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ぴあ 総合TOP > 韓国文学の異端児 パク・ミンギュの面白さとは? 翻訳家・斎藤真理子×岸本佐知子 対談

韓国文学の異端児 パク・ミンギュの面白さとは? 翻訳家・斎藤真理子×岸本佐知子 対談

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 韓国の文学賞を総なめしている作家パク・ミンギュ。日本でも2014年に発売された短編集『カステラ』(韓国発売2005年)で、訳者である斎藤真理子が日本翻訳大賞を受賞し話題となった。以後コンスタントに長編小説が翻訳されていたが、昨年11月に短編集『短篇集ダブル サイドA』『短篇集ダブル サイドB』(筑摩書房)が同時発売された。心揺さぶられるリアリズム作品から、常軌を逸したSF作品まで2巻合計で17作品にも及ぶ短編小説が収められている。

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 その発売を記念して、同書の翻訳も手がけた斎藤真理子と、野間文芸翻訳賞や日本翻訳大賞の選考委員を務め自身も翻訳家である岸本佐知子とのトークイベントが1月28日、東京都渋谷区の青山ブックセンターで行われた。

 「韓国文学の異端児?!パク・ミンギュから翻訳文学を語り尽くす!」をテーマに繰り広げられた2人の対談は、パク・ミンギュ作品に止まらず、岸本が翻訳したジョージ・ソーンダーズ『十二月の十日』や、韓国で人気の海外文学、そして韓国社会の今など様々に展開された。リアルサウンドブックでは今回、その対談の内容を抜粋して掲載する。(編集部)

■パク・ミンギュが描く韓国社会

 斎藤真理子はプロレスマスクを、岸本佐知子はマントを羽織っての登場で、会場は笑いとどよめきに包まれた。

斎藤:旧正月あけましておめでとうございます(笑)! 今日はパク・ミンギュさんが送ってくださいましたプロレスマスクを着用しております。岸本先生に着ていただきましたマントもパクさんからの贈り物です。『ダブル』の原書の表紙で、ご本人がプロレスのマスクをかぶっていますので、翻訳をしてくれてありがとうということで私の元にも手紙と一緒にマスクとマントが送られてきました(笑)。『ダブル』は2冊合わせたら600ページぐらいありますし、読むのが大変だったでしょう?

岸本:あっという間でしたよ。前の短編集『カステラ』はかなりポップで飛び道具多めでしたが、『ダブル SIDE A(以下:SIDE A)』の最初の2編は超リアリズムで、「パクさん、こんなの書くんだ」ってちょっとびっくりしました。パクさんは球種が豊富ですね。

斎藤:『カステラ』は韓国のマジックリアリズムと受け止めた方が多いと思うんです。日常から地続きでふと変な世界に行く。今作の『ダブル』では日常の話は日常の話、ぶっ飛んでいるものは最初からSFと二層に分かれています。

岸本:それに『カステラ』の時は、若者の閉塞感とか生きづらさを描いたような作品が多かったんですが、『ダブル』では老いとか死が描かれている。ただ『カステラ』と『ダブル』で共通しているところもあって、それは“うまくいってる人”があまり出てこないところです。社会からはみ出ちゃったような人とか、立ち行かなくなった人々への寄り添うような感じは変わってないですね。

斎藤:変わってないです。韓国の格差の上層にいて、うまくいってるのは本当にごく一部です。パクさんが描いているような人は必ずしも少数派ではなくて、韓国で厚みのある層なんです。

岸本:韓国は日本よりも格差がありますか?

