和田彩花のアートさんぽ
“日本一美しい本棚”のあるミュージアムへ──東洋文庫ミュージアム
毎月連載
第7回
三方をぐるりと本棚に囲まれた東洋文庫ミュージアムの「モリソン書庫」
駒込にある東洋文庫ミュージアムで開催中の展覧会、創立100周年記念『知の大冒険―東洋文庫 名品の煌めき』(12月26日(木)まで)へ行ってきました。“日本一美しい本棚”ともいわれている「モリソン書庫」が見られるミュージアムです。お話を伺ったのは、公益財団法人東洋文庫普及展示部研究員・学芸員の篠木由喜さんです。
東洋文庫は、丸の内にある三菱一号館美術館や静嘉堂文庫美術館と関係性が深いようです。三菱の第三代社長、岩崎久彌が、今からちょうど百年前に作ったのがこの東洋文庫。1917年、久彌は北京駐在のオーストラリア人G. E. モリソン博士から東アジアに関する欧文の書籍・絵画・冊子等をまとめて購入。それらを基に1924年に東洋文庫が創設されました。
ここでは、東洋学に関する本を収集しており、蔵書は約100万冊。これらのコレクションは、東洋学の研究者のために公開されてきましたが、2011年に現在のビルに建て直してからは、一般の方へ向けたミュージアムも併設しています。東洋文庫ミュージアムでは、儒教や宇宙、ハワイや、浮世絵などさまざまなテーマの企画展示が行われています。
また、東洋文庫のコレクションは災害や戦乱をくぐり抜けてきた歴史があるようです。「モリソンは、ロンドンタイムズの特派員として、欧米列強と日本に侵攻されて激動の時代を迎えていた北京に赴任していました。インターネットがない時代に、アジアの情勢を調べるためにたくさんの本を集めていたそうです。しかし、これらの書籍を船で北京から日本へ送ったとき、未曾有の高潮が襲いました。当時はまだ文化財レスキューの概念などもありませんでしたが、水で濡れた資料を駒込に持ってきて、表紙を外し、紙を一枚一枚きれいに乾かしました。そんな歴史もあるため、ここでは水に浸った資料と当時の文化財保護について紹介もしています」
イントロダクションを終えて2階へと進むと、私たちを迎えてくれたのは、東洋文庫さんの重要なコレクションである2万4000点の蔵書が並ぶ「モリソン書庫」です。この量を個人が所有していたことに驚きます。
「棚に紙が挟まっている箇所は、研究員が借りていたり、展示で借り出しているという印なんですよ。それから、読んでいない本というのも結構あるんです。昔は、大きな紙を折りたたんだものをいくつも繋げて製本し、それらをカットしないで販売していたことがあったので、読むときには紙を切らなくてはいけないのですが、切られていないアンカット本もたくさんあります」
モリソンさんも買ってそのままにしていたなんて、積読しがちな私との共通点を見つけられて、ちょっと嬉しい。
いよいよ『知の大冒険』展のメインとなる展示室へ。実はこの大冒険が始まる前に、東洋文庫さんのグッズをいただきました。全5種類からどれができるかわからないお楽しみなスタンプです。私は、龍の文字が4つ書かれているものを当てました。このスタンプデザインの元になっている作品を展示のなかから探してみます。
まずは、古代エジプトの神聖文字、ヒエログリフの辞典です。母音のなかに、よく似ている鳥を2匹発見。こんなに類似した形で、異なる文字を表していたのがすごい。私には全然見分けがつきません。「実は、この神聖文字はアルファベットと対応していて、解読が進んだのは19世紀です。ロンドンの大英博物館にロゼッタストーンという有名な石がありますよね。そこに書かれていた神聖文字と民衆文字、ギリシア文字を対応させることで解読が進みました」
次は、漢字の最初期のかたち《甲骨ト辞片》です。「古代中国では占いのために文字を刻み、ヒビの入り方で結果をみました。占いの内容は、“王の歯痛は治るか?”というような感じのものなんですよ」
なにやらとても美しい展示物を発見しました。これは、モロッコの古都フェスの名家で作成された結婚契約書《ヴェラム製結婚契約書》(1721年、フェス)。「こちらは、材質が子羊の皮でできています。紙よりも動物の皮のほうが長期保存に適していると考えられたのか、結婚や土地の売買に関する重要な契約は、こういった動物の皮に書いていたそうです。」結婚契約書というだけあって、装飾がとてもきれい。
今回の展示のなかで今最もオークション界で高値がつきやすいものの一つが、中国史上最大級の百科事典『永楽大典』。「これは、明の時代に作られたものです。戦乱の多かった中国では、前王朝の記録が失われがちですが、台湾の故宮博物院のほか、東洋文庫にも数冊現存しています。中国の宮廷では、正本と副本を作り、別々の場所に保管されていました。これはその副本のうちの一冊です」
