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氷川きよしはジョン・F・ドノヴァンの希望 グザヴィエ・ドランが描くスターの光と陰

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 とあるスターとの秘密の文通をきっかけに、栄光の裏に隠された真相が明らかになる模様を描いた映画『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』。精巧な映像美と、鮮やかにシーンを彩る音楽で多様な生き方を描く本作は、若くしてその才能を認められ国際映画祭を席巻したグザヴィエ・ドランがメガホンを取る。自身もまた性的マイノリティであることを告白しているドランは、『胸騒ぎの恋人』(2010年)や『わたしはロランス』(2012年)など、自身の他の作品でもたびたび同性愛やトランスジェンダーの視点を取り入れてきた。本作でも、その重要な主題は描かれている。さらに、母と息子の軋轢や葛藤も『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』を構成する重要な要素であり、本作では2組の親子を用いて描き上げる。ドランが表現しようと試みているものは、常にこの2つの軸が大きく関与していた。そしてこの2つの軸は、常に相互的に絡み合いながら、ドランの作品をより繊細で奥深いものへと誘う。

参考:音楽の使い方はドランらしさ全開!? 村尾泰郎が『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』を解説

 『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』では、人気TVシリーズへの出演で一躍スターとなったジョン・F・ドノヴァンが、自殺か事故かも定かではない謎の死を遂げたことから物語が展開される。ドノヴァンは、ある一人の少年・ルパートと“秘密の文通”を100通以上も続けていた。しかし、ルパートが学校で受けたいじめをきっかけに、ドノヴァンとの文通がマスコミに漏れてしまう。このことを含めたスキャンダルは、ドノヴァンの人生に大きな影を落とす。

 本作を観た筆者は、ある日本のスターを思い浮かべた。デビュー20周年、40歳の節目に、これまでのイメージを一変した歌手、氷川きよしである。自身のインスタグラムで純白のドレス姿や色っぽい部屋着姿を公開したり、超ミニ丈のパンツで始球式に登場し手入れの行き届いた美しい脚を披露、自らのことを“kii”と呼ぶ姿が今多くの層から支持を得ている。 “演歌の貴公子”のイメージはここで覆され、自分らしいスタイルと魅力を放つ“きーちゃん”へとイメージを刷新した。日本の伝統である演歌を生業としながら、そのキャリアを壊すことなく、より多様に自分らしい表現へと磨き上げている氷川。しかし、彼もまたスター故の苦悩を抱えていた過去について、雑誌『婦人公論』のインタビューで明かしている。(参考:https://fujinkoron.jp/articles/-/1616?page=2)

 しかし、彼は苦しみに屈することはなかった。世間からのイメージとのギャップに悩み続けたドノヴァンのように鬱屈したままの自分を彷徨わせることはせず、より幅広いパフォーマンスへと進化させる。この“ありのままで生きる”という氷川の決断は、多くの人に希望を与えたはずだ。そして、ドノヴァンのように孤独を抱えた人にとって、一筋の光となりえるだろう。

 話は戻るが、映画の主人公ドノヴァンは、実はある男性に恋をしていた。しかし、スターであるが故に、そうした自身のセクシュアリティを公表できずに苦しむ。ドノヴァンは、同じように学校で居場所がなく孤独感を抱えるルパートとの文通で、密かに孤独な自分の居場所を作っていた。だがそれさえも、スキャンダルによって侵害されてしまう。スターになるにつれ、ドノヴァンの孤独感は高まり、自分の居場所を見つけることに苦労するのであった。さらにドノヴァンは、ありのままの自分を世間に知られることを恐れ、否定的である。それは、キャリアや周りの人々を守るための選択だったのかもしれないが、この判断は彼を苦しめ、最終的には彼自身を破滅に追いやる原因にもなってしまう。

 ドノヴァンは残念ながら命を失うことになる。それが事故であったか、自殺であったのかは解明されないが、彼が誰も寄り添うことのできなかった孤独を抱えていたことは自明である。そして、文通相手のルパートもまた同じように孤独を抱えた少年だった。しかし、この文通で絆を確かめ合った2人の人生には、大きな分かれ道が訪れる。ルパートは、自身のセクシュアリティについてはっきりと明言しないながらも、クライマックスである情景が描写される。ルパートが前に向かって生きていく、希望が溢れる未来を見せて終わるのだ。このような前向きな描写からは、ドランなりの希望が映画に込められていることが伝わってくる。

 また、『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』という邦題は原題の直訳となっているが、“生と死”ではなく“死と生”と、“死”のあとに“生”が配置されている点にも注目だ。ドノヴァンの死から物語が始まり、希望に満ちたルパートの未来を予感させるかたちで幕を閉じる本作。タイトルの真の意味は、作品を鑑賞した後に理解できるはずだ。

 ドノヴァンは“ありのまま”に生きることができなかったが、ルパートは、氷川のように“自分らしく”生きる道を歩んでいく。氷川の表現は、我々日本人にとって、新しい風となり勇気と魅力を吹き込むが、『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』では、ルパートがドノヴァンの全貌を明かすことで、新たな風を起こそうと奮起する。この作品で描かれるのは、孤独なスターだけの問題ではなく、いまを生きる全ての人間が、より魅力的に、鬱屈した魂を解放しながら生きるためのトピックなのだ。グザヴィエ・ドランは、こうした重要な主題を自身の経験に絡めながら、作品として提唱し続けている。(Nana Numoto)