斎藤:IMF危機で格差が拡がったという風に言われていて、その後もどんどん開いているように感じます。例えば『ダブル SIDE B(以下:SIDE B)』に「ビーチ・ボーイズ」という大学生くらいの男の子たちの話があるんですが、あの作品を書いてた(2005年)頃よりも今の方が、この年代の子達は苦しい状況に置かれていると思うとパクさんもおっしゃっています。もちろん中年も大変ですよね、子供の教育費とか……。

岸本:お隣の国だから感覚が近いところもあるけれども、違うところもあって、特に子供にかかるお金ですね。親のお金が子供の将来をすごく左右するから。

斎藤:親に資産があると準備されたレールを行けるけど、ない人はレースにすら参加できない。あらかじめ「君の分のチケットはないよ」って言われちゃうしんどさがあります。

岸本:そういう意味では、行き詰まり感みたいなものは韓国の若者の方がきついかもしれませんね。

斎藤:そうですね。きついと思います。

岸本:それと韓国文学を読んでいると、必ず不動産問題が出てきます。

斎藤:必ず。これも“チョンセ”(※『SIDE B』p.277解説)という韓国独特の不動産システムが関係しています。あと親の世代が子供達にどう不動産を分け与えるかという、その辺りのやりくりには実はもっと入り組んだ事情があって、とても解説で書ききれないんです。「どういうところが再開発で発展する街になりそうか」を見極め、「どういう物件を押さえておいたらその後お金になるか」を考え、「子供に分け与える時はどうするか」ってすごいリアルな話ですよ。

岸本:もちろん日本でも子供にいいものを残してあげたいとか、いい不動産を買いたいとかはあるけれど、韓国ではそれが子供の一生を左右する問題なんですよね。「ディルドがわが家を守ってくれました」(『SIDE B』収載)でも、サラリーマンをクビになったおじさんが「あの時マンションさえ買っておけば」って何度も言っています。

斎藤:この作品は韓国のここ20年の一つの典型のような話です。車を売っているサラリーマンが車が売れなくなって、非正規雇用になってしまうんです。

岸本:この作品、途中まで立ち行かなくなった人の悲哀溢れる話だったのに、急に火星に行くんですよね(笑)。そういうユーモアもあって、『カステラ』に近いと感じました。私、A,B通じてこの話がいちばん好きかも。

斎藤:そうですね。一番笑える話じゃないかな。物語の階段をこういう風に2~3段飛び越えるのって、小説家の方がとても苦労するところだと思うんですけど、それを見事に跨いでます。次元を超えて移動しているのに地続きという表現が人間の脳はできるわけで、そのことをごく普通に書いてるのがすごいですよね。……ダメだ目が痒くなってきちゃった。

岸本:マスク取っていいですよ? 斎藤さんがマスクを脱いだら私もマント脱ぐので。

斎藤:じゃあやめよっか。(外したマスクを見ながら)岸本さん、この顔を見て話してたんだね、すごい(笑)。

岸本:あんまり違和感なかったけど、蒸れないかなってずっと心配してた(笑)。

斎藤:ところで『パラサイト』見ました? 私まだなんです(※イベント時)。

岸本:私もまだです。でも斎藤さんは、当然見たかのように言われるでしょう(笑)。

斎藤:『パラサイト』見ないと韓国の話できないみたい(笑)。今度締め切りが終わったら見たいと思います。

■翻訳の面白さと苦労

岸本:『完全版 韓国・フェミニズム・日本』という斎藤さんが監修された本についている用語集がむちゃくちゃ重宝するんですよ。“チョンセ”についても丁寧に解説されているし、これを読んでから『パラサイト』を見るとすごくいいってTwitterでどなたか仰ってました。『ダブル』でも、あとがきで斎藤さんが全作品の解説をしてくださっているんですが、これでどれだけ助かったか。解説を読んで知ったんですが、この短編集は一編一編、誰かに宛てて書いているんですよね?

斎藤:『ダブル』について韓国では、イラスト入りの別バージョン豪華本が出たんですが、そこにそれぞれの短編を誰に宛てたかっていう短い説明が書いてありました。豪華本にしか書かれていないので、韓国の読者でも知らない人は多いと思います。

岸本:「羊を創ったあの方が、君を創ったその方か?」(『SIDE A』収載)に「ゴ」と「ド」っていう人が出てくるんですけど、解説を読んだらそれはゴドーなんですよ。この作品は『ゴドーを待ちながら』を書いたサミュエル・ベケットに捧げてる。

斎藤:訳していてもそんなの絶対分からないですよ。

岸本:やっぱり分からなかったですか?