アジアをめぐる旅はまだまだ続きます。ベトナムの婚礼の行列を描いた《越南婚葬行列図》です。現代の花嫁は、白のドレスを着ることも多いようですが、この時代の婚礼衣装はとてもカラフルでアオザイとは異なる着物のような衣装なんですね。「儒教の影響を受けていたベトナムでは、白い衣装はお葬式で着用します。また、現在の形のアオザイは、チャイナドレスの影響を受けているといわれています。そのチャイナドレスも、今知られるものは西洋の影響を受けてタイトな形になっているので、わりと最近生まれた文化なんです。ここで見られるカラフルな衣装は、より伝統的なものです」
15世紀半ばに大航海時代が幕を開けると、東西の航路が開かれ、両者の交わりが増えていきます。
ヴェネツィアの商人、マルコ・ポーロが東方を旅行したときの体験をまとめた『東方見物録』は、活版印刷機がない時代、手書きで世界に広まったのだそう。東洋文庫の所蔵品では、1485年発刊のものが最も古く、活版印刷機が作られた最初期のものだと教えてもらいました。東洋文庫には、出版年、出版地、言語の異なる『東方見物録』が80冊ほどあり、刊本のコレクションとしては世界最大です。
こちらはマリー・アントワネットが所蔵していたといわれている『イエズス会士書簡集』。「フランスのイエズス会の宣教師たちは、アジアでの布教活動で得た現地の知識や報告を手紙の形で送っていました。それらをまとめた一冊です。日本のこともたくさん書かれているので、マリー・アントワネットがこのページの漢字を見ていたかもしれないと想像すると、ちょっと楽しいですね」
それから、最初に篠木さんからいただいたスタンプに関わる作品に出会えました。それは、なんと『ナポレオン辞典』のなかに。「これは、ナポレオンが作らせた漢字辞典で、カトリック布教のために中国と交流しようしていたようです。「龍」を4つ書く漢字は、口数が多い、おしゃべりという意味になります。ちなみにこの本は、9キロあります」こんな立派な本を作ってまで交流しようとしていたことに驚き。
コーナーの最後にとてもスペシャルな浮世絵を発見しました。喜多川歌麿の《高島おひさ》です。「こちらは、背景が雲母という鉱石をまぜた絵の具で刷られている珍しい浮世絵です」。少し屈んでみたりすると、パールのような艶がキラッとする箇所を発見できます。浮世絵は当時のそば一杯の値段で買えた大衆の文化だったと言われていますが、こんなにも特別な浮世絵もあったのですね。
日本でアジアの芸術に触れられないかとネットを彷徨っていたときに出会ったのが、今回訪れた東洋文庫ミュージアムです。本の博物館?と漠然としたイメージを抱いていましたが、貴重な紙資料を通してこんなにも充実したアジアの歴史を学べるなんて驚きました。ありきたりな言葉ですが、とっても楽しかったし、充実した時間を過ごせました。東洋文庫さんに通って、アジア文化の認識を深めたいです。
いつもと違う体験をしたいとき、本に触れたくなったとき、歴史に触れたくなったときにぜひ足を運んでみてください。学生のみなさんも授業でみたあの資料をぜひ間近で見てみてくださいね。
撮影:村上大輔
東洋文庫ミュージアム
1924年(大正13年)に三菱3代目社長の岩崎久彌によって創設された日本最古で最大の東洋学の研究図書館。1917年、久彌が北京駐在のオーストラリア人G. E. モリソン博士からまとめて購入した東アジアに関する欧文の書籍・絵画・冊子が出発点となっており、現在の蔵書総数は約100万冊。国宝5 点と重要文化財7 点が含まれる。ミュージアムは2011年に現在の建物が竣工した際に開館。企画展示室や「モリソン書庫」などでは東洋学にまつわる多彩なテーマで企画展示などが行われている。
https://toyo-bunko.or.jp/
【展覧会情報】
創立100周年記念「知の大冒険—東洋文庫 名品の煌めき—」
会期:2024年8月31日(土)~12月26日(木)
東洋文庫の設立から100周年を記念した展覧会。災害や戦争などの危機的状況を乗り越えて継承されてきた「東洋文庫」所蔵の貴重な資料の数々を通して、東洋から西洋、そして日本へと時空を超えて「知の大冒険」へと誘う。『東方見聞録』『永楽大典』など歴史の授業などでおなじみの書物のほか、地図や絵画、浮世絵まで、多彩な資料が展示されている。
プロフィール
和田彩花
1994年8月1日生まれ、群馬県出身。
アイドル:2019年ハロー!プロジェクト、アンジュルムを卒業。アイドルグループでの活動経験を通して、フェミニズム、ジェンダーの視点からアイドルについて、アイドルの労働問題について発信する。
音楽:オルタナポップバンド「和田彩花とオムニバス」、ダブ・アンビエンスのアブストラクトバンド「L O L O E T」にて作詞、歌、朗読等を担当する。
美術:実践女子大学大学院博士前期課程美術史学修了、美術館や展覧会について執筆、メディア出演する。