。

が、その後、工事費が想定の何倍もの値段になってしまったとかで、2025年6月に撤回。これを書いている2025年9月8月時点で、誰も使っていない状態の中野サンプラザが、ただただ駅前にそびえ立っている、という状態になっているのだった。

もう一回開けて使うわけにはいかないのかなあ。もったいない。あんな一等地なのに。無責任に、そう思ったりもします。

話を日比谷野音に戻す。

というふうに、なかなか閉まらなかった日比谷野音だが、東京都の「都庁総合ホームページ」で、2024年1月25日に、以下のようなことが、発表された。

2024年10月1日から閉める予定だったが、変更して、2025年9月いっぱいまでやる。で、建て替えに関しては、「公募設置管理制度を活用した整備及び管理運営を行う民間事業者を公募しましたが、応募がなかったため、都が設計や工事を実施することとします」。

民間で決まらないから、もう都でやることに決めた、ということですね。

というわけで、2025年9月いっぱいで、本当に閉まることになったのだった。

日比谷野音の公式サイトによると、9月21日(日)・23日(火・祝)・27日(土)・28日(日)の4日間が、「日比谷野音 The Final」と銘打ったコンサートになっている。

21日は、「南こうせつ 東京フォークジャンボリー in 野音」で、南こうせつの他、イルカ、木村充揮、小室等、細坪基佳、きばやしが出演。

23日は、「日比谷野音オープンデー」だそうで、催しはなくて、10:30から16:30まで野音を解放するとのこと。最後に野音に足を踏み入れておきたい人、どうぞ。というようなことらしい。

27日は、Charがプロデュースするイベント。なるほど。で、28日、本当に最後の日は、エレファントカシマシである。Char以上に、「なるほど」、かもしれない。

1990年に初めて日比谷野音でワンマンをやって以降、ほぼ毎年続けてきて(やってないのは2021年と2024年のみ)、2デイズの年も複数あったので、この2025年9月28日で=つまり1990年から2025年の35年の間で、なんと、通算42回目になる。

なので、最後の最後がエレファントカシマシである、というのは、とても、ふさわしい気がします。

そんな日比谷野音に僕が初めて行ったのは、大学を卒業して、ロッキング・オン社入社のために東京へ来てからなので、1991年以降になる。

初めて行ったのは、何のライブだったんだろう。全然憶えていない。どっかに記録、ないかしら。

と、ネットの海を探して、日比谷野音の全記録みたいなやつを発見した。しかし、その1991年のところを見ても、「ああ、これ行った行った」というふうに、思い当たるやつが全然ない。

観ていてもおかしくないバンドであっても、そうだ。ことごとくスルーしている。なんでだろう。入社して最初の半年は、洋楽雑誌にいたからかな。

なんだっけかなあ、最初に行ったの。ワンマンじゃなくて、なんかのイベントだったような気もするんだけど、ちゃんと思い出せないし……。

などと思いながら、日程をスクロールしていって、1992年まで進んだところで、「あ、これは間違いなく観た」という、確かな記憶があるやつに、ようやく行き当たった。

1992年の9月19日、日曜日。休日出勤していたかなんかで、会社の営業車のホンダシティに、編集長と先輩を乗せて、3人で行ったことまで、憶えている。

それも、エレファントカシマシだった。日比谷野音でのワンマン、この時が、3回目。

次回に続く。

プロフィール

兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(季刊)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。
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