兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』

第二十七話:1997年に観た永積崇(後編)

月2回連載

第54回

illustration:ハロルド作石

1997年6月26日に、渋谷クラブクアトロで、自分が初めて観たSUPER BUTTER DOGのライブは、良くなかった。ボーカルの永積崇も、バンド・サウンドと共に人前に立って歌うこと自体に、まだ慣れていない感じで、頼りなかった。しかし、そんな永積崇が、ギター1本持ってステージに上がればもう無敵、みたいな、バケモンレベルの歌を歌う人になるまでに、そんなに時間はかからなかった──というところまで、このテキストの前編に書いた。

まず、SUPER BUTTER DOGは、順風満帆にサクサクと活動が進んで行ったバンドではない。CDのセールスやライブの動員がどんどん増えていく、みたいな具合ではなかったし、そのへんの事情もあってか、サード・アルバムまで出したところで、マネージメントを移っている。その新しいマネージメントになってからは、仕切り直して再出発的な感じになり、「コミュニケーション・ブレイクダンス」と「FUNKYウーロン茶」の2枚のシングルを経て、4作目のアルバム『FUNKASY』が高く評価される。が、ブレイクと呼べるまではヒットしなかった。

ただし、それらのリリースごとのツアー、自身の企画イベント『ファンキー大百科』、各地のイベントやフェスへの出演などで経験を積んでいく間に、ライブはめきめきと良くなっていき、「客前が得意じゃないバンド」みたいな印象は、早い段階で、なくなった。ファンクのねばっこさとロックのシャープさとクラブ・ミュージックの機能性を併せ持った演奏と歌を聴かせ、踊らせてくれるバンドになっていた。『フジロック』でも、『ロック・イン・ジャパン』でも、観た記憶がある。

と、書いて、思い出した。前にこの連載のくるりの回で書いた、当時僕が編集部にいたBUZZという音楽雑誌のイベント『BUZZ NIGHT』にも、出てもらった、そういえば。そこでも文中に出てくる、エイジアン・ダブ・ファウンデーションのふたりがゲストDJ&ラップで出演してくれた時である。もともとその日はSUPER BUTTER DOGをブッキングしていて、同じ時期にエイジアンが来日するので、追加でダメもとでオファーしていて、前の日まで来るか来ないかわからなかったけど、結局来てくれたのだった。SUPER BUTTER DOGのベースのTOMOHIKOさんが、とても喜んでおられた記憶があります。

その次にSUPER BUTTER DOGは、5枚目のアルバム『grooblue』を、2001年の12月にリリースする。「日々GO GO」「五十音」「嫌な磁場」「O.K」などなど、かっこいい曲、面白い曲、美しい曲、ヤバい曲がいっぱいで、自分は今でも大好きなアルバムである。『FUNKASY』以上に好きかもしれない。特に「ナンモナイ」という曲が最高、永積崇イズムが炸裂していて。そもそも『grooblue』というタイトル自体が、SUPER BUTTER DOGというバンドを端的に表している、とも思うし。

ただし。そのアルバムの先行シングルの二作のうちの、あとに出た方の曲「サヨナラCOLOR」を書いたことがきっかけで、翌年の2002年から、永積崇はハナレグミという名前でソロ活動に入る。って、「サヨナラCOLOR」がきっかけで、と、言い切ってしまっていいのか。よくない可能性も大いにあるが、でも当時、僕はそのように解釈した。SUPER BUTTER DOGでレコーディングしてリリースしたものの、この曲はあきらかにSUPER BUTTER DOGではない。ならば、ソロでやるしかない、ということなんだろうなあ。でもSUPER BUTTER DOGをやめたいわけではないので、とりあえず一旦お休みなんだろうなあ、という。同じタイミングで、キーボードの池田貴史こと池ちゃんは、中村一義のバンド、100sに参加したり、スペースシャワーTVでレギュラー番組をやったりしていたので、今はこのバンドにとってそういう時期なんだろうな、というふうにも思っていた。池ちゃんが本格的にレキシを始めるのは、もっとあとの話である。

