キム・ギドクが『人間の時間』に込めた思い 「大切なのはありのままの存在を認めること」
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『アリラン』『うつせみ』『サマリア』『嘆きのピエタ』など、世界の映画祭で数々の賞に輝く作品を送り出してきた映画界の異端児キム・ギドク。難解なキャラクター、斬新な画面構成、容赦ない暴力性を孕んだ作品は、唯一無二のものとして高く評価されてきた。
しかし、その過激さは作品外にも及ぶ。2017年には『メビウス』(2013年)を途中降板した“女優A”がキム・ギドクを告訴していたことが発覚し、ほかの女優からの告発も続いた。性的暴行疑惑により、最新作『人間の時間』は本国では上映されていない。
本インタビューは、「監督の映画・作品についてのみ」という事前の通告もあり、『人間の時間』に関することのみを聞いている。
舞台は、休暇へと向かう人々を乗せた退役した軍艦。有名議員、ギャング、学生、カップル、娼婦、賭博師、さまざまな立場の人間たちがいる船は、荒れ狂う暴力と欲望の夜を経て、海上から未知の空間へ。サバイバル状態となった船の中では、人間の本能が次々とあぶり出され、悲劇的展開へと突入していく。
「人間を憎むのをやめるためにこの映画を作った」と語るキム・ギドクは、本作にどんな思いを込めたのか。※一部結末に触れます。
●人間の本能は「生きること」を選ぶ
ーーオダギリジョーさんにインタビューした際、キム・ギドク監督のことを“親友”と彼は話していました。『悲夢』では監督と主演俳優という形で一緒に作品を作っていますが、あなたにとってオダギリさんはどんな存在なのでしょうか?
キム・ギドク:オダギリさんとは『悲夢』でご一緒して以来、大変仲良くさせていただいています。私が日本に訪れた際には必ず会いますし、オダギリさんが韓国まで来てくれたこともありました。映画への向き合い方、ものづくりへの姿勢など、オダギリさんから本当にたくさんのことを学ばせてもらっています。また、熱いお茶と焼酎を混ぜて呑むというお酒の飲み方も教えてもらいました(笑)。映画に関する真剣なお話はもちろん、お酒を飲んで他愛もないことを話すこともできる、本当に良き友です。
ーーそんなオダギリさんが本作では、主人公・イヴを演じる藤井美菜さんの恋人役を演じています。乗客たちは大小さまざまな“罪”を犯していきますが、唯一の“善人”と言えるのがオダギリさんの役と言えます。彼をこの役に抜擢した理由は?
キム・ギドク:実はオダギリさんには、『嘆きのピエタ』に出演していただく予定だったんです。でも、さまざな事情で実現することができませんでした。オダギリさんからは「役の大小に関わらず出演させてください」と連絡をいただいていたので、本作のシナリオが出来上がったときにダメ元で送ってみたんです。そうしたら快く返事をくれました。確かに、オダギリさんが乗客の中で最も良心を持った人物でありました。ただ、“罪”の有無を意識して乗客たちを作っていったわけではありません。私がイメージしていたのは、彼らは皆、“動物”だということです。罪を犯したから裁かれるわけではなく、良心を持っていても裁かれてしまうこともある。人間の倫理観を越えた、自然の理不尽な側面を本作では描きたいと思っていました。本作の物語を推進していく上で、オダギリさんの役は非常に大切であり、見事にその責務を果たしてくれたと思っています。この場を借りて、改めてお礼を申し上げます。
ーーある人物の死をきっかけに、船は海から不思議な空間へと移動します。閉鎖された空間を舞台にするという点では、無人島など他の設定もあったかと思うのですが、あえて退役した軍艦を選んだ理由は?
キム・ギドク:“人間の歴史”という、非常に大きな物語を本作では描く必要がありました。当然ながら予算の問題もありますから、広大な場所でロケ撮影をするには限界があります。そこで思いついたのが、戦争で使用されていた軍艦でした。過去に戦争に使われた兵器ということは、人間の生死がそこには詰まっているわけです。その意味において、人類の歴史を描く上で適切であると考えました。
ーー船が特殊空間を彷徨うことになり、船内では人間たちのむき出しの本能がぶつかり合っていきます。悲惨な状況の中、ひとりも自ら「死」という選択を選ばず、あくまで「生」に固執し続ける姿が印象的でした。
キム・ギドク:私の考えでは、死の恐怖にさらされた場合、死が目前に迫った場合、むしろ人間の本能は「生きること」を選ぶと思っています。そして、「もっと生きたい」という意志が強くなっていくのではないかと。なので、本作では自死を選ぶキャラクターはまったく想像しませんでした。
●大切なのはありのままの存在を認めること
ーー政治家(イ・ソンジェ)、ギャング(リュ・スンボム)が中心となり、船内を牛耳っていきます。単純な腕力だけで言えば、最初からギャングがすべてを支配下に置くこともできたと思うのですが、彼が従う政治家を登場させた意図は?
キム・ギドク:シンプルに考えれば、ギャングが最初からすべてを支配下に置くことはできました。ただ、私たちが生きるこの世界がそうであるように、傲慢な支配者には暴力のほかに、権力も備わっています。本当に恐いのは暴力だけではありません。多かれ少なかれ、権力には暴力を駆使しながら動く構造があるということを、本作を通して見せたかったのです。
ーーそして、チャン・グンソクさんが演じた政治家の息子・アダムは、善人のように見えて、誰よりもずるく弱いです。ある種、一番観客に近い存在のように感じました。一方で、藤井美菜さん演じる本作の主人公・イヴはどんどん“強さ”を得ていきます。
キム・ギドク:おっしゃるとおりです。イヴのひたむきな強さを見せたいと思っていたこともあり、アダムの弱さと対照的に描きました。「強い意志を持った者が命を繋いでいく」という本作のテーマを、藤井さんは見事に体現してくれました。チャン・グンソクさんがしっかりと弱さを見せてくれたことによって、彼女の強さをより際立たせることができました。
ーー『うつせみ』では、“透明”になることによって、人間の争いから離れる、というある種の諦めがあったように感じます。しかし、本作からは、人間はぶつかり合うことによってひとつ先に進むというメッセージを感じました。映画を撮り続けていく中で、人間に対する考え方の変化があったのでしょうか?
キム・ギドク:25年間映画を撮り続けていく中で、たくさんの人と出会い、さまざまな事件と出会い、さまざまな経験をしてきました。ある時期には、どうしても人間に対する不信感を覚えたり、憎悪の気持ちを持ってしまうことがありました。それでも、ずっと映画を撮り続けていく中で、「蛇は蛇である、鳥は鳥である、鶏は鶏である」ということを悟ったんです。以前は、「蛇も羊になれる、犬もうさぎになれる」という、誰でも“変化できる”“変化してくれる”という考えがありました。でも、大切なのはありのままの存在を認めること、それによって問題がなくなるということを知りました。この思いは、本作を作るきっかけのひとつとなっていきます。本作を通して、“人間とは何か”ということを観客の皆さんにも自問自答していただければと思います。
(取材・文=石井達也)