斎藤:何度かのメールでのやりとりの最後に「これは何かを待ってる物語で、ゴドーを想いながら書いたからこういう名前になりました」ってサラッて書いてあって(笑)。

岸本:なんでそんなすっごい大事なことを最後まで言わないの(笑)! 知らずに読んでも楽しめたけれども、やっぱりゴドーっていう補助線を引いてもらった方が作品をより深く味わえると私は思います。

斎藤:特に海外の著者が書いたものは、読むときに補助線がすごく有効なんですよね。必須というよりは有効なんですよ。なくても読めるけど、あったほうが圧倒的にいい。でもパクさんは、知ってても知らなくても構わないというスタンスですね。それに韓国の読者って、物語の背景設定とか裏話にそれほど興味がないような気がします。著者のプライバシーとか、裏話、小ネタ、小技的なこと我々は大好きじゃないですか。韓国の読者はそこにそんなに関心ないみたいです。

岸本:ええ、そうなんだ。日本の読者は、あとがきがある分すごく得してると思います。

斎藤:ありがとうございます。それまでは「コ」と訳していたんだけど、全部「ゴ」に直しました。

岸本:韓国語ではゴドーは、コドーなんですか?

斎藤:濁音の原則が日本とちょっと違っていて、コとゴはあんまり区別しないんです。そのまま訳すとコになっちゃう。

岸本:なるほど。私は韓国語分かりませんけれども、パクさんの韓国語はどんな感じなんですか?

斎藤:すっごい変な韓国語だと思います。ちょっとズラした言い方をしたり、副詞や接続詞がおかしかったりする。でもちゃんとしてるところはちゃんとしてるんですよ。老大家みたいに書けって言われたら書けるし、文体模写はものすごくうまいと思います。わざとズラしてると思うんですよね。

岸本:翻訳でも“変さ”が出ていて凄いです。

斎藤:それ、変じゃないところが変になってないですか(笑)?

岸本:翻訳者の永遠の問題ですよね(笑)。変な文章だからって変に訳すと、翻訳が下手だと思われる問題。

斎藤:岸本さんの訳されたジョージ・ソーンダーズの短編集『十二月の十日』でも、色々工夫されてますよね?

岸本:そうなんです。特に困ったのが「わが騎士道、轟沈せり」という一編です。“中世テーマパーク”に勤めている若者の話なんですけど、テーマパークに勤める騎士役の人は、考え方も振る舞いも言葉も騎士みたいになるという薬を飲むんです。主人公もその薬を飲んで、徐々に言葉が騎士っぽくなる。その様子を書くのがほんとに難しかった。

斎藤:話の中で人物の言葉遣いが徐々に変わっていくものの翻訳は難しいですよね。「グッバイ、ツェッペリン」(『SIDE A』収載)も大変でした。最初は若い人が自分より年上の人を超バカにしているんだけど、徐々に兄貴と尊敬するようになっていくんですよ。それを韓国語では呼び方の変化で表しているんですが、日本語だとなかなかうまくいかなかったんです。

岸本:韓国では一歳でも年が上だと敬語で、お父さんと息子でも敬語で会話しますよね?

