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アーティストの音楽履歴書 第16回 中尊寺まい(ベッド・イン)のルーツをたどる

音楽

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ナタリー

アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は“地下セクシーアイドルユニット”ベッド・インのパイオツカイデー担当、中尊寺まいに音楽のルーツを語ってもらった。

人前でまったく歌えなかった……幼少期の身近な音楽は母の聴く歌謡曲

子供の頃は人前に出るのがとにかく苦手で。親に飲み屋さんとか連れて行かれると、子供ってオケカラを歌わされることってあるじゃないですか。ほかの子はできるのに、そういう場でも全然歌えないくらい人前で何かをすることが苦手でしたね。でも今思えば、その時期に聴いていた音楽にはかなり影響を受けていると思います。例えば、親戚たちがスナックで歌っていた歌謡曲たち、母が歌うテレサ・テンさんの「愛人」や、ちあきなおみさんの「喝采」、車で聴いたやしきたかじんさんの「東京」……とか、大人になってから「あのとき聴いた曲ってなんだったんだろう」って調べたりして。

幼稚園はインターナショナル系のところで、日本の童謡はほとんど知らないんです。母が英語を話せるようにしたかったらしく、そういう幼稚園に入れたんでしょうね。残念ながらまったく話せないまま大人になりましたが、実は“まい”っていう名前も外国の方が聞いても耳なじみがいいようにって理由もあるんです。マライア・キャリーの曲を聴いて、サビの単語を並べ替える、みたいな授業がありましたよ(笑)。でも、音楽の好みが洋楽に移ったわけじゃなく、まだ音楽にも興味はありませんでした。

小学校になじめない苦悩を救った“夜明け前”

小学校低学年のときに西川貴教(T.M.Revolution)さんをテレビで知って、そこからはズッポシ! 自分の意志で音楽を聴くようになった気がします。最初に聴いた曲は「HEART OF SWORD ~夜明け前~」で、アニメ「るろうに剣心」のエンディングテーマだったんです。それで実際にパフォーマンスを観たのが「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」。楽曲もそうですが、西川さんの存在自体にロックを感じて、そこからロックバンドへと興味が移ったんだと思います。

この頃、神戸から東京に引っ越してきたんですけど、小学校にまったくなじめなくて。転校生特有の居心地の悪さもあったんですけど、あまり自分の意思が言えない性格もあって、空気のような存在になってしまったんです。自分は自分なりに戦っていたのですが、過干渉だった母にバレてしまい「学校になんか行かなくていい!」と、高学年の2年間は学校に行かず、ずっと家で引きこもっていました。T.M.Revolutionの楽曲とか、西川さんがMCだった「オールナイトニッポン」を夜更かししてひたすら聞いている日々。西川さんが影響を受けたバンドを掘って聴いたりもしましたね。本当に唯一外に出るのは、T.M.Revolutionのライブを観に行くときくらいだったかも。

テレビでは音楽番組をよく観てて、特に「速報! 歌の大辞テン」がスキスキスーだったんです。あの番組では最新のヒットチャートと一緒に昭和のトップ10も一緒に紹介していて、そこでいろんな歌謡曲を知りました。「LOVE LOVE あいしてる」(※「堂本兄弟」の前身番組)もよくチェックしていましたね。ゲストアーティストがカバー曲を披露するコーナーがあったんですけど、そこでも昭和歌謡が選ばれることが多かったんです。あとは「THE夜もヒッパレ」もDAISUKI!で往年のスターたちの歌のアクの強さに困惑したりしてました(笑)。ビデオテープで番組を撮り貯めていたのもこの頃からで、CMだけ集めたり、西川さんが出てるところだけ編集したVHSを作ったりしたな。本当にやることがなかったんでしょうね(笑)。

ギターを手にした軽音楽部時代、アコギの特訓をガンバルンバ

中学からは女子校に入ったんですけど、自分にすごく合っていて通えるようになったんです。この時期はT.M.Revolutionの延長で男性のロックバンドに憧れて、ヴィジュアル系を聴き始めました。「ミュージックステーション」に出演したときのDIR EN GREYは衝撃的でしたね。Janne Da Arc、Waive、MUCC、MERRY、cali≠gari、deadman、RaphaelはDAISUKI!でしたし、必死にコピーしていました。ルーツを探ってZI:KILL、DEAD ENDなんかも聴いてました。V系って退廃的で、当時は自分の存在も許してもらえるような気がして。世間との距離を感じている人間にとって、すごく入りやすい世界だったんです。

