鬼束ちひろの表現者としての凄みと新たなフェーズへの予感 ライブアルバム『Tiny Screams』に寄せて
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鬼束ちひろと“いつ”“どのようにして”出会ったか(あるいはまだ出会ってないのか)。歌と出会ったのが先なのか、歌より先に存在を知ったのか。人それぞれのその時期と“入り方”によって、評価はまったく違ったものになるだろう。
そうそう表舞台に出てこない人なので、例えば1回のテレビ出演が人々の印象や評価を大きく左右することにもなる。2月にNHKで放映された『SONGS』(4月にアンコール放送)はよかった。あのように歌を聴かせることを一義とした作りの番組は、短い時間であろうともシンガーとしての個性と力を視聴者に伝える。実際Twitterではトレンド入りするほどの反響があり、「泣いた」「救われた」「浄化された」といった言葉が多数つぶやかれた。この番組で彼女をちゃんと知った(あるいは初めてちゃんと歌を聴いた)という若い人にとって、それはいい出会いであったと言えるだろう。
2000年2月に19歳でデビューし、今年20周年。不器用な進み方で、紆余曲折あったが、根強いファンに支えられてきた。それは生み出す楽曲の強さと全身全霊のパフォーマンスがあまりにも圧倒的で唯一無二であったからにほかならない。
いいときもあったし、よくないときもあった。健康面、精神面、声の出力の面で安定しない時期が長く続いたりもした。が、彼女は歌から逃げなかった。「結局自分は歌うことが好きだという気持ちが強いんだなって。客観的に見てもそう思うんですよ」と、デビュー数年後にしたインタビューで言っていたが、その気持ちは(一時的に歌うことへの拒絶感が生じた時期があったにせよ)恐らくずっと根っこにはあったのだろうし、結果としてそれが彼女自身を支えたところもあったんじゃないかと思う。それに、かつて彼女自身が好きな音楽によって「救われた」。だからそのことへの恩返しのような気持ちもあって、彼女は諦めることをしなかったんじゃないか。
「こうやって私はシングルとかアルバムとか作っているけど、いつもこれが最後だって思ってやっている。だって、私みたいな人間なんだから、いつ終わっちゃうかわからないし。生きてること自体、奇跡みたいなところがあるから。声だっていつ出なくなるかわかんないし。だからいつも最後だと思ってやってる。今やれることを精一杯やる以外、できないから」
2ndアルバムを出した頃のインタビューでは、そんなふうにも話していた。「これが最後かもしれない」「だから今やれることの精一杯をやる」。時に“らしさ”の道から外れても、とにかく彼女はよく口にする“直感”を頼りに、そんな信念を持ってここまで続けてきた。
迷走に思えた時期も確かにあったが、2015年あたりから、数多くの人々に支持されていた初期(Virgin TOKYO/東芝EMI時代)の“鬼束ちひろらしさ”を取り戻した。取り戻したというか、求められる鬼束ちひろ像に対して意識的になりだした。2017年の7thアルバム『シンドローム』は確かにそういう内容であり、このときに音楽ナタリーに掲載されたインタビューでは「今は自分をガンガン出すっていうより、みんなが求めている鬼束ちひろ像に応えるということをすごく重視してます」「ファンの人たちはどんな鬼束ちひろが好きなんだろうって、そっちのほうが大事だなって思いました」と話している。
自分が久しぶりにライブを観に行ってそのことを実感したのは、2016年11月4日。東京・中野サンプラザホールでのライブだった。「鬼束ちひろという物語においての最も優れたところ、核となるところを、限りなく100%に近い状態で見せたものだということ。彼女が真の“歌表現者”として我々の前に戻ってきたのが、この2016年11月4日だったということだ」と、リアルサウンドにそう書いた(参考)。意識や姿勢の面だけでなく、肝心の声の出力もほぼ全盛期のレベルに戻っていて、その上キャリアを重ねた分相応の深みと凄みがあった。
