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竹中夏海が語る、ダンスのルーツとアイドルの振付に惹かれた理由

音楽

ニュース

リアルサウンド

 J-POPシーンの最前線で活躍する振付師にスポットを当て、そのルーツや振付の矜持をインタビューで紐解いていく連載「振付から紐解くJ-POPの現在地」。第7回となる今回は、アイドルのMVから広告CMまで幅広く振付を担当する竹中夏海に取材した。前編となる本稿では、自身のHPに“公私共にアイドルに特化したコレオグラファー”と紹介されている彼女のルーツやキャリアを改めて振り返るとともに、最近振付を担当した作品を例に彼女が振付師として大事にする「アーティストとのコミュニケーション」についても語ってもらった。(編集部)

■連載「振付から紐解くJ-POPの現在地」インデックス
第1回:s**tkingz
第2回:TAKAHIRO 前編後編
第3回:辻本知彦
第4回:YOSHIE
第5回:リア・キム
第6回:akane

大学生の頃にはすでに振付師志望「お客さんを巻き込む形の振付がしたい」

ーー昨今はいろんな振付師の方が活躍されていますが、その中でも竹中さんは活動が幅広くて独特な印象があります。ご自身の著作や連載などでも書かれているとは思いますが、改めてダンスに触れたきっかけを教えてください。

竹中:5歳のときに地元でモダンバレエ、コンテンポラリーダンスを始めたのが最初です。一人っ子なので習い事をたくさんさせてもらっていて、その中にオールジャンルのダンスが学べる児童劇団というのがありました。そこでいろいろ習いつつ、小学校4年生の終わりに当時セーラームーンが好きだったので、関連のオーディションを受けたんです。申込書類の内容も確認せずに「おもちゃのCMかな?」くらいの感覚で申し込んだら、セーラームーンのミュージカルのちびうさ役に受かったんです。Wキャストだったのでもう1人、ちびうさ役の子がいたんですが、その子がミュージカルに出たことがあって場慣れしているのに対して、私は初めての芸能活動だったので、何もできなくて……。そのとき子どもなりに自分のアイデンティティというか、自分の居場所について考える時間があったんです。アンサンブルの人たちと一緒にちびっこダンサーとして出たりもしたんですが、「居場所を見つけた!」と思ったのが“森のウサギザル”という役で踊ったときでした。架空の動物でちびうさ役より自由度が高かったこともあって、すごく楽しく踊っていた記憶があります。

ーー振付師になろうと考えたのはいつくらいからですか?

竹中:これは中学1年生のときの話ですが、うちの祖父が小さな会社を経営していて、社員旅行・親戚旅行がてら、毎年夏に草津温泉に行っていたんです。20人ほどの大人数だったので、カラオケ用のステージがある大広間でご飯を食べるんですよ。緞帳もちゃんとついていたので、子どものころからその空間を何かに使えないかとずっと思っていたんです。それで、夏の旅行に向けて春くらいから子どもを3人くらい集めて、振付を仕込んで。当日は私が持っている衣装を皆で着て「みなさん、今からご飯の合間に踊るので見てください!」という感じで、発表会もどきのステージを披露したんです。そのタイミングでは完全に、私が振りを付ける側でした。当時からもう振付師思考というか、自分が人前で踊りたいという感覚はなかったですね。中学2年生の頃には部活で20人くらいの後輩たちを1軍と2軍に分けてみたり、2軍の子を急に1軍に抜擢してみたり、その中でユニットを作ってみたり……今思うと、つんく♂さんみたいなことをしていたというか。

ーーただダンスや振りを教えるのではなく、チームをプロデュースするような。

竹中:そうですね、それが1997~1998年くらいです。当時は振付師という仕事をあまりわかっていなかったのですが「こういうことがやりたい」とは強く思っていて。その段階ではミュージカルでジャズを学んでいて、当時通っていたバレエ教室はクラシック基礎のモダンバレエ教室でしたが、後々コンテンポラリーも学べるようなところでした。高校で新体操部に入って、それと同時にバトン部(のちのチアダンス)も手伝っていました。まだ「チアダンス」という言葉がなかった時代ですね。そんな創成期にチアダンス部に入って、そこではヒップホップジャズみたいなものを踊って。そのときは人数も足りなかったので私も踊ったんですけれども、自分で踊るとなると振りが客観視できないので、振付に徹したいなと思いながらやっていました。そこから進学して、日本女子体育大学の舞踊学を専攻しました。