斎藤:原則的に韓国では親には敬語を使うんですけど、親子関係とか家庭環境によって使わない場合もあります。でも基本的に言語の上では、お父さんはお父様。例えば日本だと「このクソ親父!」ですけど、韓国だと「このクソお父様め!」みたいに読めるんです(笑)。

岸本:両方の言語が出来る人にだけ与えられた楽しみですね。

斎藤:段々言葉遣いが変わっていったりとかそういう描写は訳すのは大変ですが、読むのはすごく面白いです。

岸本:「<自伝小説>サッカーも得意です」(『SIDE A』収載)の主人公はマリリン・モンローですけど、主語は「僕」ですね。

斎藤:それも大変だったんです。一人称は「ナ」っていう英語の「I」なんですけど、「ナ」は男か女かどっちか分からない。韓国では「ナ」のままでいいけど、日本語はそうはいかないでしょう。「僕」にするのか「私」にするのか、最後まで迷いました。

岸本:「僕」にしてよかったんじゃないですか。違和感がいい感じで仕事をしています。

斎藤:ありがとうございます。違和感を全部消しちゃっても変ですもんね。

岸本:どの言語でも翻訳家あるあるだけれども、違和感をどの程度残すかっていうのはありますね。

斎藤:そうなんですよね。

■『ダブル』の受け入れられ方

岸本:『ダブル』では、どの作品が日本の読者の方に受けていますか?

斎藤:私が聞いたのでは「グッバイ、ツェッペリン」は人気がありますね。それから「近所」。

岸本:「近所」クソうまいですよね(笑)。

斎藤:リアリズムの名短編という感じで、クソうまいです(笑)。

岸本:同じくリアリズムの「黄色い河に一そうの舟」は?

斎藤:これもとても評判が良くて、韓国では演劇になって賞を貰ったりもしてるんです。パク・ミンギュはそれまで奇想天外なものを書いていた感じだったけど、この作品はしっとり落ち着いた大人の作品ですね。「ルディ」という不条理ホラーみたいな作品も印象深いようです。

岸本:これ「善人はなかなかいない」というフラナリー・オコナーの作品を思い出しました。なんの理由もない暴力がそこにある。

斎藤:象徴的な短編で、資本主義そのものが主人公みたいな読み方をしている方もいます。そして本人には伺ってないですが、『SIDE B』のラストに「膝」を持ってきたのは強い意志があったんじゃないかと思います。今の北朝鮮に属する土地の一万年前を舞台にしている小説です。

岸本:お父様が北朝鮮のご出身なんですよね?

斎藤:そうなんです。お祖父さんが子供だったお父さんを連れて、朝鮮戦争の時に南に逃げてきたんですね。その逃げる前に住んでいた地域を舞台にしてる。自分の両親、父方の人々がまだ戻れていない場所、その地域の一万年前という歴史の深いところまで大きく撹拌して書いてるんです。韓国という枠を超えた小説になっていて、パクさんらしいスケールが大きな小説になっています。

岸本:すごいなと思ったのは、この描写力です。本当に洞窟に住んで皮の服を着て、石の武器を持ってマンモスと戦っているような気持ちになります。ジャック・ロンドンみたいに、寒い、ひもじい、痛い。迫真でした。「膝」っていうタイトルがまた、読み終わって「く~」ってなりました。

斎藤:まさに「く~」です。岸本さんが一番好きだった作品はどれですか?

岸本:ほんとに全部好きだったんだけれども……。『SIDE A』でいうと、「近所」も好きでしたし、「羊を創ったあの方が、君を創ったその方か?」も異形すぎて忘れられない。「グッバイ、ツェッペリン」は切なくもあり、青春的でもあり。『SIDEB』ではさっき言った「ディルドがわが家を守ってくれました」が大好きですね。パクさんの作品はどれもそうなんだけど、立ち行かない辛い状況を書いていてもどこか“抜け感”がありますよね。超絶ガチSFみたいなのもありましたね。