軽音楽部に入ってギターを始めるんですが、最初の1年はアコースティックギターしか弾かせてもらえなくて。エレキに憧れて入部したので正直ガッカリしたけど、当時はゆずや19、0930、唄人羽なんかが流行ってて、みんなで「月刊歌謡曲」(※ブティック社から発行されていた楽譜雑誌)を買って、コードを覚えて、ガンバルンバしながら練習しました。私は友達と井上陽水さんの曲を弾いて「渋いな」と言われたり(笑)。自分の意志でやりたいことを見つけられた初めての経験でしたね。

ハロプロからADKレコードまで聴く中高時代

中学から高校にかけて一気に好きな音楽のジャンルが広がって、V系から筋肉少女帯、人間椅子、THE STALINとナゴムレコードやADKレコード(※THE STALINのギタリスト、タムが立ち上げたレーベル)に所属していたバンドをよく聴いていたと思います。そうなると今度はジャックス、三上寛さん、友川カズキさん、山崎ハコさん、佐井好子さんとか、1960~70年代のロックやフォークまで掘っていきました。それと並行してハロー!プロジェクトのグループやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTも偏見なく聴きましたね。

ハロプロを挙げるのは意外ですか? ちゃんまいはつんく♂さんで育ったと言っても過言ではないですよ! ハロプロ楽曲はいろんな要素が歌謡曲として昇華されている、本当によくできた宝石箱みたいな曲ばかりでDAISUKI!なんです。女の子を消費させず、グループやメンバーへの愛やリスペクトを感じるところも大好きな理由の1つです。当時は「うたばん」「ハロー!モーニング。」とか、ハロプロ関連の番組もよく観てました。私は辻(希美)ちゃん、加護(亜依)ちゃんと同い年なので、その2人には特に思い入れがありますね。みんなかわいかったし、今もチェックしてますよ。でも現場にイったことがないから、いつかおナマで見てみたいですね!

襲われる覚悟で通った禍々しいインディシーンとの密接な関わり

ライブハウスに通い始めたのは中学生くらいから。出会った大人たちからは大事MANなことをたくさん学びました。音楽の幅も広がりましたね。1人っ子だったので、ライブハウスの人たちはお兄ちゃんお姉ちゃん的な存在で、バンドを教えてもらってはdiskunionに入り浸っている自分に酔っていました(笑)。

ライブハウスは初台WALL、中野MOON STEP、EARTHDOM、ANTIKNOCKにはハードコアを観に。音処 手刀、下北沢SHELTER、新宿LOFT、新宿JAM、新宿URGAにはアングラ、サブカルと呼ばれるインディーズバンドをよく観に行っていました。特に、中学生棺桶とインビシブルマンズデスベッドがDAISUKI!で、都内はほとんど全通してたかも。あの頃の都内の一部のインディーズシーンって、本で読んだ1980年代のジャパコアシーンみたいな禍々しいイキフンだったんですよ。例えば、ボーカルが割れたビール瓶で自分の体を傷付けて血まみれになったり、演奏中におしっこしてライブハウスの店長に殴られてたり、墨汁飲みながら爆竹投げてきたり、全裸で演奏してたり、ステージ上でフェラチオさせてたり……(笑)。その後、自分がバンドを組んでからこの話に出てくる全員と仲良くなり、いかにその人たちがまともな人間かわかるのですが、当時客で観に行っていたときは本当に、毎回襲われる覚悟で通ってましたね(笑)。

ジャパコア愛で意気投合、2人組バンド・かたすかし結成

高校時代は友達が多かったけど、音楽の趣味はそこまで一致しなかったんです。みんなSPEEDとかジャニーズ、DA PUMPとか聴いていたのかな? ロック好きだとTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTとBLANKEY JET CITY、GOING STEADYも流行ってましたね。

高校でも軽音部に入り女の子だけでコピバンを組みました。名前はみんなミッシェルが好きだったからTHEE MALICIOUS CATS……生意気な猫たち!(笑) 早くオリジナル曲を作って学校外で活動をしたかったので、勢力的に活動していました。他校の人と知り合う機会もありました。学生が無料で借りられる児童館みたいなスタジオがあって、そこでやっていたイベントによく出演していたんです。

それでイベントで出会った(日沼)菊治郎くんとかたすかしというバンドを組んだんですけど、それは確か高校2、3年の頃ですね。お互いTHE STALIN、GAUZE、THE COMES、LIP CREAMみたいなジャパコアがDAISUKI!だったので、その影響を受けたバンドがやりたかったんです。リフが主体の日本語どろどろパンクバンドをやろう!と。バンド名は“あぶらだこ”とか“ハナタラシ”みたいな、ひらがなとかカタカナ5文字の名前に憧れて。ほら、アングラな感じするじゃないですか(笑)。

