兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』
第十九話:学生時代に観た外タレは3組だけ。チープ・トリック、ストーン・ローゼズ、ローリング・ストーンズ(前編)
月2回連載
第37回

illustration:ハロルド作石
18歳まで、つまり高校を卒業して、大学進学で京都に行くまでは、海外のアーティスト、いわゆる外タレのライブを、観たことがなかった。
それまで広島在住だったので、東京や大阪のように、来日公演で外タレが来ることは、ない。よっぽどのビッグネームなら別だが、それもごくごく稀だ、という、まあ当然な理由である。
僕はエレクトーンを習っていたのだが、その先生(女性)に、レッド・ツェッペリンが広島に来たことがある、観に行った、という話をきいて、すんごい驚いたのを憶えている。
信じられなかった。これを書いている今、ドキュメンタリー映画『レッド・ツェッペリン:ビカミング』が公開中で、試写で一回、公開になってから渋谷のシネクイントで一回観た。そのたびに、このことを思い出した。
1971年の初来日の時、メンバーのたっての希望で、東京と大阪だけではなく、広島公演も組んだそうだ。そして、広島県立体育館での公演日である9月27日、4人は朝から原爆ドームと原爆資料館を見て回り、午後には広島市役所を訪問、被爆者援護資金として約700万円を寄贈したという。
そのことを知った中学生の自分は、レッド・ツェッペリンというと、ホテルの窓からテレビをぶん投げたり、ドラッグと女まみれだったり、ジミー・ペイジが黒魔術にはまっていたり、ボンゾ(ジョン・ボーナム)が泥酔して吐瀉物をノドに詰まらせて亡くなってしまったり(それで解散して、残っていたアウトテイク等で作られたアルバム『CODA』が出たばかりだった)──というような知識ばかりで脳内がいっぱいだったもんで、そんなすばらしい人たちでもあったのか、と、認識を新たにしたのだった。
なお、このあたりのことを書くために調べ直す際、参考にしたサイトはこちらです。と、引用元を明らかにしておきますね。https://www.tapthepop.net/live/35604
外タレが広島には来ないなら、遠征すればいいじゃん。と、今なら思うところだが、当時の僕にはそんな発想がなかった。というか、そもそも、旅行とかで他府県に行くこと自体が、ほぼなかった。
これを書くと、ものすごくジジイだと思われるだろうが、広島に山陽新幹線が通ったのは、僕が小学校1年の時である。はっきりと憶えている、「新幹線だ新幹線だ」と盛り上がって、「乗りに」ではなく「観に」行ったので。広島駅のそばまで。
初めて乗ったのはその翌年、小2の時だった。冬休み、東京に単身赴任していた父親のところへ行くために、母と妹ふたりの一家3人で乗ったのだ。
というふうに、「父がいる」とか「親戚がいる」とか「修学旅行」とかの理由がない限り、遠くの他府県まで、行くことはない。家族でどっか行くとしても、近場の愛媛や山口くらいだった。
要は「遠くまで行く」ことに、そもそもなじみがなかったのである。なので、ライブを観に他府県まで行くなんて、考えつきもしなかった。まあ、もし考えついたところで、無理だったけど。そんなカネ、ないし。
でも、昭和の子供って、みんなそんなもんだったんですよ。
と、言いたいところだが、たとえば石野卓球は高校生の頃、ニュー・オーダーの来日公演を観るために、友達数人と静岡から東京まで行ったりしていたそうだ。なので、単に自分がそういう奴ではなかっただけ、という気も、しないでもないです。
東京は、父親がいたから行ったことがあったけど、大阪に初めて行ったのは、大学進学で京都に引っ越したあとだし。初めて東北と北海道に行ったのは、26歳ぐらいの時、ロッキング・オン・ジャパン誌のフラワーカンパニーズのツアー密着記事の時だったし。
この連載の第八話の後編(https://lp.p.pia.jp/article/essay/352407/406699/index.html)で書いた、人生初の海外出張の時まで、パスポートを持っていなくて、飛行機に乗ったこともなかったし。
まあ、若き日の自分はそんな奴だったのだが、ただし。
一度だけ、広島で、外タレ関連の公演に、行ったことがある。
え、何? 外タレ関連の公演って?