斎藤:「深」ですね、あれは海洋SFというか……。

岸本:読み終わってみたらそんなに長い話じゃないのに、世界観がむちゃくちゃ壮大で。

斎藤:ほんとに。水圧の高いところに抑え付けられて一気に手を離されたっていう感じで読み終えるので、校正する度に疲れていました(笑)。

岸本:短編集ってただでさえ一個の話が終わったら次の話は全然違う設定で、頭をリセットしなくちゃいけないから、じつは意外と疲れますよね。

■ジョージ・ソーンダーズとパク・ミンギュの共通性

斎藤:岸本さんの訳されたジョージ・ソーンダーズの短編集『十二月の十日』にも、パクさんの作品と共通するものを感じました。

岸本:私も感じました。食い詰めた人たちを書かせるとソーンダーズは本当にうまいんですけれども、パクさんの『SIDE B』最後4作も“食い詰め4部作”と呼びたいような感じです。二人に共通してるのは、そういう食い詰めた人たちに寄り添っていることではないでしょうか。そういう人たちに不幸になってほしくないという、祈りみたいなものを感じます。「星」(『SIDE B』収載)のセリフで「誰かのそばに神がいないなら……人間でもいいから、いてやらなくてはならない」、すごく染みました。シュチュエーションも本当にすごくて、パク・ミンギュさんの本質的な優しさというか、人間に対するあたたかな眼差しを感じられました。

斎藤:あそこは直球ですよね。パクさんって、マイノリティーに優しい作家とか、マイノリティーのことを描きますよね? とか言われると、「そもそも人間がマイノリティーなのではないでしょうか」って答えるんです。

岸本:それはすごい言葉ですね。

斎藤:ソーンダーズの「子犬」(『十二月の十日』収載)を読んで、親の気持ちを分かってる書き手だなと思いました。子供というものの厄介さと、それを見届ける責任感を持ちきれない感じとかすごいよく出ていて、本当に観察眼がするどい人だなと。ソーンダーズにも“抜け感”があって、“抜け感”に作家の個性が出る気がします。

岸本:抜けはパクさんの方が綺麗な気がします。ソーンダーズはバカっぽさを出すためには芸術性を平気で犠牲にするようなところがあるので。

斎藤:それはその作家の生きる社会全体の洗練と関係があると思いますよ。パクさんの育った社会の方が、ソーンダーズの育った社会に比べて大変な時代だったと思うので。善悪がもう少しくっきり、エッジが立っているんじゃないのかな。

岸本:韓国の読者に翻訳小説というのはどのくらい読まれてるんですか?

斎藤:日本とほとんど同じように読まれている感じです。ソーンダーズは韓国でも4~5冊出てます。それと、日本ではあまり出ていないのに韓国ではたくさん出ている作家にジェームズ・ソルターっていう作家がいます。

岸本:韓国ではジェームズ・ソルターがたくさん出てるんですよね?

斉藤:はい。最近刊行されたイ・ギホという作家の『誰にでも親切な教会のお兄さんカン・ミノ』っていう短編集の最初に出ている短編に、ジェームズ・ソルターを読んでいる人が登場するんですが、作家に聞いたら「それはちょっと文学にうるさいっていう記号」なんですって。それで気になってソルターの小説を探したら、日本では岸本さんがアンソロジーに入れた2作しか読めなくて、単著は出てないんですよね。

岸本:ないんです。

斎藤:岸本さんが編まれた『楽しい夜』という短編集に、表題作ともう一作入ってるんですけど、その表題作がね、苦いんだ。

岸本:全然“楽しく”ない。チョコレートで言えばカカオ99%の激ニガ。

斎藤:苦いけど雑味がないからスッキリしていて、これが韓国で人気だって言うのはなんとなくわかる気がしました。

岸本:なるほど。韓国ではパクさんより下の世代の作家もどんどん出てきてるんですよね?

斎藤:いい感じにマッチョを捨てた人たちが出てきています。パクさんも、もう50代前半くらいだから結構なおじさんで、マッチョな時代に大人になってその中をサバイブしてきた人なんですけど、マッチョじゃないんです。

岸本:韓国ではマッチョから距離を取るのは結構勇気のいることですか?

斎藤:勇気がいったのはもうちょっと前の時代かもしれないですね。今は、大きな勇気よりも日々の精進がいるっていう感じだと思うんです。家庭でも、書いていく面でも、コツコツやってらっしゃるっていう好ましさを私は感じています。

(取材=河野瑠璃)