実はかたすかしには幻のメンバーがいて、いつの間にかいなくなっちゃったんです。じゃあ、2人でヤるしかない!ってことで、とりあえず、音圧を上げるためにギターアンプ、ベースアンプの両方にギターをつなげて音を出してました。「2人なのに音が厚い」ってよく言っていただいてましたが、苦肉の策だったんですよ(笑)。あとは動き回れるよう、ガムテープでマイクを胸にグルグル巻きにして。かたすかしの頃はいろんな箱にお世話になりましたが、特にお世話になったのは初台WALLですね。ENSLAVEのJEEPさんには本当にかわいがってもらいました。あとは、憧れだった中学生棺桶を筆頭に、いわゆる音処 手刀界隈のバンドとよく対バンしていました。組織暴力幼稚園、センチメンタル出刃包丁、死神(現:死神紫郎)さん、重婚、ハクビシン、股下89、ぬ界村、ミヤマGt.、PAPAPA、ファンシーナムナム、マグダラ呪念、KING GOBLIN、SEX-virgin killer-(現:SEX VIRGIN KILLER)、munimuni、ビル、じゃぷちんなーき、断絶間、マリア観音……仲良くしてもらったし、よく遊んでもらいましたね。シーンとしてはアングラ系とハードコア系、その2つを行き来していた感じだったんだと思います。

「東京ラブストーリー」再放送でバブル文化に没頭

(益子寺)かおりさんと初めて出会ったのは、かたすかしで活動していた頃でしたね。彼女がやっている妖精達、私が初めて対バンしたときはまだ今ほどコンセプトが確立されていなかったんじゃないかな。一旦活動をストップして、再度動き出してすぐのタイミングだったんだと思います。みんなステージ衣装もバラバラの私服で、なぜかかおりさんだけドレスを着てて、リハのときも(かおりの話し方を真似しながら)「もうちょっと音、上げていただけますでしょうかああん」みたいな話し方で……「なんだこのバンド!?」って思いましたね、謎すぎて(笑)。とにかく、かおりさんのキャラが突きヌけていて、気になっちゃって。昔から“かたすかしのバブル顔担当”を名乗っていたので、仲間を見つけたような感覚になってしまい、ライブ後に思わず「バブル顔って言われません?」って聞いちゃったんです。ベッド・インを結成するのはもう少しあとですけど、ビビビってきちゃった瞬間でしたね。

バブル文化にズッポしハマったのは高校時代で、入り口は音楽ではなくトレンディドラマだったんです。高校3年生になるとみんな受験でバンドを辞めてしまって、自分だけ何もやることがない。将来も考えたくない。そんなときに再放送していた「東京ラブストーリー」にハマってしまったんです。ちょうど「私はどうやって生きていくんだろう……」と悩んでいたときで、バブル文化のいい意味での軽薄さや刹那さ、熱量に感化されたんだと思います。この時期DVDが普及し始めて、VHSの値崩れがすごくて。100円とかザラだったので、この頃からVHSで当時の作品をたくさん買い占め出しました。ほかにも「男女7人秋物語」と「もう誰も愛さない」は衝撃的でしたね。吉田栄作さんの「ウオオオー――――!」で濡れない女は女に非ず、ですよ。

「例のKを辞めさせるわけにはいかない」

かたすかしは菊治郎くんとの大ゲンカで解散しちゃったんです。その後2011年頃に中学生棺桶のボーカル、カノウさんが新しく結成した例のKに加入しました。この頃、高校時代によく観ていたバンドが相次いで解散して、例のKもメンバーが安定せずに、カノウさんも音楽活動自体を辞めようか悩んでいたみたいで。私はもともと彼のファンだったし、単純に彼にはバンドを続けてほしかった。それで「私が弾いたほうがカッコよくなりますよ」って自分から言ったんです。ムッチー(ム JAPAN、うしろ前さかさ族、曇ヶ原)、西平由美子(ex. クウチュウ戦)ちゃん、ヤミニ(THE STALIN Y、レーベル「サイド・カー」主宰)さんと、続々とカノウさんの作る音楽が好きな人が加入してメンバーを一新しました。「カノウ葉蔵を、例のKを、辞めさせるわけにはいかない」っていう気持ちだけはメンバー間で一致してたんじゃないかな。

例のKに加入した頃はBARBEE BOYSや安全地帯をよく聴いていました。カノウさんと私のツインボーカルは間違いなくバービーの影響ですね。例のKは中学生棺桶時代からカノウさんの活動を追っていた人はどう思うか、自分がファンだったからこそすごく悩みました。ドゥームかつメロディアスに、中学生棺桶の強みは残しつつ、例のKではもっと実験的に、この編成じゃないとできないことをみんなで意識していたと思います。