フィルム・コンサートです。
英米のアーティストの、プロモーション・ビデオ、今で言うミュージック・ビデオや、ライブ映像を、次々と見せてくれる催し。それが、フィルム・コンサートと呼ばれていたのである、当時は。僕が中学生だから、1981年から1984年の間ぐらいだが、もっと前からあったはずだ。
今思うと「なんじゃそれは」としか言いようがない話である。が、当時はまだビデオデッキが各家庭に普及しておらず、なので当然レンタルビデオ店もなく……いや、そうだ、レンタルビデオ店以前に、貸しレコード屋も、まだなかったわ。俺が高校に入ってからだ、黎紅堂(貸しレコ屋のチェーン)とかが、全国にでき始めたのは。
で、MTVも誕生前、もしくは日本に入ってくる直前ぐらいの頃で、毎週洋楽の映像を観ることができるテレビ番組は、小林克也の『ベストヒットUSA』しかなかった。他は、NHKの『ヤング・ミュージック・ショー』という特番が、不定期で、思い出したように放送されていたぐらい。
で、『ベストヒットUSA』、今でもそうですが、基本はチャートを紹介する内容で、それ以外のバンドを観れる可能性は、けっこう低かった。毎週1組とかそれくらいで。
というような、海外のアーティストの映像を観ることが容易ではない時代だったので、フィルム・コンサートというものが成立した、その需要があった、ということですね。
普段は、楽器店の最上階の、小さなホールなどで行われていた。各レコード会社の広島支店が、自社のアーティストの宣伝のために、開催することが多かったようだ。カワイ楽器広島店のホールに、何度か足を運んだことがある……待てよ。洋楽だけじゃなかったわ。邦楽のやつにも、行ったことがあるな。
ともあれ。そんな中、洋楽雑誌のミュージック・ライフが主催する、フィルム・コンサートのツアーが、広島にも来たのである。
フィルム・コンサートでツアー。しかも、主催は音楽雑誌。ますます「なんじゃそれは」度は高まる一方だが、当時、ミュージック・ライフはすごい人気で、僕も毎号欠かさず買って、隅々まで読んでいた。まだロッキング・オンの存在に気がつく前で、渋谷陽一はFMラジオのディスクジョッキーの人だと思っていた頃である。
中学のバスケ部の洋楽好き数人で、「やった、ミュージック・ライフが来る!」と、喜び勇んでチケットを買った。
会場は、広島郵便貯金会館、今の上野学園ホール。1700以上の客席が満員で、ロビーではその日にMV等が上演される、アーティストの公式グッズが売られている。そういえば『レッド・ツェッペリン:ビカミング』を観に行った渋谷シネクイントでも、ロビーでツェッペリンのグッズが売られていた。あれと同じようなことですね、と言いたいが、違うでしょうね、たぶん。
とにかく、まんまと買った。興奮しながら。迷いに迷った末に、レインボーのその時点での最新アルバム『闇からの一撃』のジャケットがプリントされているTシャツにした。
そして。フィルム・コンサートには、MCが付いていた。ミュージック・ライフ編集部の酒井康氏(氏がメタル専門誌BURRN! を創刊するより前です)と、メタル・ゴッド伊藤政則先生。おふたりの楽しいおしゃべりをはさみながら、映像を一本一本観ていく。
レインボーの二代目ボーカリストだったが、脱退してソロに戻ったグラハム・ボネットの曲「孤独のナイト・ゲームス」のビデオは、最後の最後で、彼が横顔で、ものすごい表情で笑うんです。そこが必見です──という解説があり、そのシーンで爆笑が起こった。僕も大笑いしたが、今、ネットの海で探して観てみると「最後にちょっと笑う」という程度だ。おかしいなあ。「口角すんげえ上げて笑う」画を観た記憶が残っているんだけど。再編集とかしたのかな。
あ、「孤独のナイトゲームス」、2年後の1983年6月に、西城秀樹が日本語詞でカバーして、ヒットした曲でもあります。
とにかく。終始、もう本当に楽しくて、来てよかった! と、心から思った。翌日も興奮さめやらず、制服の下に買ったTシャツを着て登校し、放課後の部室でお互い見せ合った。かわいいですね、バカで。
でも、そんなバカも、大学進学で京都に行ってからは、外タレのライブ、行けるようになったんでしょ? 大阪には普通にみんな来るから、来日アーティスト。
と言いたくなるところだが、そうでもなかったのだ。
自分がバンドをやっていて、(主にチケットノルマで)めっちゃカネがかかる、なので、普段観に行くのは友達のバンドが主で、京都にツアーで来る日本のバンドも時々観に行く。という生活だったからである。
というわけで、京都に住んでいた大学の4年間で、観た外タレは、タイトルに挙げた3組だけなのだった。
チープ・トリック、ストーン・ローゼズ、ローリング・ストーンズ。
チープ・トリックは、1988年11月18日京都会館第一ホール。ストーン・ローゼズは、1989年10月25日大阪毎日ホール。ローリング・ストーンズは、1990年2月14・16・17・19・20・21・23・24・26・27日の東京ドーム10デイズのうち、どの日に観たかは憶えていない。が、19日は追加公演だったそうなので、その日以外なのは間違いないし、初日や最終日でもなかった気がする。
次回に続く。
プロフィール
兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(季刊)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。
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