その中野サンプラザホールで歌われた全17曲に、2016年7月の大阪サンケイホールブリーゼで収録された(中野サンプラザでは歌われなかった)5曲を加え、2枚組全22曲のライブアルバムとしてまとめられたのが『Tiny Screams』だ。このアルバムは2017年6月に完全生産限定盤としてリリースされたのだが、しばらく入手困難となっていたため、リリースから3年経ったこの6月24日に再リリースと相成った。
「初のライブアルバムであると同時に、これは全キャリアにおいてのベストアルバム的な内容で、しかも余分な音が一切鳴らされていないベストテイクばかり」と、先の原稿にそう書いたが、今年2月20日にデビュー20周年を記念してリリースされたオールタイムベストアルバム『REQUIEM AND SILENCE』にオリジナルのスタジオ録音が多数収録されてもいるので、それらの曲がライブではどう歌われているか、いかに新たな魂が込められているか、改めて聴き比べてみるのも意味のあることだと思う。
『Tiny Screams』を初めにリリースした2017年といえば、その年の2月に出した『シンドローム』を携えて4月から7月まで9都市10公演(バンドセットによる8公演と、ピアノと彼女だけによる特別追加2公演)のツアーを成功させた年でもあった。それは実に15年ぶりとなる全国ツアーであったが、“記録”だけでなくファンたちの“記憶”にいつまでも残るものとなった。
自分は7月12日に中野サンプラザホールで行われたバンドセットにおける最終公演と、7月18日にZepp DiverCityで行なわれたアコースティックセットによる特別追加公演(全日程のファイナル)を観て、その模様を詳しく書いた(参考)。自分で書いておきながらこう言うのもなんだが、今読み返してみたら、あのときの感動が蘇ってきた。「いままでいろんなライブを観てきたが、これほどまでにドラマチックで感動的だったライブはそうそうない。自分はこの日を一生忘れないだろうし、きっと観た人たちの間であとあと語り継がれることにもなるに違いない」と、その特別追加公演について書いたが、それは少しの大袈裟さもない実感だった。このツアーについて、そして鬼束ちひろがどういうライブアーティストであるかについて十分に書き尽くせたと思うので、それ以上加えることはない。改めてその文章を読んでいただければ幸いだ。ちなみに同年10月にはその2公演の模様を収めたライブDVD/Blu-ray『ENDLESS LESSON』もリリースされた。
その15年ぶりのツアーに続き、2018年6月には『UNDER BABIES』と題したアコースティックツアーを行ない、シングル『ヒナギク』をリリースした8月にはその追加公演も開催。さらに同年12月には東京・TOKYO DOME CITY HALLと大阪・NHK大阪ホールで『BEEKEEPER』と題したライブを行なった。12月11日のTOKYO DOME CITY公演では、その数日前に何かがあって肋骨にヒビが入っていたらしく、そのあたりをおさえながら歌い、曲終わりで「アバラ、いてえ」と言っていたのも印象に残っている。そんな歌手、ほかにいるだろうか。
2019年にはFODオリジナルドラマ『ポルノグラファー~インディゴの気分~』の主題歌「End of the world」を書き下ろして3月に配信リリース。同月に前年12月のTOKYO DOME CITY HALL公演の模様を収めたDVD/Blu-ray『HUSH HUSH LOUD』もリリース。そしてデビュー20周年を迎えた今年の2月に新曲も入ったオールタイムベストアルバム『REQUIEM AND SILENCE』をリリースと、ここ数年、制作もライブもかなり順調で、表現に対して意気盛んである様子がうかがえるのは嬉しかったところだ。
本来なら、デビュー20周年の今年はそれを祝す特別なライブもあったのかもしれない。が、今はコロナ禍で、どのアーティストもそうだがライブのできない状態。また会場でナマの歌を聴くことができる日がくるのは、少し先になりそうだ。