ーー女優の土屋太鳳さんや、以前このコーナーに登場していただいた登美丘高校ダンス部コーチのakaneさんの先輩にあたるわけですね。

竹中:akaneちゃんにはダンサーをお願いしたこともあって、交流はありましたね。大学に入学する段階で「振付師になりたい」というのは決めていて、ただジャンルには悩んでいました。広く浅くいろんなジャンルを踊ってきましたが、それほど夢中になれるものがなかったので、それを大学で決めようと考えていたんです。ヒップホップから日舞、スペイン舞踊、タップなどクラシカルなものまで日々練習はしていたんですが、いまいちピンとくるジャンルがないまま2007年に卒業を迎えてしまって。ただ消去法で「アート寄りのダンスよりもエンタメ寄りのものがしたい」「お客さんを巻き込む形の振付がしたい」とか、ぼんやりと形は見えていました。自分のイメージに一番近いものが、当時はキャラクターが振りをレクチャーしてみんなで踊ったりするテーマパークダンスだったんです。ただそれだと、私のイメージしていたものよりちょっと健康的すぎるというか……踊り手の欠点にもなり得るところをチャームポイントとしてみんなで認めてあげるようなことがやりたいなというのが、何となくありました。

ーーハロー!プロジェクト(以下、ハロプロ)にハマったのはその頃ですか?

竹中:そうですね、2007年末の『第58回NHK紅白歌合戦』の企画の中でBerryz工房と℃-uteが出ていたんです。そこでBerryz工房の「付き合ってるのに片思い」にハマって。楽曲そのものも大好きだったんですが、MVを見ながら「そういえばアイドルの振付ってお客さんが一緒に踊るんじゃなかったっけ?」「アイドル=その子の個性をすごく認めてあげるという文化だな」と気づいて、私が目指すべきはアイドルの振付じゃないか? と。

ーーそこで固まったんですね。

竹中:当時女性アイドルと言えば始まったばかりのAKB48やハロプロが代表的でしたが、そこはすでに先生がいらっしゃるはずなので、新しく立ち上がるプロジェクトなら自分が振りをつけられる可能性があるのでは? と思ったんです。そこでいくつか自分で問い合わせていい反応をいただいたのが、ぱすぽ☆(のちのPASSPO☆)でした。当初はダンスレッスンを受け持つことからスタートして、オリジナル曲が1曲できるたびに続けて振付のお話をいただくようになって。

chelmico、末吉9太郎、エビ中……作品から紐解く“見せ方”

ーー竹中さんが活動を始められた当時より、今は振付師という仕事がクローズアップされる機会が増えていますが、ご自身がプレイヤーとして出たいと思ったことはなかったですか?

竹中:先ほどお話したように、中学生くらいの段階ですでに振付師思考だったので、(プレイヤーになる考えは)全くなかったです。子役としての短い活動期間の中でもお芝居は確かに楽しかった記憶があるので「何がそんなに違うのかな?」と考えたときに、演者や踊り手としての自分に興味がないんだということに気づきました。お芝居の何が楽しかったかというと、自分が演じるけれども、自分ではないその役について考えることだったんですよ。自分が演じる役が、どんなテレビ番組やご飯が好きで、家族構成はこうで……といったことをあれこれ考えるのが楽しくて好きだったんです。でも踊りとなると役はつくこともあるけれども、基本は自分自身で踊らなければいけない。そうなったときに、全然興味が沸かなかったんです。今もアイドルや演者さんの「この人がどういうふうに動いたら魅力的に映るだろう?」ということをあれやこれやと考えるほうが好きなので、自分でプレイヤーになろうとは思わないんですよね。

ーーなるほど。ここから、竹中さんが手がけた中での最近の作品を例に、振付について解説をお願いできればと思います。chelmicoとスポーツクラブ・JOYFITのコラボ曲「Limit」はかなりシュールで面白いですね。

chelmico × JOYFIT コラボソング「Limit」

竹中:本格的なフィットネス、視覚的な面白さ、chelmicoの曲の歌い出しで2人がだるそうに〈張り切っていけません〉と歌う部分など、そのギャップを強調できるような振付にしました。ダンサーの方々には「目尻を下げる笑顔ではなく、眉毛を上げる感じの笑顔でやりましょう!」とお願いして。ダンスの要素とフィットネスの動きのバランスが取れるような仕上がりを目指しました。

【メイキング映像】chelmico「Limit」JOYFITコラボソング

ーー最近は末吉9太郎さん(CUBERS)の「顔面国宝!それなー」も振付を担当しています。アイドルに詳しい9太郎さんと竹中さんならではの振付だと思いましたが、ご本人の希望などはあったんでしょうか?