というわけで、ハナレグミとして活動をスタートし、2002年11月にファースト・アルバム『音タイム』、2004年1月にセカンド・アルバム『日々のあわ』、2005年1月にサード・アルバム『帰ってから、歌いたくなってもいいようにと思ったのだ。』(このタイトルの元ネタは、2001年刊行の料理家・高山なおみのエッセイ集『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。』。ロッキング・オンから出た本で、現在は文春文庫で入手可能です。)──とリリースしていくうちに、みるみるうちに人気が上がり、ツアーの会場もどんどん大きくなっていく。そして、おそらく、弾き語りのライブを多数行うようになったことで、鍛えられ、客前で歌う人としての能力が、さらにぐんぐん上がっていく。同時に、人の曲をよくカバーするようにもなった。確かNHKホールだったと思うが、くるりとスーパーカーの曲を歌って、それがビビるくらい素晴らしかったのを憶えている。

あともうひとつ、憶えていること。そんなふうにライブが良くなっていく中で、MCだけは苦手感をひきずっていたのだが、それも(自分が観た中では、だが)、ある日のライブを境に、劇的に良くなった。どう変わったのか、というと……これも完全に僕の記憶と僕の解釈なので、ご本人に「違います」と言われたらおしまいなのだが、「酔っぱらいのマネをする時の竹中直人」のしゃべりかたを取り入れたら、いきなりスムーズになったのだ。と、僕には見えたのである。当時(2005年)、竹中直人が監督・脚本・主演で『サヨナラCOLOR』という映画を撮って、その劇伴がハナレグミとクラムボンとナタリーワイズだったので、そこで接点ができて、あのしゃべりを取り入れようと思ったんだな、と、納得したものです。ちなみに今は、全然そんな感じじゃないですよね、ハナレグミのMC。あれ、あの頃だけだったんだろうか。それとも、やっぱり、僕の勘違いだろうか。

そんな絶好調なスタートから、約3年後、2005年9月24日土曜日。ベスト・アルバム『hana-uta』をリリースした10日後に、ハナレグミは、地元に近い東京都小金井市の小金井公園で、フリーライブを行った。これが、もう本当に、すごかった。豪雨ではないけど雨、あともうちょいで止みそうなんだけど……みたいな、あいにくの天気だったが、見渡す限り、人、人、人で、もう完全に「ワンマンだけどフェス」な光景で。ああいう音楽性なので、ワーッと前に人が詰めかけるような感じではなかったが、みんなゆったり座ったりして観ている分、人の広がりがエグい。公式サイトには2万人と書いてあるが、もっといたように感じたほどである。

そんな環境で、ハナレグミの歌が、2万人に向けて飛んで行く、広がっていく、染み通っていくさまは、もう圧巻だった。一緒に歌うのでも、踊るのでもなく、酒を飲むことすら忘れて、ただただ聴き入ってしまうような。聴いているだけで、自分が浄化されていくような。人の歌って、こんなに力があるもんなんだなあ、ということを、改めて実感するような。そんな体験だった。それまでも、何度も、彼のライブを観て来たにもかかわらず。

また、書いていて思い出した。会場で大根仁監督に出くわした。ということは、自分はあの時もう、大根さんと面識があったのか。スチャダラパーの3人と一緒に観ておられて、当時大根さんのADだった男(彼が前職の時に会ったことがあって、うっすら知り合いだった)が、みなさんのお世話をしていました。

その後、ハナレグミでのライブ活動と並行して、2007年にはSUPER BUTTER DOGが再始動するが、翌年に解散を発表。最後のライブは、2008年9月13日の、日比谷野音だった……そのライブレポ、RO69(今のrockinon.com)に書いたな、そういえば。探してみたら、まだありました。その日のライブの模様のほかに、解散までの経緯などについても触れています。ライブレポはこちら

その後の、現在にまで至るハナレグミの活躍は、みなさんご存知のとおり。最近では、5月に京都と東京で中村佳穂とのツーマンライブ『HOW BEAUTIFLOW!!』があったんだけど、観れなかったのが残念です。別のライブが先に入っていたのだった。観た友人知人などがみんな「とんでもなかった」と言っていて、「ああ……」となりました。

プロフィール

兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMINOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(季刊)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二回)。近著=「ウルフルズ『バンザイ』ザ・インサイド・ストーリー」、リットーミュージックより発売中(2,500円+税)。

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