しかし、2月の『REQUIEM AND SILENCE』リリースに続いて、5月には2001~2008年のライブ映像作品3タイトルがiTunes Storeで販売開始。先述した通りこの6月24日にはライブアルバム『Tiny Screams』が通常仕様となって再発される。また同日には『REQUIEM AND SILENCE』に収録されていた新曲「書きかけの手紙」の配信がスタートし、合わせて「good bye my love」「夏の扉」「ヒナギク」のMVフルと、「月光」「X」「火の鳥」のライブ映像も公開される。さらにフィジカルで出ていた『ENDLESS LESSON』『HUSH HUSH LOUD』のライブ映像2作品の配信も6月24日に開始された。この怒涛のリリースは、“初期とこの4~5年……つまり非常にいい状態の鬼束ちひろ”を改めて捉え直すいい機会であり、また『SONGS』や最近の曲で知ったという若い人たちにとっては入門的な意味でも絶好の機会。ズブズブと深い沼のようなその世界にハマっていただきたい。
最後に、20th anniversaryオールタイムベストアルバム『REQUIEM AND SILENCE』に初収録された現段階での最新オリジナル曲であり、6月24日に配信スタートとなる「書きかけの手紙」について少しだけ。聴けばわかるが、この曲の歌詞は鬼束ちひろにしては珍しく直截で、赤裸々とも言えるもの。イメージから彼女はずっと自身の痛みをストレートに歌っている歌手だと思い込んでいる人もいるかもしれないが、実際は初期から物語性のある歌詞を書き、あるテーマに触発されて書くことが多かった。当時は初期衝動やそのときのムードから書き始め、そこに妄想込みの物語をつけていくやり方も多かったが、ある時期からはより物語性を重視するようになり、聴く人の想像力を掻き立てるユニークなストーリーテラーとしての才に磨きをかけていったのだ。が、「書きかけの手紙」は彼女曰く「初めて自分自身のことを書いた歌」。Mikikiに掲載された『REQUIEM AND SILENCE』リリース時のインタビューで、「サビのフレーズ(〈まともじゃなくたって それでいいから〉〈ふつうじゃなくたって それでいいからね〉)は、実際に私が友人から言われた言葉なんです」と話している。そういう歌詞を美しいメロディに乗せ、万感の思いを込めて歌うこともできるようになったのだ、デビュー20年目の鬼束ちひろは。
程よい客観性と直截性。繊細さと力強さ。内で燃やす炎と伝達力。2015~2016年以降の鬼束ちひろは、戻ってきただけでなく、それらをうまくコントロールする術を身につけ(本人はそれも直感的なものだと言いそうだけど)表現者としてのスケールをアップさせている。そして「書きかけの手紙」のような新しい曲を聴けば、彼女のソングライティング観が新たなフェーズへ向かっていることを感じたりもする。
新しい作品、そして次のライブを、楽しみに(気長に)待ちたい。
■リリース情報
『Tiny Screams』
発売:2020年6月24日
価格:¥3,500(税抜)
【収録曲】
Disc 1
1.月光 **
2.眩暈 **
3. Cage ** ☆
4. call ** ☆
5. 流星群 **
6. 茨の海 * ☆
7. Castle imitation ** ☆
8. King of Solitude * ☆
9. BORDERLINE ** ☆
10. Sign * ☆
11. 嵐ヶ丘 ** ☆
Disc 2
1. 私とワルツを ** ☆
2. MAGICAL WORLD **
3. everyhome *
4. 蛍 **
5. ラストメロディー ** ☆
6. 帰り路をなくして **
7. 陽炎 ** ☆
8. 惑星の森 *
9. 碧の方舟 ** ☆
10. 夏の罪 **
11. good bye my love ** ☆
Live at 大阪サンケイホールブリーゼ on July 22, 2016 *
Live at 東京中野サンプラザホール on November 4, 2016 **
CD初収録 ☆



■配信情報
『書きかけの手紙』
ENDLESS LESSON ~LESSON 1“FLAME”
ENDLESS LESSON ~LESSON 2“ROSE”
HUSH HUSH LOUD
■MV
鬼束ちひろ – ヒナギク
鬼束ちひろ – good bye my love
鬼束ちひろ – 夏の罪
■ライブ映像
鬼束ちひろ「月光 (Live at 中野サンプラザホール 2016.11.4)」
鬼束ちひろ – 火の鳥 (Live at 中野サンプラザホール 2017.7.14)
鬼束ちひろ – X (Live at 中野サンプラザホール 2017.7.14)