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探究心こそ人生の最高のスパイス 『ペンギン・ハイウェイ』が教えてくれる、謎に挑むことの楽しさ

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リアルサウンド

■ファインマンとアオヤマ君が教えてくれるもの
 
人生を豊かに彩るスパイスはいろいろある。愛でもいいし友情でもいいし、エロスでもいいかもしれない。しかし、この映画を観た後、筆者は探究心こそ人生の最高のスパイスではないかと思うに至った。

参考:声優初挑戦で主演に抜擢! 北香那が語る、『ペンギン・ハイウェイ』“アオヤマ君”の役づくり

 映画『ペンギン・ハイウェイ』は、知的探究心がいかに人生を豊かにしてくれるのかを描いた作品だ。こまっしゃくれてちょっと理屈っぽい小学生、主人公のアオヤマ君が、近所の歯科医のお姉さん、そして市街地に突然出現したペンギンの謎を解き明かそうと奮闘する物語だ。

 筆者は、半分冗談、半分本気でこれを名著『ご冗談でしょう、ファインマンさん』の映画化だと言っている(もちろん森見登美彦の素晴らしい原作があることは知っています)。本作が観客に与えてくれるものは、あの名著と同じものだと思うのだ。

 『ご冗談でしょう、ファインマンさん』は天才物理学者リチャード・ファインマンの自伝本だが、小難しい物理学の話ではなく、ファインマンという人がいかに、いたずら好きで世の中のあらゆる事象に対して好奇心を抱き、人生を楽しんだかについて書かれたものだ。この本を読むと、不思議に立ち向かうこと自体がものすごく楽しくなる。

 この映画も同じだ。世界には謎がたくさんある、そのおかげで人生が楽しくなる、そんな気持ちにさせてくれる作品なのだ。

 筆者はもっと若い時分にこの映画に出会いたかった。そうすれば、筆者ももう少し真面目に勉強に励んだんじゃないという気がする。それぐらいのことを思わせる鮮烈な輝きがこの映画にはある。

 アオヤマ君は頭がよくて好奇心旺盛な少年だ。毎日発見したことをノートに記録して、日々世界についての理解を深めている。そんなアオヤマ君の一番の関心は、近所の歯科医に務めるお姉さん(の胸)だ。世界について日々学ぶアオヤマ君にとって、お姉さんは最もミステリアスな存在なのだ。

 ある日、アオヤマ君の住む街に突如としてペンギンが大量発生する。その謎を解くべくアオヤマ君は、親友のウチダ君とともにペンギンの研究に着手する。そんな日々を送るアオヤマ君はある日、お姉さんが投げたコーラの缶がペンギンに変身するのを目撃する。ペンギンの謎とお姉さんの謎がここに交錯し、アオヤマ君はさらに研究に没頭する。そのうちクラスメイトの女子、ハマモトさんから球体状の不思議な海を見せられ、謎はさらに拡大していく。

■事実、おっぱいはいまだ謎の存在である

 本作でアオヤマ君が魅せられる謎には、フィクショナルなものと実際の世界でも謎とされるものが混在している。

 フィクショナルな謎はもちろん、ペンギンや球体の海などのファンタジー部分だ。コーラの缶がペンギンに化けることはないし、海が球体となって浮かぶこともないと、残念ながら我々は知っている。

 では、実際に存在する謎はなにかと言うと、「おっぱい」のことである。人間の女性の胸がなぜあのように膨らむのかは諸説あるが、まだ解明されていない。他の哺乳類の胸があのように膨らむことはなく、人だけがなぜかあのように乳房が膨らむわけだが、乳腺はわずかで大部分は脂肪である。胸の膨らみ方によって授乳能力に差があるわけでもなく、なぜ人間の女性がそのように進化したのかは謎である。

 ちなみに、かつて『裸のサル』という本を著したデズモンド・モリスという動物学者が提唱した、人間の女性の胸が膨らむのは尻の代用で、男に尻を想起させるためにふくらんだとする「臀部擬態説」などというものもあった。(ちなみに筆者は、平本アキラの漫画『監獄学園』でこの説を知った)

 とにかく女性の胸はいまだ謎であり、アオヤマ君がおっぱいに惹かれるのは、彼が単にエロガッパだからということではなく、知的好奇心をくすぐる対象だからだ。あの膨らみには人類の謎が詰まっているのだ。

 おっぱい=下ネタではないのだ。それは、自らの知識の範囲のみで物事を判断してしまうことであり、探究心が足りない。世界の謎は、我々の身近にもたくさんあるのだということを示唆しているのであって、おっぱいはこの映画のテーマにきちんと関わる重要なファクターだ。

■わからないことは恐れるべきではない

 この映画は、探究心が人生を豊かにするものだということを教えてくれるものだということは先に述べた。そのことについて書かれた名著が(もちろん本作の原作も名著です)『ご冗談でしょう、ファインマンさん』だ。

 物理学者リチャード・ファインマンは子供のころ、ラジオの修理が得意だったそうで、ホテルのラジオの修理を依頼されたりもしていたそうだ。彼はラジオからたまに雑音が聞こえてきたり、それが自然に直ったりする様を見て、「どうしてこうなるんだろう?」と疑問を抱き、分解をして構造を確かめようとしたらしい。ファインマンの人生は、ほとんどこのようなエピソードに覆われており、構造と過程を観察し、謎を自分の手で解き明かさないと気が済まない性質なのだ。この本が素晴らしいのは、そんな姿勢をファインマン氏自身がとても楽しんでいることが伝わってくるところだ。

 ファインマン氏は、「僕は、物事がわからないからといって恐ろしいとは感じない、何の不自由もない不可解な宇宙のなかで途方に暮れてしまっても、恐ろしいとは感じない」と語っている。(ローレンス・M. クラウス著『ファインマンさんの流儀ーすべてを自分で創り出した天才の物理学人生』P352)

 我々はしばしばわからないものを恐ろしく感じてしまう。大人になるにつれて、かつて持っていたはずの好奇心を失い、次第に自らの知識の範囲でしか行動しなくなる。そうして世界が狭くなる。

 ファインマン氏の好奇心は死の間際になっても衰えることはなかった。「これが最後の発見ってヤツだな。死がどんなもんかってのが。何だか、おんもしろい体験だよ」と友人に語ったという。(レナード ムロディナウ著『ファインマンさん 最後の授業』P232)

 それがどの程度本音で、どの程度強がりであったのかは知る由もないが、少なくとも彼は人生の最後の瞬間まで、楽しむことを忘れなかったにちがいないと筆者は思っている。

 『ペンギン・ハイウェイ』は全編にわたって、謎に挑むことの楽しさが詰め込まれている。ペンギンは結局なんなのか、海は結局なんだったのか、お姉さんは何者だったのか。この映画は多くの謎を残していくのに、消化不良だとまるで感じさせない。なぜなら、映画自体が、「わからないなら自分で探求してみればいいじゃない」と背中を押してくるからだ。

 この映画を観ると勉強したくなる、冒険したくなる。最高の教育映画であり、最高の冒険映画だ。少々大げさに聞こえるかもしれないが、この映画には人類を前進させてきた根源が描かれている。世界は謎だらけだ、だから僕たちの人生は楽しいのだ。(杉本穂高)