末吉9太郎(よしえ)「顔面国宝!それなー」MUSIC VIDEO

竹中:9太郎くんは根っからのアイドル気質な人で、「僕は演者に徹するので、お任せします!」というスタンスを持っている子なのかなと感じました。私はどちらかというと踊り手さんができないことがあれば、踊りやすいように調整していくタイプなんですけれども、9太郎くんは「言われたことを全力で再現します」というスタンスでしたね。彼が公開している動画の中で“2ショットのポーズ指定ができなくなって文句を言うオタク”というのがあって「え、もうごんぎつねの髪飾りポーズできなくなるの?」みたいなことを言っているのがあったんです。それがすごく面白かったので〈距離近めのツーショ〉という歌詞のところで、「ここ、ごんぎつねの髪飾りポーズにする?」と聞いて「入れたいです!」みたいに希望を言ってもらうことはありましたが、他は振付したものを全力で踊ってくれました。

ーーそこは竹中さんに対する信頼感というのがすごくあったのではないかと。彼もすごくアイドルを研究していますよね。

竹中:すごく気が合うんですよね。昨年の夏に初めて彼が所属するCUBERSの振付をさせてもらったときに「男の子のアイドルはそんなに担当したことないし、大丈夫かな」と思ったんですが、9太郎くんがいてくれたから、あまり難しく考えることなくできました。私も彼もオタクなので、まず人との距離の取り方が全然近くないんですよ(笑)。人との絶妙な距離の取り方や頭の回転の速さがすごいなと思っていて、今回ソロの作品でまた一緒に組めたのも嬉しかったです。すごく努力家でどんどん踊れるようになるのでレッスンも楽しかったですし。

ーー9太郎さんはアイドルそのものにも詳しいけれど、恐ろしくドルヲタの生態を捉えていて。

竹中:たとえばイントロはこういう気持ちで、Aメロはこういう気持ちで、と説明しながら「1サビ2サビとラスサビは、同じ笑顔だったとしても違う笑顔だと思う」といった表情のことまで普段から話すようにしているのですがこの曲ではそういうレベルではなく、9太郎くんの表現力に合わせてかなり細かく表情も付けました。1サビ終わりからAメロに入るまでのリイントロの振付でも、オタクのセンサーが「次の推せるアイドルは誰かな?」と探していて「見つけた!」という流れを考えて、無表情から笑顔まで、メリハリを付けてもらいました。

ーーあと最近のお仕事でインパクトがあったのが私立恵比寿中学(以下、エビ中)の「オメカシ・フィーバー」です。今回が初コラボでロックダンスの動きなどが盛り込まれた振りですが、どういう流れで生まれたんですか?

私立恵比寿中学 『オメカシ・フィーバー』コール練習動画

竹中:あの曲は、私も普段から仲の良い児玉雨子ちゃんが作詞を担当しているんですが、雨ちゃんの歌詞は“自動振付機”のようで、言葉を追えば振りが勝手にできていく感じなんです。それくらい歌詞が動きにしやすいというか、普段使っていない、怠けている脳細胞を刺激される感じがするんです。イントロのところなどはただロックダンスをやっても面白みがないので、女の子がコンパクトを持ってパタパタとメイクをしている動きなんかを取り入れました。例えば〈「誰も見てないよ」ってふたり近づいて いや待って リップ全落ち 終了ーー〉のところも、2人がミュージカルみたいな感じで近づくところからシンプルに歌詞を追って動きを表現しました。

ーーあの曲はセンターが中山莉子さんですね。彼女のソロパートのテンションが突き抜けていて、また面白かったんですけれども。

竹中:年末に開催した幕張メッセ公演を観させていただいたときに、すごくライブで化ける子なんだと知って、一気にファンになりました。彼女のライブで発するエネルギーと、エネルギッシュな楽曲が合わさったことがとてもよかったと思います。

ーー全体の振り入れはスムーズに進んだんですか?

竹中:そうですね、ほぼ丸1日で終わりました。エビ中ちゃんのすごいところは、表現力が技術を追い抜いた状態になっていたことです。劇的にコミカルに仕上げてくるというか、本当にテレビで見たことのあるエビ中ちゃんに仕上がった! と思いました。振りを入れている最中はけっこう基礎的な部分からゆっくり一つ一つ教えていたのに、いざ踊り始めると、動きの処理の仕方やちょっとした表情のつけ方がちゃんとコミカルになるんです。それでいて、シリアスなものはすごくシリアスにできる子たちですし。10年近く活動していても感覚がすごくフレッシュで、どこかけなげな感じもあって、それも驚きでした。

【後編へ続く】