2012年にはカノウさんの性誕企画を行うんですけど、例のKの各メンバーがコピーバンドで出演することになったんです。そこで結成したのがベッド・インで、この企画でデビューしました。SHOW-YAさんのカバーがやりたくて、「もうあの人しかいない!」と思ってかおりさんを誘ったんです。当時は大学を卒業してOLになっていたんですけど、就職を機に辞めてしまう女の子が多い中、同じようにバンド活動を続けていたことが、より意気投合した部分だと思います。

最終的に例のKは“円満離婚”という形で2014年に解散しました。最後にリリースしたアルバム「だが、ビューティフル。」(2015年発表)はすごく気に入っていて、今でも聴き直しますよ。カノウさんは私がベッド・インとして活動するうえで、ものすごく影響を与えてくれた人ですね。私にとってカノウさんは、タモさんにとっての赤塚不二夫みたいなもんです。ベッド・インの初オリジナル曲「ワケあり DANCE たてついて」はカノウさんが作ってくれました。演奏は例のKメンバーで私もギターを弾いてます。今までの例のK作品より、もっともっと歌謡曲やJ-POP的なものが作れないかと試してくれたのがこの曲だったんです。

バブル文化って、こんなに面白いんですよ

例のKが解散したあともベッド・インのライブは何度かあったんですけど、今のジャーマネ(スペネット北岡)が声をかけてくれるまでは、続けていくつもりはありませんでした。別のバンドを結成することも考えていたんですけど、ベッド・インの活動が予想以上に忙しくなっちゃって(笑)。これは今も変わらないけど、当時誰も興味がなかったバブル文化を「こんなにカッコよくて面白いんですよ」って広めたい気持ちが根源にあるんです。それが、少しずつTwitterで話題になったり、おギグに来てくれる性徒諸クン(※ベッド・インのファンの呼称)が増えていったりして。本当に“マンモスうれP!”以外の言葉が見当たらないですよね。

ベッド・インをきっかけに始めたTwitterは、結成当初はとにかく毎日投稿してました。今、「ベッド・イン用語」なんて言われているものは、この時期にひとりでシコシコと書き貯めたものです。今までのバンド活動ではTwitterなんて使ったことなくて、告知も「SNSじゃなくてチラシだろ! チラシ!」みたいな古いオンナだったんですけどね(笑)。ものすごくとがってたし、堅物で偏った考え方しかできなかったんですけど、ベッド・インをきっかけに自分自身が変われたような気がしています。自分が表現したものに対してこんなに反応をもらえたのはベッド・インが初めて。Twitterだけじゃなくて、お客さんに対する対応、パフォーマンスや楽曲にも「どうしたら喜んでもらえるだろう」と考えるようになりました。

エッチなお姉さんの童謡みたいな曲をやってみたい

CoCo最近は、自分の中で“音楽の点と点を線で結ぶ作業”が楽しいんです。例えば、エリック・クラプトンが在籍していたCreamや英国のブルースバンドFreeを聴いて「なんか和嶋(慎治)さんぽい!」って感じていたら、「本当に影響を受けていた! やっぱりそうなんだ!」とか。小坂忠さんを聴いて「カッコいい!」と思ったら、「以前から好きだったエイプリル・フール(※小坂や細野晴臣が在籍していたバンド)のボーカルだった! どうりで!」みたいに、点と点が線で結ばれるとうれしくて(笑)。今はこれまでまったく通ってこなかったブルースとかソウルに興味しんしん丸です。

今度出るミニアルバム「ROCK」では自分たちで作った曲も入っています。私、これまでベッド・インをGSバンドみたいなモノだと思って活動してきたんです。プロに制作してもらった曲をヤリ抜くことが求められていることだと。だけど、今は男闘呼組で言うと、メンバーが曲を作り出した時期みたいな感じ! きっとここからが面白いところだと思うので、目を離さないでいてほしいな、と思います。とりあえずC.C.ガールズさんみたいに、エッチなお姉さんが歌う童謡みたいな曲やアルバムは死ぬまでにリリースしておきたいですね!

中尊寺まい(ちゅうそんじまい)

“地下セクシーアイドルユニット”ベッド・インのギター、ボーカル、パイオツカイデー担当。趣味は8cm短冊シングル&レンタル落ちVHS収集。1980年代末期~90年代初期までのバブル期を彷彿とさせるワンレンボディコンスタイルであられもないパフォーマンスを繰り広げながら、激しく硬派なギタープレイを披露している。2012年にベッド・インでの活動を開始し、2013年6月にはグループ初の作品となるグラビア写真集「Bed In」、2014年3月に1stシングル「ワケあり DANCE たてついて / POISON~プワゾン~」を発売した。2016年7月には1stアルバム 「RICH」でキングレコードからメジャーデビュー。2020年3月には新作ミニアルバム「ROCK」のリリースを控えている。ベッド・イン以外にも過去にかたすかし、例のKのメンバーとしても活動していた。

取材・文 / 高橋拓也